魔性の毒婦!?いえ、ただの当て馬令嬢です
「……ラミエラ・フォン・アイドリング公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄し、真実の愛に目覚めた私は、このフェリナと添い遂げることをここに宣言する!」
豪華絢爛な王城の晩餐会。
シャンデリアの輝きを反射する大理石の床の上で、第一王子シューバリアが、それはもう『俺、今最高にカッコいいこと言ってる!』と言わんばかりのキラキラした顔で叫んだ。
その隣には、守ってあげたいオーラ全開の男爵令嬢フェリナ。
震える肩を抱き寄せ、シューバリアは私を指差す。
「嫉妬に狂い、フェリナのドレスを切り裂き、階段から突き落とそうとした魔性の毒婦め! その冷徹な仮面を剥いでやる!」
(……えーっと。……よし、ノルマ達成!)
実は私には秘密がある。
私の前世は、日本の商社で馬車馬のように働いていた社畜、坂本優佳。
二十八歳。
趣味はエクセルでの収支シミュレーションと、年一回のひとり温泉旅行。
深夜まで及んだ決算業務の帰り道、朦朧とした意識で横断歩道を渡り、居眠り運転のトラックに突っ込まれた瞬間、私の人生第一幕は幕を閉じた。
次に目が覚めた時、私は五歳の公爵令嬢ラミエラになっていた。
高熱でうなされる中、脳裏に奔流のように流れ込んできたのは、前世の記憶と、生前暇つぶしに遊んでいた乙女ゲーム『聖女の恋と蒼穹のワルツ』のシナリオ。
(……待って。私、このままだと最終的に王子に捨てられて、全財産没収されて死ぬ当て馬キャラじゃない!?)
幼児の体で冷や汗を流しながら、私は誓った。
「社畜として無様に死ぬのは一度で十分。今世は、あのバカ王子をさっさとヒロインに押し付けて、私は私の楽園(温泉)を手に入れる!」
以来、私は完璧な毒婦を演じつつ、着々と追放後のセカンドライフに向けた資産形成と、効率的なざまぁの準備に励んできたのである。
◆ ◆ ◆
「あらあら……。シューバリア殿下、ようやく仰ってくださいましたわね。待ちくたびれて、前菜のカナッペを三周ほど凝視してしまいましたわ」
「なっ……!? 反省の色もないのか!」
反省? 何それ美味しいの?
むしろ「ようやくこの茶番を終わらせてくれるのね」という感謝状を贈りたいくらいだ。
私は手に持っていた扇を優雅にパチンと閉じ、深く、ため息をついた。
誤解しないでほしい。私は毒婦でもなければ、ましてや恋に狂った女でもない。
この乙女ゲーム的な世界における『完璧な当て馬』という役職を全うしただけの、しがない公爵令嬢だ。
家柄良し、顔立ち良し──ただし目つきが鋭い──、性格は……まあ、効率主義。
そんな私に与えられた使命は、無能……失礼、純粋すぎる王子様が、平民上がりのヒロインと結ばれるための障害になることだった。
「殿下、一応確認させていただきますけれど。ドレスを切り裂いた件、私はその時間、領地の会計監査で忙しく執務室に籠城しておりましたの。証人は文官が三十人ほどおりますわ。彼らの残業代の計算だけで、私の頭はパンク寸前でしたのよ?」
「黙れ! 魔導具を使ったんだろう!」
魔導具の無駄遣いをするほど、私の時間単価は安くない。
「階段から突き落とした件も、あの日ひどい靴擦れで歩くのもやっとでしたのよ。フェリナさんを追いかけるほどの脚力があるならば、今すぐオリンピックに出場いたしますわ」
「オリ……なんだそれは! 屁理屈を抜かすな!」
ああ──会話が成立しない。
前世で理不尽な取引先のクレームを捌き続けてきた坂本優佳の経験から言わせてもらえば、この王子は『論理』ではなく『情緒』だけで動く、ビジネスパートナーとしては最悪の部類だ。
