第十一話 藪の邂逅
その日は巡察もなく、久方ぶりの休みだった。
屯所にいても、永倉や原田に竹刀の振りを冷やかされるのは目に見えている。三浦啓之助は、ひとり町はずれの竹藪の中に分け入っていた。
湿った土の匂いと、ざわめく竹の葉音だけが耳に届く。
啓之助は竹刀を両手で握り、何度も振り下ろした。力が空に抜け、手首が返らない。額から汗が滴り、呼吸は乱れるばかりだった。
「——違うな」
不意に背後から声がした。啓之助は驚いて振り返った。
そこに立っていたのは、背の低いひとりの男。二十前後だろうか、小柄で華奢な体躯に白い肌。その顔立ちはどこか女性のように整っており、柔らかな眼差しが印象的だった。
(女性……?なんで男装なんか……。いや、女性にしては声が低い……男性か……?)
「その振り方では、斬るどころか、腕を痛めるぞ」
男は静かに近づき、啓之助の背後に立った。
「肘を固めず、腰で振るんだ。足の裏で地を踏みしめて、肩に頼るな」
その声音には不思議な説得力があった。啓之助は素直に構えを直し、言われるままに竹刀を振る。
すると、空気を裂く音が今までよりも鋭く響いた。
「……すごい」
思わず息を呑む。男は口の端をわずかに上げた。
「剣は力じゃない。肚から流れを繋げれば、刃は勝手に走る」
啓之助は相手の優しげな表情に戸惑いを覚えていた。
——女性のように柔和な顔立ちだ。だが、立ち居振る舞いは研ぎ澄まされている。
その不思議な違和感に呑まれつつも、なぜか心は安らいでいた。
「どうして、そんなに強くなりたい?」
ふいに男が問いかけてきた。
啓之助は一瞬迷い、やがて竹刀を握りしめたまま答えた。
「父の仇を討つためです」
竹の間を渡る風が一層強くなり、藪がざわめいた。
男は目を細め、しばし黙してから口を開いた。
「……そうか。俺も同じだ」
その声音は穏やかだったが、奥底に鋼のような響きを孕んでいた。
「京で切られた親友がいた。俺はその仇を討つために、京に来た」
啓之助は目を見開いた。
「……あなたも、仇討ちを……」
「そうだ」
男の眼差しがわずかに鋭くなった。だが、次の瞬間にはまた柔らかな笑みに戻っていた。
二人はしばらく言葉を交わさなかった。竹刀を振る音と、藪のざわめきだけが続く。
やがて啓之助は小さく笑った。
「……不思議ですね。初めて会ったのに、あなたの言葉はすっと胸に入ってくる」
「目的が似てる者同士だからだろう」
男もわずかに微笑んだ。
名も知らぬ者同士、しかしどこかで通じ合ったような感覚。
啓之助は胸の奥にわずかな温かさを覚えた。
——だがこの優しげな男こそ、父・象山を斬った「人斬り彦斎」であった。
そして河上彦斎もまた、目の前の少年が新選組隊士であり、池田屋で倒れた親友・宮部鼎蔵の仇の一員であることを知らない。
互いの素性を知らぬまま、二人は仇として相まみえる未来へ歩み出していた。




