第三十三話 何よりも残酷な真実
朝の光がまだ柔らかい頃。
啓之助は、数日前に訪れた浄土宗の寺を再び訪ねた。
境内には青葉の香が淡く漂い、新緑が石畳に影を差していた。
(河上彦斎がいるかもしれない——)
あれ以来、啓之助は巡察の合間に何度もこの辺りを見回していたが、手がかりは掴めない。
今日も、巡察帰りにただの勘に導かれて足を運んだにすぎなかった。
——だが、運命は奇妙な巡り合わせを見せる。
ふと目を向けると、境内の端に黒い羽織をまとった小柄な男が立っていた。
静かな佇まいで、新緑を見上げている。
啓之助は息を呑んだ。
「あ……あなたは」
男が振り向く。
それは、以前にも何度か顔を合わせた浪士だった。稽古をつけてもらったり、理想について語り合ったりした。
名前も知らないが、不思議と印象に残る。
「また会ったな」
浪士は柔らかく笑んだ。
「どうも君とは何かと縁があるようだ」
「ええ……本当に。不思議なものですね」
啓之助も微笑みながら近づく。
風が吹き抜け、二人の間に土煙が舞った。
浪士は啓之助の着るだんだら羽織に目をやった。
「その羽織、新選組か」
「はい」
「なるほど。だから、京の町をよく見回っているわけだ」
演技がかった、どこか探るような口ぶりだった。
しばし沈黙が流れたのち、浪士が皮肉交じりに問う。
「しかし、寺を見回るほど仕事にあぶれてるのか?」
啓之助は迷った。
だが、ここまで話をした相手ならと、打ち明ける決意をした。
「今は職務ではありません。父の仇を探しております」
浪士の表情がわずかに変わった。
「まだ見つかってないのか」
「はい……。父を殺したのは肥後の浪士だと聞いています。ここに、その者が参ったと聞き、確かめに来ました」
浪士はゆっくりとまばたきをした。
「肥後の……浪士」
その言葉を繰り返す声には、微かに沈んだ響きがあった。
啓之助は気づかないまま、続けた。
「私はまだ未熟ですが、父の無念を晴らしたく……」
浪士は啓之助をじっと見つめた。
くりくりとした瞳の奥に宿る、まっすぐな光。
どこかで——この目を見たことがある。
——真っ昼間の往来で斬り伏せた男。
斬られる寸前、まっすぐにこちらを見据えていた信念のある強い瞳。その瞳が癇に触り、一太刀で殺した後に何度も斬り刻んだ。
思わず喉が鳴った。
胸の奥で、何かが凍りつくように確信に変わっていく。
「……君の父上は」
浪士は、静かに言葉を探した。
「佐久間象山殿ではないか?」
啓之助の身体が強張った。
「なっ……なぜ、それを……」
浪士は目を伏せた。
風に彼の長い髪が遊ばれる。
しばしの沈黙ののち、彼は顔を上げた。
そして、低く、淡々とした声で言った。
「あたるまえたい。——おまえの父ば斬ったとは、俺たい」
その言葉には真実を分からせるように、わざと肥後訛りが滲んでいた。
その瞬間、啓之助の世界が静かに崩れた。
音が遠のき、風の音さえ聞こえない。
ただ、自分の心臓の鼓動だけが、耳の奥で鈍く響いていた。
「な……何を……言って……」
浪士——河上彦斎は、静かに啓之助を見つめていた。
その瞳には光を映さず深い闇だけ映していた。
だが、ひとつだけ確かなのは、彼が真実を隠そうとはしなかったということだった。
啓之助は膝の力が抜け、立ち尽くした。
胸の奥で何かが軋むような痛みが走る。
父を殺した仇は——
目の前で、穏やかに微笑んでいた。




