第八話 稽古の壁
翌日から、三浦啓之助は稽古場に通い詰めた。
失態の夜が脳裏にこびりつき、眠れぬまま夜明けを迎えたからだ。
刀を抜けずに硬直した自分。副長・土方の冷酷な眼差し。
——このままでは本当に斬られる。
「よし、相手してやるよ!」
竹刀を握り、豪快に笑ったのは永倉新八だった。長身に筋肉質の体を誇り、動きも力強い。
「遠慮はいらねぇ。かかってこい、坊ちゃん!」
啓之助は渾身の力で竹刀を振り下ろした。だが、次の瞬間、永倉の竹刀が横から打ち込まれ、あっさりと吹き飛ばされた。
「まだまだぁ!」
続けざまに腹、肩、脚へと打ち込まれる。竹刀が畳を転がる音が虚しく響き、啓之助は膝をついた。
その瞬間、あの夜の光景が脳裏をよぎった。
「池田屋で散った仲間の仇!」
血走った目で自分に斬りかかってきた浪士。命を賭してなお、仲間のために刃を振るった姿。
——あの浪士は勇気をもって死地に飛び込んだ。
——だが自分はどうだ。恐怖に縛られ、一歩も動けなかった。
「立て! それじゃあその辺の雑魚浪士にも勝てねぇぞ!」
永倉の怒号に背を押され、啓之助はふらつきながらも立ち上がる。だが、再び竹刀を握った瞬間には、もう体は恐怖で強張っていた。
「じゃあ次は僕だね」
沖田総司が軽やかに走り出た。童顔に笑みを浮かべているが、竹刀を構えた瞬間、空気が一変する。
「坊ちゃん、覚悟できてる?」
言葉が終わるより早く、沖田の突きが胸元を狙って走った。
「——っ!」
反応できない。竹刀を振るう間もなく、胸、腕、胴、と次々に打ち込まれ、啓之助は畳に転がった。
息ができない。視界が揺れる。
——自分は仇討ちを口にしてここに来た。だが、あの浪士のように命を賭して刃を振るう覚悟すら無いのではないか。
父を殺した浪士を討つ前に、自分はこの場で潰れる。
「啓之助君」
沖田が竹刀を下ろし、柔らかく笑った。
「悪いけど、まだ話にならないね。でも君には根性がある。昨日だって逃げずに立ってたらしいね。だから続ければきっと強くなるよ」
永倉も腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。
「坊ちゃん、弱ぇのは仕方ねぇ。誰だって最初は弱ぇ。だが仇討ちだなんだって言うなら、死ぬほど稽古しろ。俺たちは遊びで剣を振ってるんじゃねぇ」
啓之助は竹刀を握りしめ、唇を噛んだ。
父の仇討ち。だが現実は、足元にも及ばない。
——あの浪士には、覚悟があった。だが自分には……。
焦燥が胸を焼き、汗と涙が畳に落ちた。




