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明日への旅路



プロローグ








電子パルスによって構築された無機質な画面に、コツコツと微小な音を立てて乱雑な黒い文体が書き込まれる。


今その前では、ずんぐりした身体によく似合う丸っこいメガネをかけたいかにも太ったドジョウ然とした男性教師が、滝のように流れ出る汗を吹くための薄汚いハンカチを左手に、ボードに文字を書き入れるための細身の電子ペンを右手に、ポンポンと歴史上の人物を羅列していた。


だが、俺には興味がない。 断じて興味がない。 だいたいなんなんだ、“マルクス=アウレリウス=アントニヌス”なんて受験生イジメでしかあり得ない長ったらしい名前は。


こんなのを答えさせる奴らも奴らだ。 一体俺たちのようなか弱い高校生の脳をいたぶり尽くして、ヘロヘロになったところをどうしたいというのだろうか。


現実を逃避してもうとにかく思いの丈をぶちまけるなら、とっととこのローマの皇帝名による、マシンガンもかくやという連射から解脱したい。



ーーーーいや。 だが、そんなものはまだ、これから訪れるイスラームクライシスの予兆にすぎない。


イスラームの歴史学者が残した大著には『省察すべき実例の書、アラブ人・ペルシア人・ベルベル人および ……(中略)…… 歴史修正に関する集成』(省略含め57語、74音)なんていう、近年の小説の長タイトルブームはなんと700年前からあったのかと思わせる脅威の単語が存在したりする。


暗記というのはーーまあ、長いやつでも一度覚えてしまえば忘れにくいがーー当然短い方がラクであり、重量感のある単語を覚えるのは結構なストレスとなる。


これを経験してる人なら是非とも言ってやりたいことだろう。 「貴様ら今すぐタイムスリップしてきて現代高校生の苦しみを思い知りやがれぇ!!!」と。


まあ俺は、戦乱もしくは混乱の時代を立派に生き抜いた人達をどうこう言うつもりもないのだが…………。


故に、興味もなければ怒りの感情もないそんな授業を受ける上で否が応にもついてまわるものがある。


「あーー………。 ねみぃ」


俺が一つ大きなアクビをすると、“勉強こそ我が命!”と高らかに掲げている周囲の何人かの生徒にギロリと睨まれた。 俺は慌てて胸の前で両手を振るって一応の謝罪をし、丁度すぐ左にあるーー眠くなるのも半分こいつのせいだがーーポカポカした日光をよく通すガラス窓から外の景色を眺めた。


絵に描いたような晴天。 その下では新時代感をたっぷりと満喫できる白銀のビル群。 しかしこの街の開拓者も気が利いたもので、過多な建築物の屹立は住民に圧迫感を及ぼすことを考慮してか、あちこちに鮮やかな深緑が見え隠れしている。


俺のように、日々の疲れを癒す憩いの場を探し求める負傷兵にはありがたいものだ。


そんな風に、授業とは一ミリも関係ないことを考えつつ視線を巡らせているとーー


「………ん」


澄んだ景色の向こう側、解放的で青い世界を淋しそうに浮遊する雲の群れ。 この晴天に似つかず、腹を随分と黒くし、大した風もないはずの大気の中を忙しなく流れていく。


そのほんの少しだけ“いつもと違う”環象に、俺はある予感をした。



「今夜は荒れるな………」



天気のことではない。 俺の学業の裏の仕事柄、その方面(・・・・)への直感は人一倍優れている。


「はぁ………」


俺は今度は皆の邪魔をしないように小さく息を漏らし、ダークブルーのズボンのポケットに入っていた財布をそっと手に取る。



ーーったく。 あの人、小遣いもっと奮発してくれないもんかな。



頭の中に、眩しい程の笑顔でピースサインをする忌まわしい女性の姿が浮かぶ。 俺はその人物に向かってブツクサと文句を言いながら自分の所持金額を確認しようとして、硬直。


そういえば今日は小遣いの配布がある週末だ。 しかしてその恩恵は帰宅後に得られるものであり、今俺がどう喚こうと財布にテレポートはしてこない。 別にそれは普段通りのことで、俺も毎週末には財布にちゃんと野口英世さん一枚分入っているくらいには調節しているのだが、今週は違った。


手中にある財布は以前の古ぼけたのものではなく、艶のあるレザーのさらっさらの新品だったのだ。


商店街ではたと見かけたキラメクショーウィンドウ。 その中でキラキラと輝くこのウォレットに俺は完全に吸い込まれてしまった。 昨夜まで携帯していた第三号の財布は中学1年からの使い古しだったこともあり、有り金全部はたいて衝動買いをしてしまったのだ。 その代金は、日中常にマグニチュード5の地響きを腹から奏でる貧乏学生たる俺としては言うも恐ろしい………2500円。


いやしかし、財布は俺の能力の中核に結構関係してるから、このくらいの贅沢は許されるはず……。


そんな、現実逃避にもならない言い訳を巡らせながら、ガチャガチャリンというサウンドを耳に慣れないボタン式の小銭入れを開けるとそこには、白銀色の円形物が三つ。




ーーーー全財産、300円。




「うぐおおおぉぉぉ!!!」と、この静まり返った教室で、どこぞのゲームのモンスターさながらに絶叫してしまうというカタストロフは何とか回避したが、負った精神的ダメージは計り知れない。


俺はそのままおよそ三分悶えた末にようやっと顔を上げて、我が身の不幸を飲み込んだ。


ーー今日の夕食はセベン・エレベンのおにぎり三つか………。 確か今週は100円セール中だったよな。


否、いかにセベンの自信作“トゥナ・マヨネーズおにぎり”を以てしても、食い盛りな高校二年生たる俺の胃袋の一つも満たすことはできない。


こうなると、いつも宿屋で暇そうにしているあの人の料理を頂くという手もあるが、アレはお世辞にもこの世のものとは言えない。 本心をいうならば、アレはどこか異世界にあるやもしれない最高にマズイ一品をも超越しかねない。


食えば死ぬ。 それを生成した超人的な本人以外は。


だから結局のところ今日は耐え忍ぶしかない。


「ああクソ………。 何で俺の能力はこうなのかなぁ。 いや、そもそもあの人と会ってなければ…………」


俺は愚痴を漏らしつつも、料理の絵は載っていないものかといつの間にか教科書のページをめくっていた自分に気付き、もう一度ため息をついた。




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