第四十七話 新年の蟠り
新年の京の空は澄み切っていた。
冬の陽は淡く、吐く息だけが白く浮かぶ。
町には祝い囃子が流れ、島原の通りでは芸妓たちの笑い声と三味線の音が響いていた。
だが、西本願寺の屯所には別の空気が流れていた。
浮き立つような年の初めにもかかわらず、近藤勇の眉間には深い皺が寄っている。
「伊東先生、永倉、それに斎藤も……まだ戻らんのか」
帳場に座る近藤がぼやくように言った。
隣で煙管を持つ土方が、淡い煙を吐きながら答える。
「三日だ。いくらなんでも長ぇな」
「まったく、正月早々これでは締まらん。皆にも示しがつかん」
近藤は苦笑ともため息ともつかぬ声を漏らした。
「……とはいえ、俺が直接行くわけにもいかん。伊東先生に戻ってこいと角を立てる訳にもいかんしな」
土方は少し考え、静かに言う。
「なら、角の立たん奴に行かせりゃいい。伊東先生のお気に入りで、口が上手い奴だ」
土方は続けた。
「……三浦を呼べ」
「三浦君を?」
「ああ。あいつなら余計なことは言わねぇ。伊東先生も悪く思わんだろう」
しばらくして、啓之助が帳場に呼ばれた。
「局長、御用でしょうか」
「おう、すまんな。実はな——」
近藤は状況を説明し、やや困ったように笑った。
「伊東先生と永倉、斎藤が三日も屯所を空けている。正月だから羽目を外したんだろうが、あまり長いと示しがつかん。様子を見てきてくれ。戻ってこいと伝えりゃいい」
「承知しました」
「気をつけろ。角屋は夜でも人が多い。軽口叩くなよ」
「はい」
外に出ると、冬の風が頬を刺した。
京の町は明るいが、啓之助の胸にはかすかな不安があった。
——伊東先生、永倉さん、斎藤さん。
普段三人は話している姿をあまり見かけないが、伊東先生はなぜ二人を伴って酒宴を催しているのか。
島原の大門をくぐると、白粉と酒の匂いが入り混じる。
通りには舞妓が行き交い、店先からは笑い声がこぼれていた。
啓之助はまっすぐ角屋へと向かった。
「新選組の三浦啓之助と申します」
番頭に名を告げると、男は目を細めた。
「おや、伊東様のところへ? 三日三晩、座敷を借り切っておられますよ」
「……まだ、ですか」
「はい。今も盛り上がっておいでで」
啓之助は軽く礼をし、廊下を進む。
障子の向こうから、どっと笑い声が上がった。
襖が開くと、湯気とともに酒の香が漂う。
「おう、三浦じゃねぇか!」
永倉が真っ赤な顔で手を振った。
その隣では斎藤が落ち着いた様子で盃を傾け、伊東が穏やかに笑っている。
「おめぇも飲むか?」
「いえ、近藤さんの使いで参りました。そろそろ屯所へ戻ってほしいと」
その言葉に、永倉はうへぇと言いながら苦い笑いを浮かべた。
「だろうなぁ。三日も空けりゃ、鬼の副長が噛みつくわ」
伊東は静かに盃を伏せ、涼やかに笑った。
「正月の酒に理屈は不要ですな。だが……そうですか。もうそんな時刻ですか」
「伊東先生、近藤さんには俺から弁明しておきます。三日酔いはほどほどに」
斎藤が口元に微笑を浮かべながら言う。
その声には、奇妙な柔らかさと含みがあった。
——まるで、伊東の懐に溶け込むような。
啓之助はその一瞬に違和感を覚えた。
斎藤は理屈を語るような男ではない。
それなのに、伊東の言葉に耳を傾けるようなその態度。
(……何かを探っている?)
そう思ったが、すぐに顔には出さなかった。
伊東は盃を置き、啓之助に穏やかに告げた。
「近藤局長に伝えてください。これで席を閉じますと」
「承知しました」
啓之助は頭を下げ、座敷を後にした。
廊下に出ると、背後から永倉のぼそりとした声が聞こえた。
「理だの信念だの……伊東さんの言うことも嫌いじゃねぇが、俺は刀を信じてきたからなぁ」
その声は酒気を帯びて、誰にも届かぬほど小さかった。
啓之助は歩みを止めず、そのまま黙って廊下を抜けた。
(永倉さんも……迷っているのか)
外に出ると、冷たい風が顔を撫でた。
夜の京の町はまだ賑やかで、角屋の格子窓からは橙色の灯が滲んでいる。
——確実に、何かが軋み始めている。
啓之助は胸騒ぎを押さえきれず、足早に屯所へ戻った。
背後には、今にも燃え上がりそうな灯の色が、長く尾を引いていた。




