第十七話 月下の再会
島原の揚屋の座敷は、熱気と喧噪で満ちていた。
近藤勇が盃を高く掲げると、沖田総司が楽しげに手を叩いた。
「ははっ! 近藤さんが楽しそうだと、こっちまで嬉しくなりますね!」
童顔の笑みは無邪気そのもので、近藤を心から慕う子供のような輝きを放っていた。
その横で、藤堂平助は盃を口にしながら視線を伏せていた。笑みに隠れた陰があった。近藤の豪快さに共鳴する気持ちと、本当にこのまま力を振りかざすようなやり方でいいのかという悩み。その両方が胸に絡みつき、素直に声を上げられなかった。
斎藤一は杯を進めながら、細い目を笑みに歪めていた。
「……烏合の衆もまとまればまとまるものだね」
彼の皮肉には冷笑と諦観が混じっていた。新選組の人間関係を達観するような眼差し。誰が大将で、誰が従い、誰が鬱屈を抱いているか、その全てを見透かしているような笑みだった。
——熱狂の渦に取り込まれることなく、啓之助はただ盃を置き、厠と言って座敷を抜け出した。
外に出ると、夜気が頬を撫でた。
揚屋の門の外は、三味線の音も灯の明かりも届かず、静まり返っている。酒と煙の匂いに満ちた肺がようやく軽くなり、啓之助は大きく息を吐いた。
(ここにいて……本当に父上の仇が討てるのか……)
華やかな酒宴の中で啓之助の胸に残ったのは、不安と孤独だった。
そのとき、石畳の先に人影が見えた。
月明かりに照らされ、小柄で細身の影がこちらに歩いてくる。
「……あなたは」
「また会ったな」
柔らかく笑んだその顔に、啓之助の胸が和らいだ。竹藪の中で稽古をつけてくれた浪士である。
童顔に似合わぬ涼やかな眼差し。女のように白い頬に、微かに月光が射している。
「こんなところで会うとは思いませんでした」
「仲間との集まりで島原に来たが……騒がしい席は苦手でな。外の空気の方が落ち着く」
二人は並んで石畳を歩き出した。
「あなたの事、ずっと気になっていて」
啓之助は口を開いた。
「仇を討つために京に来た、と……あなたも同じ志を持っていると知って……その……親近感が……」
彦斎は微笑を浮かべ、静かに頷いた。
「そうだ。親友を斬った相手を、この手で討たねばならない。君も同じ思いだろう?」
「……はい。父を斬った相手を討たねば、私は息子として生きていけない」
「そこまで想われる父君ならば、良い父君だったのだろうな」
彦斎はふっと表情を和らげる。
「……何とも言えませんね。大好きで大嫌いな父上でした」
啓之助はぎこちなく笑う。
「私は一人息子としてそれはそれは父上に可愛がられていました。あの大きい手で頭を優しく撫でられるのが好きでした。ですが、その手が母を叩くのは嫌いでした。学もあり志高い父上を尊敬してました。でも、それを鼻にかけて高慢ちきに振る舞う姿にはうんざりしてました」
ぽつりぽつりと心情を吐露する啓之助を彦斎は手で制した。
「皆まで言わずともいい。それでも仇討ちするのだろう?」
「……はい」
啓之助は消え入りそうな、だがしっかりとした返答をした。
「さて、俺の親友の話もしよう。それでおあいこだ」
「親友は頭が良く、俺に兵法を教えてくれた師匠でもあった。真面目な堅物でな。だが、熱くなると止まらない悪い癖もあった。俺も一線越えると熱くなるタイプだからな。彼とはたまに衝突したりもしたよ。そうした時は一晩中熱く語り合ったものだ」
笑みを溢しながら愉快そうに想い出す彦斎。
啓之助もまたその笑みにつられて微笑んだ。
互いの瞳が、月明かりの下で交わった。
啓之助の胸に、不思議な安堵が広がる。新選組にいても感じられなかった「共感」が、目の前の浪士から自然に伝わってきた。
「剣を振るのは怖くありませんか」
啓之助の声は震えていた。
「もちろん、怖い」
彦斎は淡々と答えた。
「だが、それ以上に守りたいものがある。友の志を、己の誇りを。それがある限り、剣を抜くことは恐怖ではなくなる」
その言葉に啓之助は胸を衝かれた。
目の前の浪士は、恐怖を認め、それでも剣を握る覚悟を持っている。
「あなたと話すと、不思議と心が楽になります」
「それはこちらも同じだ。血なまぐさい世にあって、志を語れる相手は少ない」
二人は並んで笑った。
やがて辻に差しかかり、彦斎は足を止めた。
「では、また会いましょう」
「そうだな……」
啓之助は深く頭を下げ、浪士の背が闇に溶けるまで見送った。
彼の胸には温かさが残っていた。
だが、真実は残酷だった。
——啓之助の父を斬ったのは、河上彦斎。
——彦斎の親友を斬ったのは、新選組。
互いの正体を知らぬまま、二人の友情は月下で育ち始めていた。




