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比翼の仇  作者: 烏丸 燈


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第四十五話 理の行く末

 慶応二年、春の陽がようやく京の町にも差しはじめた。

 壬生屯所の庭先では、若い隊士たちが剣を交え、竹刀の音が乾いた空に響いている。

 しかし、その音に宿る熱はどこか鈍く、以前のような勢いがない。

 啓之助は、そんな光景を縁側から眺めていた。


 その日、近藤勇と伊東甲子太郎が西国出張から帰京した。

 出迎えに立った啓之助は、二人の間に漂う微妙な空気を肌で感じ取った。

 表面上はいつも通りの笑みを浮かべているが、視線を合わせようとはしない。

 近藤の口元は強ばり、伊東はそれを意識しているのか、やや距離を置いて歩いていた。


 ――何かが変わった。

 啓之助はその瞬間、胸の奥にひやりとしたものを感じた。


 屯所の中は、久方ぶりの局長、参謀の帰還にざわめいていた。

 だが、近藤が土方と短く言葉を交わしたあと、伊東の姿はすぐに見えなくなった。

 どこかの部屋にこもり、何かを書きつけているらしい。


 啓之助はふと、伊東と交わした言葉を思い出した。

 理をもって人を導く――その志は高潔で、冷静な響きを持ちながらも、どこか寂しげでもあった。

 「理を語る者は、いつか孤独になる」と、伊東はぽつりと言っていた。

 そのとき啓之助は、ただ静かにうなずくしかなかった。




 夜。

 廊下を歩いていると、背後から声がかかった。


 「よぉ、啓之助君。少し付き合ってくれないか」


 藤堂平助だった。

 提灯を片手に、いつもの人懐っこい笑みを浮かべている。

 しかしその笑みには、どこか翳りがあった。


 二人は屯所の裏手にある小さな中庭に出た。

 春の風が梅の香を運び、遠くで虫の音が微かに鳴いている。


 「伊東先生が帰ってきたね」

 藤堂がぽつりと切り出す。


 「ええ。……けれど、近藤さんとの間が、少し……」

 「険悪か?」

 「はい。旅のあいだに、何かあったのでしょう」


 藤堂は黙って夜空を見上げた。

 その横顔に、月明かりがやわらかく差し込む。


 「なぁ、啓之助君。君はどう思う? この国の行く末を」


 いきなりの問いに、啓之助は眉をひそめた。

 「この国……ですか」


 「幕府はもう長くない。伊東先生の言う通り、学問と理で導かれなきゃ、武だけの世は崩れる。異国と武力で渡り合えるほどこの国は強くない」

 藤堂は手に持っていた提灯を揺らしながら、ぽつりと続けた。

 「君なら分かると思ったんだ。伊東先生は君のこと、気にかけてるよ」


 「……気にかけて、ですか」

 「あぁ。君みたいな理屈屋は、ここじゃ浮くからね」

 冗談めかした口調だったが、そこに笑いはなかった。


 啓之助は少し息を整えてから、静かに言った。

 「伊東先生の理想は、立派だと思います。人の上に立つ者が、理を持って人を導く……。けれど、それを貫くには、あまりにも現実が泥まみれです」


 「泥まみれ、か。……確かに」

 藤堂は笑いもせず、ただ頷いた。

 「山南さんのときから、もう……何かがおかしくなってる気がするんだ。新選組を維持するために道理も通さず疑わしきは斬れ、になってる。そんな厳格な規律でやっとこさ成立する組織ってなんだろうな」


 啓之助は黙って耳を傾けた。

 藤堂の声は震えていた。

 それは、迷いを抱えた男の声だった。


 「僕は……伊東先生の考えが本当に正しいかどうかなんて分からない。ただ、このままじゃ新選組が壊れる気がするんだ」

 藤堂はそう言って、夜空に息を吐いた。

 「君みたいなやつが伊東派に来てくれたら、すごく頼もしいなと思ってね」


 啓之助は、しばらく言葉を探した。

 風が、木の葉をさらりと撫でる音がした。


 「……ありがたい話ですが、僕はまだ……父の仇を討ててません」

 その言葉に、藤堂はふっと目を細めた。

 「真面目だなぁ、君は。まるで昔の僕を見てるみたいだ」


 少しの沈黙。

 藤堂は、提灯の明かりを見つめながら小さく呟いた。


 「伊東先生は、理で人を導こうとしてる。けど、近藤さんは刀で人をまとめようとしてる。どっちも間違っちゃいない。……だけどな、理と刀はいつも相容れないんだ」


 その言葉に、啓之助は胸の奥がざらりとした。

 理と刀。

 自分の中に残る父の理、そして父を斬った河上彦斎の刀。

 その二つの狭間で、啓之助自身も揺れている。


 「藤堂さんは、どうされるつもりなんですか」

 「さぁな。……けど、もう腹は決まりつつある」

 そう言って、藤堂は笑った。

 だがその笑みは、どこか遠くを見ているようだった。


 啓之助は何も言えず、ただその背を見つめた。

 風に揺れる提灯の灯が、ふと消えた。

 その暗闇の中で、啓之助ははっきりと感じた。

 ――近藤と伊東。刃と理がぶつかる時が、もうすぐ来る。


 春の夜は静かで、美しかった。

 だがその静けさの底に、何かがゆっくりと崩れ始めている音が、確かにあった。

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