シューバリアの脳内では、私は『愛ゆえに暴走する悪女』としてキャスティングされているらしい。
そんな王子の隣で、フェリナが上目遣いで「ラミエラ様、私、あなたのことは恨んでいません……ただ、殿下の愛が欲しかっただけなんですぅ」と、これまたテンプレなセリフを吐く。
(……フェリナさん、あんた昨日、裏庭で『っしゃあ! 玉の輿確定! チョロすぎ!』って下品にガッツポーズしてたの、私は木の上から見ていましたわよ)
言い忘れそうになったが、私の趣味は今世でも木登りと帳簿付けだ。
公爵令嬢としてのストレス発散は、高いところからバカを観察し、その愚行をコスト換算することに限る。
「お聞きなさい、殿下。私が彼女に嫌がらせをしたという証拠は、すべてフェリナさんの自供のみ。客観的な裏付けが一切ございませんの。そんなガバガバな査定で婚約破棄を強行するなんて、王家としてのコンプライアンスはどうなっておりますの?」
「こんぷらい……っ!? 貴様、どこまで私を愚弄すれば気が済むのだ!」
顔を真っ赤にして叫ぶシューバリアを見て、私は確信した。
(よし、これでもう修復不可能!)
私の『当て馬』としての引退試合は、今、最高潮を迎えている。
「さあ、殿下。次は、公爵令嬢の身分剥奪と国外追放のシーンでしたわよね? 台本を飛ばさずに、しっかり宣言していただけるかしら?」
私は挑戦的に口角を上げ、最高の悪女スマイルを向けてやった。
◆ ◆ ◆
「さて、婚約破棄となれば、私はこのまま国外追放か、あるいは修道院行きかしら?」
私がワクワクを隠しきれず、つい前のめりに尋ねると、シューバリア殿下は勝ち誇った顔で、これ以上ないほど傲慢に告げた。
「フン、慈悲深いフェリナの願いだ。命までは取らぬ! だが、公爵家の継承権を剥奪し、辺境の『魔物が蠢く死の大地』へ追放する!」
「……あら?」
思わず声が漏れた。
死の大地? あの、伝説の?
私の脳内にある前世・坂本優佳のデータベースが、猛烈な勢いで検索を開始する。
そこは確か、建国以来『呪われた土地』として放置され、凶暴な魔物の巣窟とされてきた場所。
だが、乙女ゲームの裏設定資料集を読み込んでいた私だけは知っている。
「どうだ、絶望したか! 今さら泣きついても遅いぞ! 地を這い、泥を啜りながら、己の罪を悔いるがいい!」
「いえ……あそこ、温泉が湧くと噂の、未開発の宝の山ではありませんこと?」
「は?」
殿下が鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まったが、構わず私は計算を続けた。
脳内のそろばんがパチパチと高速で弾かれ、精緻な損益計算書が描き出されていく。
あの地域は確かに魔物こそ出る。
しかし、裏を返せば未開拓ゆえに、魔力濃度の高い高品質な魔石の埋蔵量が国内最大級。
さらに地熱が異常に高いのは、地下に巨大な龍脈と……そう、日本人の魂が求める源泉が眠っている証拠。
地熱を利用した温室栽培を行えば、冬場でも新鮮な野菜が収穫できる。
魔石を換金して防衛設備を整えれば、そこは完全な独立国家も同然のユートピア。
何より、この顔がいいだけの無能……もとい、燃費の悪いシューバリア殿下や、計算高いフェリナさんと関わらなくて済む。
「最高ではありませんか! お礼を申し上げますわ、殿下。まさかこれほど素晴らしい退職金……いえ、追放先を用意していただけるなんて、殿下は意外と部下思い……じゃなくて、婚約者思いでいらしたのね。善は急げと申しますし、今すぐ荷造りしてまいります! セバス、聞こえて? 私の個人資産と、執務室にある最新の計算機、それから木登りに適した動きやすい着替えをすべて馬車に積み込んでちょうだい!」
