第十五話 初めての面目
屯所の座敷には、今宵も酒の匂いと笑い声が漂っていた。
永倉新八と原田左之助が向かい合い、徳利を挟んで大声を張り上げている。互いに杯を置き、顔を真っ赤にして怒鳴り合っていた。
「いいか左之! 突きが最強なんだよ! 一撃で喉を射抜けば相手は終いだ!」
「ばーか! そんなもん当たるかよ! 斬り合いは斬撃が命だ! 俺の槍でだってそうだ!」
声がぶつかり合うたびに膳が揺れ、徳利が倒れて酒が畳に染みこんだ。酔いの熱で空気はむせ返るように濃く、場の熱気は一触即発のように張りつめていた。
藤堂平助が慌てて間に割って入った。
「ちょ、ちょっと待てよ二人とも! ここは屯所なんだぞ。物を壊したら土方さんにどやされる!」
「平助、お前は黙ってろ!」永倉が一喝する。
「こいつの言ってることが無茶苦茶だからな!」
「なんだと!」原田も拳を振り上げて応じる。
「俺は真理を言ってんだ!」
藤堂の声は、荒れ狂う二人にかき消されるばかりだった。
座敷の隅で縮こまっていた三浦啓之助は、額に汗をにじませながら二人を見つめていた。新選組の荒っぽさにはようやく慣れ始めたところだったが、今にも手が出そうな剣呑さに息を呑む。
藤堂が困り果てた目でこちらを見た。その視線に押されるように、啓之助は思わず口を開いた。
「……あの、お二人とも」
声は震えていたが、言葉は止まらなかった。
「突きが有利か、斬撃が有利か……それは一概には言えません。刃の反り、刀身の長さ、戦場の地形、相手との間合い……条件によって最適は変わります」
二人の動きがぴたりと止まった。
「例えば、突きは狭い場所で正確に喉や胴を狙うには有効ですが、横合いから襲われれば斬撃に劣ります。逆に斬撃は大振りになる分、間合いを外せば無力です。結局は、使う者の技量と状況次第……」
言いながら、啓之助の声は次第に落ち着きを帯びていった。頭の中に父・象山の講義が甦る。理論立てて物事を整理するのは、幼い頃から慣れた作業だった。
「……つまり、どちらが『絶対に強い』ということはありません。強さとは、状況を読む眼と、それに応じて選べる柔軟さではないでしょうか」
静まり返った座敷に、しばし沈黙が落ちた。
やがて永倉が、がははと大笑いをあげた。
「はっはっは! なんだよ坊ちゃん、口だけは達者だな!」
原田も頬を掻きながら、苦笑交じりに頷いた。
「へっ、理屈っぽいけど筋は通ってるな。お前、頭だけは親父譲りか」
藤堂が安堵の息をつき、啓之助はようやく緊張を解いた。
頬は熱く、手のひらは汗で濡れていたが、初めて自分の言葉でこの荒くれ者たちの喧嘩を止められたのだ。
その夜、外に出ると月が冴え冴えと輝いていた。庭先で物思いに耽っていると、山南敬助がひっそりと現れた。
「三浦君。さっきは見事だったね」
啓之助は小さく頭を下げた。
「見ていたんですね……剣では到底敵いませんが、言葉なら少しは役に立てるかと思いました」
山南はしばし月を見上げ、静かに言った。
「剣で救えるのは、目の前の一人だけ。しかし学や言葉は、百人、千人を動かす力になる。君の父上も、そのことを信じていたはずだ」
啓之助の胸に、父・象山の面影がよぎった。家庭では横暴で、母や義母を困らせた父。だが学識と志に満ち、先を見据え、世を変えようとした巨人。
——その血を継いだ自分に、できることはあるのだろうか。
月光の下、啓之助は初めて「剣以外の武器」を持てるのかもしれないと感じていた。




