第七十四話 出撃前夜――機関室の一幕
「貴方は本当にここに居るつもりですか、ドール・ククラ」
「ああ。ラダナイヤで滅ぶのを待つのも癪ではあるし、ワシの血で飛ぶ艦の初戦、見届けなければ気が済まん」
俺――オスカー=レッチュは主機関室を見張る一角に立ちながら、傍らに立つ少女の姿の賢竜を見やる。
再び多量の血を抜いたおかげで小柄な少女の姿となっていたドール・ククラは、賢竜殿を抜け出してからこの艦に乗り込み、それからずっと機関室で不似合いな赤いワンピースを通風装置の風に翻していた。
もうちょっとなんとかならなかったのか、と俺は思ったのだが、彼女は「機関に挟まんようにフリルもリボンも無いものを着てきたわ」と余裕綽々で言い、それからは何も言う気にもなれなかった。
だからせめてこの区画から動かず、機関の側に近づかないことを命じておいたのだ。
「それにワシはあの禍血で飛ぶ艦は好かん。『スカアハ』が一隻でも墜としてくれればワシの気も済むと言うものだ」
ドール・ククラはすんと真顔になりながら、忌々しげな口調で語り出す。
「……やはり、あの濃縮竜血は何か、そう言うものが混ざっていたのですか」
「ぬしは知っておったか」
「直接聞かされたわけではありません。濃縮竜血を扱う士官は血のことを秘密にしたがってましたから」
そう。濃縮竜血を扱う皇帝主義者の士官たちはやたらと皇帝とナグヴィッツの威を借って、その偉大な事業によって、熱されパドルを流れても飛竜が襲おうともしない高濃度濃縮竜血を為したと喧伝こそした。
だが、その偉大な事業とやらの詳しいことや濃縮竜血の添加物については一向に触れなかったのだ。
それ故に濃縮竜血を取り扱う士官と俺たち通常の機関員や機関士官との間には巨大な溝があったし、武装解除の夜に宿泊艦の中で拳銃自殺した士官の遺体を見ても悲しさは湧かなかった。
逆に、自らの命を絶ってまで他言を控えようとした奴の抱えていた秘密と、その行動に俺は空恐ろしさを感じたのだった。
「本当のことをワシは知っている。ユフの坊主には話したが、ぬしにも話そうか? オスカー」
「……大体見当は付いてますがね」
「そうか。それならユフの坊主ほどの反応は見られんな」
偉大な事業という言葉、それに竜血反応。
科学者が竜血パドルの模型に竜血と偶然自身の指を切った血の混合液を焚いたところ、燃焼反応が異なり、より赤い血が燃える反応があったと言う話を機関学校で論文を纏める際に何かの本で読んだ。
そう、ちょうどアウストムネシア艦隊の艦艇のように。
そこに偉大な事業と言う言葉だ。
アウストムネシア帝国の政庁が戦前から知恵遅れ、不具者と言った国家の負担となる『劣った者』を秘密裏に処分していたというのは噂でも聞いていた。
それに非難の声を上げた者も皇帝側近に消され、『劣った者』は次々国内のどこかの施設に送られて、そして濃縮竜血が国内のどこかのプラントで作られて、飛空タンカーで国内の艦隊に運ばれた。
国家の役に立たぬ『劣った者』を『優れた者』によって築かれる国家のために利用する。
熱心な皇帝主義者ならやりかねないし、それを偉大な事業と呼ぶのもあり得ることだ。
そしてだからこそ、その偉大なる事業によりエデルトルート帝の評価を地に落とすことがあってはならないと、知られないように命を絶つことも考えたのだろう。
「大方、多くの国でも機関員や竜血反応に詳しい造船学者や機関学者は知っているはずです。ただ、言えば世界を敵に回すので誰も言えないで居るのでしょう」
戦後にアウストムネシアの『処理』施設の全貌が明らかになったとき、多くの国と人々がその偉大なる事業を責め、人道に背く罪として生き残っていた皇帝側近たちを裁いた。
あれと同じことを提言すれば、そいつは世界を敵に回す。
「オスカー、お前の判断は正しいよ。他の賢竜どももあれの正体を知っておるが、誰も彼も口を閉ざしたままにしておる。あれを口にすれば賢竜ですら立場が危ういからな」
「ならば余計に言わない方が賢いですね」
しかし、と俺は考え始める。
もしバチカル級が飛んで、蘇ったエデルトルート帝とナグヴィッツが世界征服――とんでもない言葉だが、ナグヴィッツのやろうとしていることはそれ以外の言葉で表せない――を果たそうと言うのなら、その濃縮竜血はどこから供給されたのだろうか。
魔女戦争の末期にどこかの秘密基地に飛空タンカーで運び入れたのか。
そうでなければ新しい濃縮竜血を何らかの方法で新たに製造しているのか。
奴らの拠点には戦艦を建造できる船渠がある以上、濃縮竜血のプラントがあってもおかしくは無い。
材料だって、乗員と共にどこかから買い付ければ良いはずだ。
そう考え始めると、俺は胸に溜まった澱がこみ上げて来るような気がした。
そうなのだ、奴らだけでは無い。
俺もまた、非人道的な方法で作られた濃縮竜血を使っていた一人なのだ。
自分も今この場では『スカアハ』側に立っているが、元はと言えば帝国の下でそこに使われているものの正体を薄々知っていながら、何も知らぬふりをして濃縮竜血を焚き続けていたのだ。
本当のことが表に出れば自分も裁かれる側だったのに、あの皇帝狂いのナグヴィッツや何らかの方法で蘇ったエデルトルート帝ばかりを責めることはできない。
「息苦しいか、オスカー」
はい、と俺は隣に立つ賢竜に答える。
「その苦しみを覚えてられる限り、ぬしはまだ人の側に立てておる」
「……彼らがもう人で無いような言い方ですね」
「その通りよ」
ドール・ククラは呟く。
「あれはもう人では無い。エデルトルートとナグヴィッツは人の可能性を示したつもりだろうが、もはや彼奴等は神を売り、人の子であることを辞めた怪物よ」