「……ラミエラ、貴様、正気か!? あそこは死地だぞ!? 餓えと恐怖に震える場所なのだぞ!」
なおも現実に引き戻そうとする殿下に対し、私は最高の笑顔で言い放った。
「お聞きになって殿下。前世の……いえ、私の持論ですが、『死の大地』なんていうのは、無能な経営者が土地を活用しきれなかった言い訳に過ぎませんの。あそこはブルーオーシャン……誰も手をつけていない広大な市場。私のような『効率こそ正義』と考える女にとっては、王都の窮屈な社交界よりも、よっぽど人間らしい暮らしが約束された場所ですわ」
呆然とする殿下の隣で、フェリナさんが震える声で割り込んできた。
「ラ、ラミエラ様……そんなに強がらなくても……。私のせいで、そんな恐ろしい場所に……ぐすっ」
(……出た、伝家の宝刀・嘘泣き。でも残念、今の私には一銭の価値もない演出だわ)
「お断りいたしますわ、喉の筋肉が拒絶しておりますもの。泣き真似も、殿下に縋るのも、すべてはコストに見合わない無駄な労力です。……ああ、フェリナさん。その王子、見栄っ張りな上に経済観念がゼロで、とにかく燃費が極めて悪うございますから、しっかりメンテナンスに励んでくださいませね。彼を維持するリソースが足りなくなっても、私の領地(予定)には決して無心に来ないでくださいまし。応援しておりますわ、心から。物理的に、お会いできないほど遠い場所から」
私はスカートをこれ以上なく優雅に広げ、王族に対する最高の敬意を込めた、皮肉たっぷりの完璧なカーテシーを披露した。
静まり返る晩餐会会場。
周囲の貴族たちは、私のあまりの豹変ぶりに呆然としている。
「ラミエラ様、ショックで頭が……」「現実逃避もあそこまで行くと哀れだな」という同情の声も聞こえるが、放っておいてもらいたい。
「では、失礼いたします。さあセバス、第二の人生のキックオフよ! 温泉卵と露天風呂が私を待っているわ!」
私は、自由を掴み取ったのだ。
誰の目も気にせず、好きなだけ数字をいじり、好きなだけ高い木に登り、好きなだけ湯船に浸かる。
当て馬令嬢ラミエラ、改め、元社畜・坂本優佳。
私のざまぁの本当の幕開けは、この豪華な監獄──王都──を脱出した瞬間から始まるのだ。
◆ ◆ ◆
追放から半年。
私は、かつて誰もが恐怖した魔物が蠢く死の大地のど真ん中で、湯気の向こうに広がる絶景を眺めていた。
ここは現在、私が総支配人を務める【ラミエラ・リゾート&スパ】。不毛の地をわずか半年で国内屈指の黒字経営へと押し上げた、私の新天地だ。
「お嬢様、また王都から手紙が来ていますよ。これで今週五通目です。これほど頻繁に届くと、配達員が過労で倒れるのではないかと心配になりますね」
呆れ顔で銀のトレイに載った手紙を差し出すのは、私に付いてきてくれた唯一の従者、セバス。
元は王家も恐れる凄腕の暗殺者だったが、現在は私の『数字』に心酔する極めて優秀な秘書官だ。
「またシューバリア様から? 今度は何かしら。『フェリナが宝石を欲しがって国庫が空だ』とでも? それとも『夜会で着る服がないから公爵家から融通しろ』という厚顔無恥なおねだり?」
私は、魔石の力で温度調整された最高級の果実水を一口飲み、尋ねた。
「いえ……。今回は一段と救いようがございません。『フェリナが浮気した。男爵令嬢ごときが私を裏切るなど信じられない。ラミエラ、お前ならそんなことはしなかったのに。今すぐ戻ってきて私を慰めろ。お前の価値を再評価してやってもいい』……だそうです」
「…………」
絶句した。
前世の坂本優佳としての記憶が「この上司、コンプライアンス以前に人間としてバグってるわ」と警鐘を鳴らしている。
(どの口が、どの面下げてそれを言うのかしら?)
