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比翼の仇  作者: 烏丸 燈


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第三十七話 時代に斬られた者

 夏の陽は容赦なく照りつけ、京の地面を焼いていた。

 西本願寺の屯所を出た巡察の列が、ゆっくりと二条通を進んでいく。

 啓之助は、前を歩く沖田総司の背を見つめていた。浅葱色の羽織が風を受けて、ゆるやかに揺れている。


 ——今こそが尋ねる時だ。


 池田屋事件の記録を調べ、永倉新八から話を聞いて数日。

 彼の中に芽生えた確信は、日に日に重みを増していた。

 (父の仇を討つためには、あの夜の真実を知らなければならない)


 だが不用意な言葉は命取りになる。

 土方に勘付かれれば、裏切り者として惨殺される。

 沖田に聞くとしても、慎重に探らねばならない。


 日が傾き始めた頃、巡察が一区切りつき、休憩が入った。

 沖田は道端の茶屋に腰を下ろし、扇子で首筋をあおいでいた。

 啓之助は隣に座り、湯呑に注がれた薄茶を口に含む。


 「暑いですね、沖田さん」

 「ほんとに。夏の京は地獄だよ。池田屋の時も、あの暑さで頭がぼうっとして……」


 啓之助は、その一言を聞き逃さなかった。

 (自分から話題を出した……)


 「その夜、二階で戦われたとか」

 「そうそう。よく知ってるね。部屋の中に熱気がこもって、まるで風呂の中みたいだった」

 沖田は苦笑した。

 「気づいたら暑気あたりで倒れててね。あの時は本当に情けなかったな」


 「……敵は多かったのですか?」


 「うん。狭い階段を駆け上がったら、あちこちから斬りかかってきた。こっちは人数が少ないからさ、捌くのが大変だったよ」

 沖田は茶を飲み干し、涼しい顔で続けた。


 「そうなんですね……。敵は長州の人達だったんですか?」

 啓之助はなるべく自然に尋ねた。


 「そう。闘ってる時に長州訛りが聞こえてきてたね。でも、土佐訛りも多かったなぁ。あと、その場をまとめてた人が肥後の人だったみたいで「はよ外出らんか!おれが盾んなるばい!」って言ってたな」


 沖田は記憶を思い起こすように遠くを見つめ首を傾げた。


 その場をまとめていた立場にある肥後浪士。

 その言葉を発したのは宮部鼎蔵の可能性が高い。


 震える拳を握り落ち着かせながら、啓之助は平静を装った。


 「肥後、ですか。珍しいですね」

 「うん。肥後藩は佐幕派だし表立って攘夷に動くことは少ないからね。まあ、京にはいろんな浪士が集まってたし、不思議じゃないよ」


 沖田は軽く笑いながら、啓之助の顔を覗き込んだ。

 「でも君がそんなことを気にするなんて、珍しいね。どうしたの?」

 斎藤や永倉のように疑う詮索ではなく、純粋な興味が沖田の顔に浮かんでいた。


 啓之助はわずかに視線を伏せ、涼しい声で答えた。

 「史に残る記録を書き留めておきたくて。……あの夜の戦は、後の世に語り継がれるでしょうから」


 「はは、なるほど。まじめだねぇ」

 沖田は笑い、湯呑を置いた。

 「でもね、記録なんて当てにならないよ。あの夜にいた誰もが、自分が何をしたのかはっきり覚えちゃいない。血と汗と叫びで、全部がごちゃごちゃだった」


 その言葉は、啓之助の胸に深く刺さった。

 (つまり、宮部鼎蔵を斬った者も、自覚していない可能性がある……)


 沈黙が降りる。

 蝉の声だけが、遠くで鳴いていた。


 「……沖田さん」

 啓之助は思わず口を開く。

 「盾になろうとした肥後浪士の方はどうなったのですかね」


 沖田は少し考え、そして穏やかに笑った。

 「さあね。僕が斬ってないのは確かだ。あの声が聞こえてきた時には、もう立っていられなかったから」


 「では……」


 「でも、例え誰が斬ったとしても、それは時代がそうさせたんだ。斬った者も、斬られた者も、皆ね」


 その目は、驚くほど優しかった。

 啓之助は息を詰める。

 ——この人もまた、時代の流れに身を投じた一人なのだ。

 ——父も、そうだった。


 沖田は立ち上がり、刀を腰に差し直した。

 「さ、そろそろ戻ろう。外で話し込んでいたのが土方さんにバレたら、また小言を食らう」


 その背を追いながら、啓之助の胸には新たな決意が芽生えた。

 (次は……近藤局長だ。真実に近づくためには、避けて通れない)


 彼の歩みは、静かだが確実に運命の方へと進んでいた。

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