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比翼の仇  作者: 烏丸 燈


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第二十一話 理を掲げる人

 冬の気配を匂わせる京は、澄んだ風が肌を刺すほどに冷たかった。

 屯所の門前に新たな一団が現れたのは、そんな朝のことだった。


 「局長、伊東甲子太郎殿以下を連れ江戸より到着!」


 伝令の声に、隊士たちがざわめき門付近に集まった。

 近藤の隣に立つ男は、背が高く、痩身の体をまっすぐに保っている。

 髪は丁寧に撫でつけ、袴の皺ひとつない。

 その立ち姿には、剣客というより学者のような静謐さがあった。


 「これが……伊東先生……」

 啓之助は列の隅で、思わず息を呑んだ。


 伊東の目はよく通った黒曜石のようで、鋭くも穏やかな光を宿していた。

 その眼差しが土方らに向けられたとき、柔和に細められた。

 道義をもって人を導く者の目——そう感じさせる何かがあった。


 近藤勇が笑顔で伊東に屯所を案内する。

 「よくぞ来てくれた! これからは剣だけでなく知恵も必要になるからな! 伊東先生、頼りにしているぞ!」


 「もったいないお言葉です、近藤局長」

 伊東は深々と一礼し、静かに笑んだ。

 その笑みには押しつけがましさがなく、周囲の空気を自然に柔らげる不思議な力があった。


 「剣で敵を討つことは易しい。しかし、言葉で人を導くことは難しい。私はその難き道……“(ことわり)”とでも言いましょうか。それを歩む覚悟で参りました」


 その声は落ち着いていて、響きが柔らかかった。

 近藤が豪快に頷く。

 「うむ、心強い! うちの者たちにも“理”というやつを叩き込んでやってくれ!」


 笑い声が広がる中、土方だけが無言でその様子を見つめていた。

 伊東もまた、その沈黙に一礼で応じる。互いに探り合うような一瞬の静寂が流れた。




 その日の夕刻。

 屯所の庭に灯がともり、冷えた空気の中で息が白く漂っていた。

 啓之助は夕餉の芋を焼く為の薪をくべながら、先ほどの出迎えの光景を何度も思い返していた。


 (まるで……父上のようだ)


 人を道義で導き、志を言葉で支える姿。

 それは門弟に教えを授ける佐久間象山の面影と重なっていた。


 その時、背後から声がかかった。

 「君が三浦君だね。火を見ていると心が落ち着くね」


 振り向くと、薄灯りの中に伊東の姿があった。

 夜風の中でも乱れぬ姿勢。どこか詩人めいた静けさをまとっている。


 「伊東先生……!」

 啓之助は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。

 「三浦啓之助と申します。父が……佐久間象山で……」


 「存じているよ」

 伊東は微笑した。

 「君の父上の書は、私も読み耽った。あの理論は時代を何十年も先行している。惜しいかな——あのような先見の士を、幕府は理解できなかった」


 「……ありがとうございます」

 啓之助は胸が熱くなるのを感じた。

 新選組の中で象山の才を真に認める人に出会ったのは初めての事であった。


 「君も父上の志を継いでいるのだね」

 「私は……父の仇を取るために学より剣の道を選びました。ですが、まだ何も掴めていません」

 「掴めないのではなく、見えすぎているのだよ」

 伊東の言葉に、啓之助ははっとした。


 「理を知る者は、現実の泥に足を取られやすい。だが君のように迷う者こそ、人の痛みを知る。学も剣も、人を守るためにある。……そう思わないか?」


 その声には、穏やかながら不思議な説得力があった。

 啓之助は頷いた。

 「……父上の言葉のようです。ですが、先生の言葉にはより温かみがあります」

 「はは、温かみか。私はただ、誰もが志を持てる世を信じているだけだよ」


 伊東は夜空を仰いだ。

 雲の切れ間から、ひと筋の月光が降りている。

 「京は血で染まり、幕府も藩も腐敗している。それに染まり力だけを掲げた時、我らは獣に堕ちる。

 剣が理を支え、理が剣を導く。私はその在り方を、新選組で試したい」


 啓之助はその言葉に胸を打たれた。

 (藤堂さんの言った通りだ……この人なら……本当に新選組を変えてくれるかもしれない)


 (藤堂さん、隊士募集の仕事が残ってるとかでまだ江戸にいるんだよな……。早く帰ってこないかな)


 啓之助は闇夜が迫る夕暮れを見つめた。




 翌朝。

 屯所の講堂では伊東が「士道」の講義を開いていた。

 筆を走らせながら語るその姿に、若い隊士たちは息を呑んだ。


 「志とは己を律する剣。正義を疑うことを恐れるな。己の心を鍛えよ」

 「学は剣と同じ。怠れば錆び、驕れば折れる」


 土方は廊下の陰から黙ってその光景を見ていた。

 隊士たちが食い入るように伊東の言葉を聞く。

 その中で啓之助もまた、真剣な眼差しで伊東を見つめていた。


 「理想という火は、恐怖では消せぬ」

 その一言が響いたとき、土方の眉がわずかに動いた。


 (……ただの綺麗事だ。だが、綺麗事に人は惹かれる)


 土方は踵を返し、廊下を静かに去っていった。

 その背を、啓之助は気づかぬまま見上げていた。


 ——この日、啓之助は心の奥に確信を抱いた。

 「この人は父と同じだ。理知的で先見の明がある」と。


 啓之助は無意識に亡き父の影を伊東に重ねていた。

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