「……塵箱へ。あ、ついでに魔導シュレッダーにかけてから、庭の火吹きトカゲの餌にでもして焼却しておいてちょうだい。文字を目にするだけで私の視力が低下しそうですわ」
「承知いたしました。灰すら残さぬよう徹底いたします」
あの後、シューバリアとフェリナは、私の予想を遥かに上回るスピードで破滅へ向かったらしい。
フェリナさんは真実の愛という免罪符を盾に、ドレス、宝飾品、挙句の果てには別荘の建設と、贅沢の限りを尽くした。
シューバリア様は彼女を引き留めたい一心で、私の実家であるアイドリング公爵家から預かっていた軍事予算や公共事業費にまで手を付けたのだ。
会計のプロである私を追い出し、感情だけで国庫を回そうとした報い。
今や王都の経済はハイパーインフレ寸前。
一方の私は、この地で採取した高純度の魔石を父の商会に独占供給し、王都の年間予算を超えるほどの莫大な富を個人資産として築き上げていた。
しかも、世間が恐れていた魔物たちは、意外と話せばわかる奴らだった。
例えば、あそこに鎮座している全長三十メートルの古代ドラゴン。
「ねえ、グスタフ。背中の鱗の間に挟まった魔力の塵、セバスの特製ブラシで掃除して差し上げるから、あそこの硬い岩盤を耕してくださらない? ああ、火は吹かないでね、土壌の微生物が死滅してしまいますから」
私がそう交渉すると、ドラゴンは『グルル』と喉を鳴らし、今では立派な超大型トラクターとして農地開拓に従事している。
魔物たちにとっては、私の提供する【温泉】と【ブラッシング】は、命を懸けて戦うよりも遥かに価値のある報酬だったらしい。
「お嬢様、談笑中失礼いたします。王都からの特使……いえ、正確には特使の格好をした『何か』が到着いたしました。どうしてもお嬢様にお会いしたいと、門の前で土下座しております。石畳が額の血で汚れ始めておりますが、いかがいたしましょう?」
「土下座? まあ、王都ではそれが最新のトレンドなのかしら? 伝統的なカーテシーよりも随分とアクロバティックですわね」
私は優雅に立ち上がり、高級シルクのガウンを羽織った。
「せっかくのエンターテインメントですもの。最高のおもてなしでお迎えしなくては。セバス、彼を通して差し上げて。ただし、泥を落としてからよ。ここは、清浄な温泉の聖域なのですから」
私は不敵に微笑んだ。
さあ、待ちに待った『決算報告会』の始まりだわ。
◆ ◆ ◆
門を開けて現れたのは、かつての威光はどこへやら、泥にまみれボロボロの服を着たシューバリアだった。
かつては王家の象徴として輝いていた金髪も今はボサボサで、その姿は浮浪者と見紛うほどだ。
彼は私の執務室に入るなり、なりふり構わずその場に膝をついた。
「ラミエラ! 頼む、戻ってきてくれ! フェリナは……あいつは隣国のスパイだったんだ! 私の愛を、いや、国の公金を盗めるだけ盗んで逃げやがった!」
「存じておりましたわ」
私は、この地で採れた最高級の茶葉を用いた紅茶を、音も立てずに優雅に啜る。
前世・坂本優佳の商社時代に培ったポーカーフェイスは、こういう時に実に役に立つ。
「知っていた……? なぜ教えなかった! 私が、この国がどうなってもよかったというのか!」
「教えましたわよ? 婚約破棄の夜、『とにかく燃費が極めて悪うございますから、しっかりメンテナンスに励んでください』と。あれは『彼女は敵国の工作員ですから、財布の中身を全部抜かれないように、また情報の流出を招かないように気をつけなさい』という私なりの最大限の隠喩ですわ。経営者(王族)なら、リスク管理のヒントくらい自分で拾い上げていただかないと困りますわね」
