第九話 『ディオーネ』沈没・下
竜血出力計と対気速度計の針が盤面の右に傾き、外の景色も徐々に早く流れて行く。
きっと艦尾から生えた一対の竜血機関のパドルも赤熱化しているのだろう。
「現在対気速力九〇ノットです。まだ伸びます」
「よし、進路そのまま。ビーリン灯台船まで過負荷運行を維持」
ラストラの下令に緊張が含まれる。二つの機関の奏でる音に対して、水を打ったように艦橋は静まりかえっていた。
皆が『ディオーネ』の出しうる機関出力と、考え得る最悪の自体に口を固く結び、拳を強く握っていた。
そして伝声管からの怒号が、それを現実の物にしてしまった。
「飛竜が! 飛竜がこちらに向かってきます! 相対距離二〇パーム、いや一八パーム!」
「艦長!」
俺は叫んだ。
「竜血機関の出力半減を具申します!」
「いや、このまま前進一杯で灯台船まで行く。竜ではこの『ディオーネ』の速力には追いつけん」
ラストラは眼を細めて艦橋のガラスの外に映る飛竜を追うと、そう言い切った。
「恐慌状態の竜は通常の竜の速力を大きく上回ります! 文字通り命を燃やして襲いかかるのです!」
「ハウェイズ一尉! 君の博学はよくわかった! だが出力を緩めれば竜はたちまち我が艦を襲うぞ! パドルの熱で竜血はもう熱されているのだ!」
そうだった、と俺は歯を軋ませた。
もう竜血機関のパドルは熱されきっている。今さら機関本体の出力を下げたところで濃縮竜血は焚かれ続ける。パドルが冷やされるまでの間まで飛竜の恐慌を抑えられない。もうどうにもならないのだ。
それならばもっと早くに何としても止めるべきだった、と怒りと焦りの混じったやりきれなさが俺を襲う。
だが、もう遅い。
畜生! 畜生! と内心で叫んでも、もうラストラの言うように手遅れなのだ。
だがそれでもやり様はあるはずだ。俺は額を抑え、頭を巡らせる。
「過負荷運転を維持せよ! 主砲塔と左舷副砲は竜を迎撃!」
ラストラの絶叫が続く。もはやラストラの指示こそがこの状況下では最良の決断となるだろう。
竜血機関の出力計と速度計はどんどん右に傾く。それでも恐慌状態の竜は徐々に視界に広がってくる。
もはやラストラの言うように機関出力で差を付けるしか飛竜を退ける方法はないだろう。
それでも何とか竜を退けなければ、と思考を巡らせる俺に対して、より大きくなる機関の駆動音は切迫する焦りを刺激する。
竜血機関の出力計がレッドゾーンに振り切れる。それでも『ディオーネ』に突っ込む飛竜は止まらない。恐慌に狂った飛竜の眼がもう俺の眼にも映る。赤く血走り、開ききった瞳孔が俺に、命を賭けてでも俺たちを、この艦を止めようとする意志を語りかける。
その横面を、砲弾が叩く。数少ない実包の榴弾が亜竜の正面で炸裂し、破片が竜の鱗と羽根を割くが、それでも竜は止まらない。
前後の主砲のどれかが大飛竜の群れをなぎ倒したが、それでも止まることはない。
「速力、出力、どうか」
ラストラが少し震えた声で聞き返す。
「過負荷一杯で、現在対気一〇九ノット!」
「吹け上がりは良いようだな」
ちらと艦橋の端を見る。
「――だが竜は引き離せないか」
竜と艦の距離は縮まって行く。いくら戦艦よりも軽快な巡空艦と言っても、身一つで、全力を振り絞る飛竜に比べれば加速が鈍重すぎるのだ。
「距離五パーム! パドルに衝突します!」
「畜生!」
俺は絶叫する。
「艦長! あんたは竜を舐めすぎた! 俺の具申を聞いていればこんなことには!」
「そうです、ハウェイズの言うことを聞くべきでした!」
俺に続いて尉官たちがわあわあと叫ぶが、それでもラストラは動じることなく呟く。
「――ならば君は軍というものをわかっていないのだ! ハウェイズ!」
ラストラがそう言ったかと思った次の瞬間、艦は激しく揺さぶられる。
次々に衝撃が襲い、その度に竜血機関の出力計が揺れ、その度に圧力が下がって行く。
「打ち方やめ! 総員、衝撃に備え! 手近なものに掴まれ! 蒸気機関は両舷停止! 下げ舵三十、着水用意!」
畜生、擱座の準備ばかりは素早いことやりやがって。
衝撃に襲われ、手近な手すりに身体を預けながら、俺は心の中で毒づいた。
そして何度目かの衝撃を受けて、左舷の圧力計の針が一気に降下してゆく。
見ないでもわかる。パドルが壊されたのだ。
ラストラは右舷のパドルがまだ保つうちに海に軟着水しようというつもりなのだろう。しかし右舷のパドルの圧力計の針も次々襲う衝突の衝撃の度に左に傾いてゆく。
「上げ舵三十! 竜血機関停止!」
ラストラの下令に復唱したと思うと、昇降舵が操作され、三度目のエンジンテレグラフの鐘が鳴った。
艦体は艦首を上にして海に突っ込んでいく。
竜血機関の惰性浮力で速度は相殺されるが、それでも降下速度は急だ。熱されたパドルに体当りと鉤爪を立てる恐慌した竜もまた止まらない。
そして数十秒後、『ディオーネ』の艦体は海に叩きつけられた。速度の付いた艦体は水切り石の様に複数回撥ね、やがてじりじりと減速する。
俺たちの身体は一瞬宙を舞ったかと思うと、床に落ちるのを繰り返し続けた。
こうして『ディオーネ』の公試は、竜の衝突による擱座と言う最悪の形で終わったのだった。
*
「やっぱりユフは竜をよく知っていたのですね」
「だが、海面すれすれで加速すれば良いなどは具申していなかったのだな」
フィチの言葉を遮るようにアルカが言う。
「それは後からどうすれば良かったか考えたことを新聞記者が俺が言ったことにしたんだ。あの時咄嗟には思いつかなかった――擱座を決めてからのラストラ四将の操艦は見事だったのは認める」
一〇〇ノットを超えた艦を海に擱座させ、あれだけの大事故にも関わらず死者を出さなかったのは、ラストラの腕前あってのことだろう。
俺はと言えば、擱座のタイミングにもまだ竜を引き剥がす方法を考えていたのだから。
だがそれでも上層部の禍艦憑きのために艦を危険に晒したのもまたラストラ自身だ。
「ええ、でも本当によくわかったことがあるわ」
フィチは俺に微笑みかける。
「貴方はわたくしと共に来ることが望ましい、と」
その笑顔に、なんでその結論に至ったのかと聞き返したくなったが、俺はその疑問を口にするのはやめておいた。
馬車の車輪の音に混じってカモメの鳴き声が聞こえてくる。
もうじきリッドマスの港だ。




