表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
比翼の仇  作者: 烏丸 燈


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/64

第三十九話 鬼の眼

 残暑に茹だる西本願寺の屯所。

 夕暮れの回廊を、啓之助は巡察帰りの足で歩いていた。

 西日に照らされた格子戸の影が、床に縞模様を落とす。

 その影の中に、ひときわ濃い影が立っていた。


 「三浦」


 振り向くと、土方歳三がいた。

 薄闇に沈む顔には表情がなく、ただ鋭い眼だけが光っていた。

 「話がある。来い」


 その声に、啓之助の背筋が粟立った。

 逃げられない。

 そう悟った瞬間、喉が乾く音まで聞こえそうだった。


 ——副長の呼び出しに逆らえば、その先は地獄だ。


 「はい……」


 案内されたのは土方の執務室だった。

 薄暗い部屋に灯された行灯の火が、畳をぼんやり照らす。

 机の上には書類が整然と並び、その端に湯呑が一つ置かれている。

 土方はそれに口をつけもせず、腕を組んだまま啓之助を見据えた。


 「最近、お前……色々出歩いて何かを嗅ぎ回ってるそうだな」

 「え……」

 「島原の方にも顔を出していたと聞いた。……何の用だ」


 啓之助の心臓が一瞬止まる。

 (誰が見ていた? まさか、あの揚屋の者が……)

 だが、啓之助の頭の中に別の顔が浮かぶ。

 斎藤一。

 (つけられてた……のかもしれない……)

 

 すぐに表情を整える。


 「新入りたちが島原で派手な遊興していると聞きまして。新選組の名に泥を塗らぬよう、見回りをしておりました」


 「ほう……見回りを?」


 土方は無表情のまま、机の上の筆を指先で転がす。

 その音がやけに大きく響く。

 「見回りにしては、妙な話を集めていたようだがな。“肥後訛りの浪士”を探していたとか」


 啓之助の背に、冷たい汗が伝う。

 土方の目は笑っていなかった。

 いや、そもそも笑うという行為がこの男に存在するのか疑わしい。


 「……島原に出入りする浪士に、怪しい者がいないかを——」


 「言い訳はいい」


 その声が、畳を震わせた。

 筆が机を転がり、床に落ちる。

 「お前、最近妙に目が座ってる。誰かの指図で動いてんじゃねぇだろうな」


 沈黙。

 呼吸すらできないほどの圧。

 土方の視線が啓之助の胸を貫いていた。

 この男には、心の奥まで覗かれている気がする。


 啓之助はゆっくりと頭を下げた。

 「恐れながら……私はただ、己の未熟を補うために、微力ながらできることを探し行動しているだけです。

 今の京は治安も悪く、血の匂いで満ちています。それを正し律する事こそが、我々新選組の成すべき事だと信じています」


 土方は微動だにしない。

 行灯の火がぱちりと弾け、影が揺れる。

 しばらく沈黙が流れたのち、土方は低く言った。


 「……口が上手ぇな。まるで御用聞きの役人みてぇだ」


 皮肉とも試しとも取れる声音。

 啓之助は息を殺して答える。

 「副長の教えを学ばせていただいた結果です」

 「へぇ……。俺の教えを、な」


 土方の口元にかすかな笑みが浮かんだ。

 その笑みは、怒りよりも恐ろしいものだった。


 「忘れるな。新選組は“理屈”じゃ動かねぇ。“誠”で動く。

 お前の理屈が、この組の掟に逆らうようなら——斬るぞ」


 声は静かだった。だが、刃より鋭い。


 「……心得ております」


 やっとの思いで言葉を返した。

 土方は啓之助をじっと見つめたまま、やがて筆を拾い上げた。

 「下がれ。次の巡察は明後日だ。遅れるな」


 「はっ」


 襖を閉めた瞬間、啓之助は膝が震えた。

 (……危なかった)


 廊下に出ると、夜風が頬を撫でた。

 啓之助は拳を握る。

 (土方さんには……少しの隙も見せられない)


 遠くで虫の声がした。

 それはまるで、夜そのものが啓之助の胸に忍び寄ってくるようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