「わかるか、そんなもん! もっと直接言えば済む話だろう!」
逆ギレ、実に見苦しい。
これだから、数字も読めず行間も読めない男は困るのだ。
シューバリアは縋りつくような手つきで私の手を取ろうと伸ばしたが、その指が私のドレスに触れる直前、控えていたセバスが音速でその手を叩き落とした。
「……汚らわしい。お嬢様に触れる許可をいつ出しましたか、元殿下」
セバスの凍てつくような声に、シューバリアはびくりと肩を震わせ、今度は涙ながらに私を見上げた。
「ラミエラ、お前は俺を愛していたはずだ! あの冷たい態度は、厳しい忠告は、すべて照れ隠しだったんだろう!? 毒婦と呼ばれても、周囲に蔑まれても私に尽くしてくれた、あの頃の献身的なお前に戻ってくれ……!」
「……殿下、一つ勘違いを正してもよろしいかしら?」
私は、愛用の計算機を机に置き、ゆっくりと立ち上がった。
そして、氷点下の温度を宿した瞳で彼を冷ややかな目で見下ろした。
「私、貴方のこと、一秒たりとも愛したことなんてございませんの」
「えっ……」
「だって殿下、貴方って本当にお顔以外に褒めるところが皆無なんですもの。会話は自分の自慢話ばかりで退屈、政策は丸投げ、夜のお誘いも――あら、失礼。お口が汚れますわね。要するに、コストパフォーマンスが最悪だったのですわ。私はただ、『公爵令嬢』というロールプレイング……いえ、契約業務を完璧にこなしていただけ。貴方がフェリナさんに現を抜かし、私に婚約破棄を突きつけた時、私はあまりの嬉しさに、心の中で情熱的なサンバを踊っておりましたわ」
シューバリアは、まるで世界が崩壊したかのような顔で固まった。
口をパクパクとさせ、言葉にならない声を漏らしている。
「おまけに、今の私は公爵家を継ぐどころか、この地の独立を宣言する準備を整えております。王都の財政が完全に破綻し、エネルギー源である魔石が不足している今、この国の魔石供給を私が完全に止めてしまいましたら……どうなるか、経営学を学んでいない貴方でもお分かりになりますわね?」
「お前……まさか、最初からこれを狙って……わざと私をフェリナに……」
「いいえ。私はただの『当て馬』ですから。主人公(貴方たち)が勝手に自爆するのを、安全な特等席で眺めていただけですわ。自ら破滅のアクセルを踏んだのは、他ならぬ貴方ですもの。私はただ、その背中を優しく……いえ、猛烈な勢いで押して差し上げただけですわね」
私は満足げに微笑み、セバスに目配せをした。
「……さあ、セバス。この、元殿下を、温泉の掃除担当として連れて行ってちょうだい。あ、丁度グスタフが鱗の生え変わり時期で痒がっていましたわね。ドラゴンの背中掃除も追加でお願いするわ。彼のプライドを削るには、良い労働環境でしょう?」
「畏まりました、お嬢様。心を込めて教育(再研修)いたしましょう」
「やめろ! 離せ! 俺は王子だぞ! この国の次期国王だ! ラミエラ、ラミエラーーーッ!」
見苦しく喚き、手足をバタつかせながら引きずられていくシューバリアの叫び声が、夕暮れの辺境に虚しく響き渡った。
私はその後ろ姿を見送りながら、冷めた紅茶を一口飲み、小さく呟いた。
「ふぅ。これにて、不良債権の処理、完了ですわ」
◆ ◆ ◆
数日後。
私は、新設されたばかりの、最高級ヒノキと魔石の遠赤外線効果を組み合わせた特製露天風呂にどっぷりと浸かっていた。
目の前に広がるのは、かつて『死の大地』と恐れられたことが嘘のような、幻想的なオーロラと満天の星空だ。
