第五話 初めての巡察
夜の京は昼とは別の貌を見せていた。
提灯の灯りがまばらに揺れ、細い路地の奥では犬の遠吠えが響く。酔客の笑い声の裏で、いつ暴発するか知れぬ浪士たちが息を潜めている。
その闇を裂くように、十数人の武士が列をなして歩いていた。浅葱と白のだんだら羽織を翻し、腰の刀を鈍く光らせながら。
新選組、夜の巡察である。
三浦啓之助はその列の中にいた。竹刀での稽古で打ち据えられた痣がまだ痛む。だが今夜はもう稽古ではない。本物の刀を差し、命のやり取りに備えて歩いている。
隊列の先頭に立つのは副長・土方歳三。白い鉢巻を額に締め、冷ややかな視線で闇を払っている。その背筋は一本の槍のように揺るぎなく、啓之助の胸を強張らせた。
「よそ見すんな、坊ちゃん」
すぐ脇から声が飛んだ。永倉新八がにやりと笑い、長身の影を揺らして歩いている。酔って騒いでいた昼間の姿は消え、鋭い眼光が路地を射抜いていた。
その後ろでは原田左之助が無言で拳を握りしめ、藤堂平助は緊張した面持ちで隊列を守る。
隊長格がこうして多く連れ立っているのは、啓之助の初陣だからだろう。啓之助の父の名がこんな所にも響いているのが、彼にとっては重圧であった。
——これが、昼間の荒くれ者たちと同じ人間なのか。
啓之助は息を呑む。普段は酒と博打に明け暮れる彼らが、今は一糸乱れぬ武士の集団に変貌している。
「止まれ」
土方の低い声に列が静止した。
闇の向こう、路地の影に二人の浪士風の姿が見える。刀の柄に手をかけ、こちらを窺っていた。
「名を名乗れ!」
永倉が声を張る。浪士たちは顔を見合わせたが、答えずにじりじりと後退した。
「逃がすな、囲め!」
土方の号令と同時に、隊士たちが四方から路地を塞いだ。
「縄をかけろ!」
原田が踏み込むと、浪士の一人が恐慌して刀を抜いた。その瞬間、空気が張り詰める。
「抜きやがったな!」
永倉が閃くように動いた。鞘鳴りとともに刀が走り、浪士の肩口から血が噴いた。浪士は絶叫し、そのまま地面に崩れ落ちた。
啓之助はその場で硬直した。
赤黒い液が地面を染め、鼻を突く鉄臭さが広がる。喉がひゅっと塞がり、胃の底が反転するような吐き気が襲った。
「……っ!」
思わず口元を押さえる。膝が震え、今にも崩れ落ちそうだった。
それは、初めて目の当たりにする「人の死」だった。
父の死は血の跡しか見ていない。戦の話は書物の中でしか知らなかった。今、目の前で命が途絶える瞬間を見た。
耳の奥で何度も響くのは、浪士の断末魔の叫びと、肉を断つ刀の鈍い音。頭の中が真っ白になり、胸は悲鳴を上げていた。
「捕らえろ!」
土方の声で我に返る。縄が打たれ、もう一人の浪士が引き倒された。
だが啓之助の耳には血の滴る音しか残っていなかった。
土方は冷ややかに浪士たちを見下ろした。
「俺たちは会津の名を背負ってる。まず捕える、それが筋だ。だが反抗するなら容赦はいらねぇ。おい坊主、忘れるなよ」
啓之助は顔を上げようとしたが、視線は血の海に釘付けになった。
「は、はい……!」
返した声は震え、掠れていた。
浪士たちは縄で縛られ、京の町奉行所へ引き立てられていった。
町人たちは格子窓越しにその光景を見つめ、「壬生狼だ」と怯えたように囁いた。
その夜の帰路、啓之助の耳に永倉の笑い声が響いた。
「どうした坊ちゃん、顔色真っ青じゃねぇか!」
「……っ」
啓之助は否定もできず、ただ唇を噛んだ。原田が「まぁ死ぬのはあいつらも覚悟の上だ」と肩を叩いたが、その言葉は胸に沈んでいかなかった。
父の仇を討つために飛び込んだ新選組。その実態は酒にまみれた無頼の徒でありながら、いざとなれば容赦なく血を流す剣の集団でもある。
月明かりの下、鈍く光る鞘を見つめながら、啓之助は己に問い続けた。
——自分はこの修羅の道を歩き抜けることができるのか。
——父の仇を、この剣で討てるのか。




