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比翼の仇  作者: 烏丸 燈


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第二十四話 雪花の朝、消えた影

 その朝、壬生の空は鉛のように重かった。

 夜半に降った雪が庭の地面を薄く覆い、吐く息は白く凍る。

 啓之助はいつものように早起きして、庭の雪かきをしていた。

 竹箒の先が霜に鳴る。冷えた空気の中、どこか異様な静けさが漂っていた。


 「……あれ?」


 ふと、廊下を通りかかったとき、山南の部屋の戸がわずかに開いているのに気づいた。

 いつも几帳面な山南にしては珍しい。

 声をかけたが、返事がない。

 戸をそっと開けると、部屋はすっかり片づけられ、机の上には一通の封書が置かれていた。


 ——「諸君へ」。


 見慣れた筆跡に、啓之助の心臓がどくんと鳴る。

 手が震えながら、封を切った。


『同志の諸君。

私、山南敬助は、己の志を見失い、ここに留まること叶わず。

局長、副長をはじめ、諸兄に多大なる恩義を受けながら、この身、組を去る。

理想を見失い、誠を貫けぬ己を恥じるのみ。

ただ、どうか三浦啓之助君には、自分の信念を信じ続けてほしい。

敬白。』




 膝の上で紙が音を立てた。

 (……脱走……? まさか、山南さんが?)


 耳が熱を帯び、息が詰まる。

 廊下に飛び出した啓之助は、近くの隊士たちに声をかけた。


 「山南さんを見ませんでしたか!」

 「さぁ……今日は見てないが……まだ部屋にいるんじゃないか?」

 「いいえ、部屋には——」


 その言葉を遮るように、土方歳三が現れた。

 眉間に皺を寄せ、無言で啓之助の手元の手紙を奪い取る。

 文面を一瞥しただけで、彼の表情は一片も動かなかった。


 「……そうか。山南さんが、か」


 その声には怒りも悲しみもなく、ただ氷のような静寂があった。

 啓之助は震える声で言った。

 「副長……山南さんは、ただ疲れて——」

 「脱走は切腹だ」

 土方の言葉は短く、鋭く、切っ先のようだった。

 「法度は絶対。身内だからと情けをかければ組が崩れる」


 啓之助は口を開きかけたが、言葉にならなかった。

 土方の握り拳が白くなるほど力を込めて握られていたからだ。

 ——それでも、彼は鬼を演じる。


 そこへ沖田総司が駆け込んできた。

 「土方さん! 山南さんの部屋がもぬけの殻で……」

 「知ってる」

 土方は冷たく言い放つと、しばし黙し、深く息を吐いた。

 その沈黙の重さに、周囲の空気が凍りつく。


 「総司。お前が行け」

 沖田の表情が凍る。

 「……僕が、ですか」

 「山南さんを探せ。どこにいようと見つけ出して連れ戻せ。——できれば、生きて、だ」


 短い指示。だが、その中に込められた意味を、沖田はすぐに悟った。

 (見つけたら、止められない……止めることは、許されない)

 沈痛な沈黙が流れた。

 沖田は小さく頭を下げ、「承知しました」とだけ答えた。


 その場に残された啓之助は、堪えきれず口を開いた。

 「副長……どうして、そんな……! 山南さんは辛くなってしまって——」

 「どんな理由があろうと武士が戦場から逃げる事は許されねぇ」

 土方は背を向けたまま言い捨てる。

 「士道不覚悟だ」


 廊下の外から、雪を踏む足音が響いた。

 沖田が白い息を吐きながら、馬を連れ静かに門を出ていく。

 その背中を見送りながら、啓之助は拳を握りしめた。


 (組を守るために、鬼になる……それが、土方さんの“理”なのか)


 その夜、壬生の空は再び雪を降らせた。

 沖田の帰りを待つ屯所の灯は、まるで冷たい冬の星のように、凍てついたまま揺れていた。

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