「はぁ……。当て馬って、なんて素晴らしいんでしょう。前世の社畜時代には考えられなかった、これぞ真のクオリティ・オブ・ライフですわ」
責任はない。
なぜなら、私は公的に追放された悪女であり、国の義務など知ったことではないからだ。
金はある。
高品質な魔石の輸出独占権を握り、私の個人口座には、もはや国家予算を数回分動かせるほどの数字が並んでいる。
そして何より、男──あの燃費の悪すぎるバカ王子──がいない。
これ以上の精神的安定があるだろうか──いや、ない。
「キュイッ!」
可愛らしい鳴き声を上げて、キンキンに冷えた果実酒と、おつまみの魔獣肉のスモークを乗せた盆を頭に乗せ、小さな水竜の子供がぷかぷかと泳いできた。
「あら、ありがとう。貴方も一杯いかが? ああ、貴方はまだ未成年……じゃなくて未成竜でしたわね」
そんな極上の癒やしの時間に、湯船の向こう側の脱衣所から、セバスの冷静な声が響く。
「ラミエラ様。王都から緊急の早馬……いえ、あまりの急ぎように馬が潰れたため、魔導通信が届きました。王都が正式に降伏。現王政は事実上の崩壊を認め、貴族院と平民議会の連名で、お嬢様を『新女王』として即位させたいという打診が来ておりますが」
「……」
私は果実酒を喉に流し込み、間髪入れずに答えた。
「却下ですわ。一秒で却下。女王なんて、三六五日二十四時間体制の最高責任者じゃありませんこと。そんな過労死確定のポジション、誰がやりますもの。私はここで『元・毒婦の悠々自適な隠居生活』を謳歌いたします。あ、でも返事には『温泉の入浴権を対価に、経済顧問として遠隔で指示は出してあげてもよくてよ』と付け加えておいて。もちろん、コンサル料はたっぷりいただくけれど」
「承知いたしました。では、即位要請の親書は裏紙として再利用いたします」
私は、深く溜息をついて夜空を見上げた。
星が、前世の東京では決して見られなかったほど近く──綺麗だ。
聞くところによれば、王都の社交界や隣国では、私を『美貌と知略で国を裏で操り、王子を掌の上で転がして陥れた、美しくも恐ろしい魔性の毒婦』と呼ぶ声もあるそうだ。
吟遊詩人が私の悪行を歌にしているという噂まである。
──心外ですわ。
私はただ、自分の人生の収支をプラスにしたかっただけの、しがない当て馬令嬢。
シナリオ通りに【悪役】を演じきり、脚本家──神様──が用意した【追放】という名のボーナスステージに飛び乗っただけ。
物語の脇役が、主役──バカなカップル──を差し置いて、世界で一番幸せになって何が悪いっていうんですの?
「ああ、忙しいわ。これからの事業計画を立てなくては。セバス! 明日はどの山を切り開いてゴルフ場にいたしましょう? それから、ドラゴンのグスタフをキャディとして訓練する予算案も作っておいてちょうだい。あ、あと帳簿も持ってきて! 温泉に入りながら数字を見るのが、今の私にとって最高の快楽なんですの!」
「畏まりました、お嬢様。ただちにご用意を」
私の高笑いが、贅沢な温泉の湯気に溶け、夜の静寂の中にどこまでも響き渡っていった。
坂本優佳のセカンドライフ──当て馬令嬢の最高に強気な自由時間は、まだ始まったばかりなのだ。
おしまい
とある企画で頂いたタイトルで書いた物語です。
(すももさんありがとう!)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら★やいいねで応援していただけると嬉しいです。
ブクマや感想をいただけたら……最高です!




