表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
比翼の仇  作者: 烏丸 燈


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/64

第二十三話 理の光と影

 冬の気配が忍び寄る頃、壬生の空は澄みわたっていた。

 日ごとに冷え込みが増し、屯所の庭木はすでに赤茶の葉を落としている。

 その庭を囲む縁側に、伊東甲子太郎と山南敬助の姿があった。


 伊東は白い手で湯呑を持ち上げ、柔らかく微笑む。

 「いやぁ、やはり山南さんと話していると、心が落ち着きますな。あなたの言葉には道理がある」


 山南は少し照れくさそうに笑った。

 「伊東先生にそう言われては恐れ多い。私など、ただの実務担当にすぎませんよ」


 「そんなことはない」

 伊東は湯を啜り、微かに頷いた。

 「剣も理も、結局は“人の道”をどう導くかに尽きる。あなたのように人の心を見ようとする者が、この組には欠かせないと思うのです」


 その言葉には打算も飾りもなく、真摯な温かさがあった。

 啓之助は庭の掃き掃除をしながら、二人のやりとりを聞いていた。

 伊東の声はどこまでも柔らかく、しかし不思議な威厳がある。

 言葉の一つ一つが理路整然としており、それでいて押しつけがましくない。

 (……この人が“理で人を導く”というのは、こういうことなのか)

 思わずそう感じた。


 山南もまた、久しぶりに心を許せる相手を得たように見えた。

 微笑みながら、互いに北辰一刀流の剣術の型や時勢について語り合う二人の姿は、穏やかでどこか理想的ですらあった。


 だが、啓之助の目には——その穏やかさの奥に、小さな陰が見えた。




 夜。

 書院で伊東と山南が地図を広げ、長州征伐を想定した行軍計画の詳細を練っていた。

 灯明の下、筆が滑る音と紙の擦れる音が静かに響く。


 「……この隊を、幕府のためだけの刃にしてはいけないと思うのです」

 伊東がふと呟いた。

 「幕府は権力に固執して腐敗している。なればこそ、天皇に仕えて民に手本を示す。それが真の武士の在り方ではないでしょうか」


 山南は筆を止めた。

 「民を、ですか。……しかし、我々は浪士の寄せ集め。民に信を得るほどの徳を、持てているのでしょうか」


 「徳は後から育つものです。信念が先にあれば、いずれ人はついてくる」

 伊東は穏やかに笑った。

 「近藤局長は“力”で人を導く方。だが、あなたのような人は“理”で導ける。私は、そういう指導者が必要だと思うのです」


 その言葉に、山南は一瞬、表情を曇らせた。

 (理で導ける人間……私が……?)


 伊東の眼差しは純粋で、悪意はまるでなかった。

 だからこそ、山南の胸には奇妙な焦燥が湧き上がった。


 かつて自分が語っていた志——誠実に人を導くという信念。

 それを、今は山南ではなく伊東が体現している。

 (私は……もう、あの頃の自分じゃないのか)


 灯火に照らされた二人の横顔。

 伊東の顔には理知の光があり、山南の顔には影のような疲労が滲んでいた。




 翌朝、山南は庭で剣を振っていた。

 冷たい風が吹き、竹刀が空を裂く。

 その背に、啓之助が声をかける。


 「山南さん、伊東先生と最近よくお話しされてますよね」

 山南は手を止め、微笑を浮かべた。

 「ええ。……良い人だ。理想を持ち、それを人に伝える力もある。まるで、かつての私のようだよ」


 「かつて、の……?」


 「いや、何でもない」

 山南は竹刀を立てかけ、縁側に腰を下ろした。

 冬の朝日がその横顔を照らす。

 「伊東先生のような人が来てくれたのは、新選組にとって良いことだ。組に先生の言う理が宿るかもしれない」


 「そうですね。私も、伊東先生のお話を聞いていると不思議と前を向ける気がします」

 啓之助の言葉に、山南は小さく頷いた。

 だが、その笑みの奥には、ほんの僅かな影が見えた。


 (理が宿る……か。だが、それを語るのが私ではないという現実が、少しだけ……痛いな)


 啓之助はその微かな心の揺れに気づきながらも、何も言えなかった。

 冬の風が、庭の竹を鳴らした。

 その音が、どこか遠い別れの合図のように聞こえた。




 その日の夕刻、伊東は屯所の廊下で啓之助を見つけ、微笑みかけた。

 「三浦君、君は山南君と良い関係を築いておられると聞いたよ」

 「はい。山南さんは、僕にとって学ぶことの多い方です」

 「そうだね。あの方はこの組には珍しい温和で理知的な人だ。だからこそ、今の組で苦しんでいるようにも見える。……私は、彼のような人に再び光を取り戻してもらいたいと思っているよ」


 伊東の言葉は、誠実そのものだった。

 だが啓之助の胸には、かすかなざわめきが残る。

 (伊東先生の言葉は完璧だ。だけど……なぜこうも眩しすぎるのだろう)




 その夜、山南は自室で一人考え込んでいた。


 (伊東さんはまっすぐな人だ。だが、彼の光はあまりに強く、私の影を深くしてゆく)


 山南は小さく息を吐いた。

 その息は白く、冬の夜に溶けて消えていった。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