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第六十九話 禍いの戦艦・下

 後方の『ディオーネ』から信号旗が上がった。


「みだりの発砲と艦隊行動を禁ずる……か」


 向こうの環境でラストラが渋面を浮かべているのが簡単に想像できる信号旗の並びだった。


「戦闘に発展しては面倒この上ないからな」


 アルカが悔しげにぽつりと呟く。


 かつてのエゼルベシア空中艦隊一頭佐官が、禍艦を引き連れてアウストムネシア帝国の尖兵を名乗っているのだ。


 こんな荒唐無稽なこと、前例主義のエゼルベシア空中艦隊庁と外務省はどんな反応を取っても非難してくるだろう。


「それに戦力的にもこちらが不利すぎる。十全な状態ならともかく、停船中に不意打ちで距離を詰められては、全艦撃沈されても仕方ないわ」


「『スカアハ』の主砲ならこの距離でバチカル級を打ち抜くことが出来るが、一隻相討ちで御の字だからな」


「だからと言って素通し出来るかって言えば、そうも出来ないのだけど」


 フィチの言う通りだった。


 もしディレンの言うことを聞けば弾薬は新生アウストムネシア帝国とやらの手に渡り、間違いなく奴らの侵攻作戦に利用される。


 しかし、ここで拒否し、あのバチカル級――ディレンの座乗する『ヴァールハイト』と戦い、撃退するのは難しいだろう。


 機関を停止している『ディオーネ』と『セレナ』は戦力化までに十分はかかる。その間『スカアハ』がこの場を食い止めるとしても、火力や防御力に勝るバチカル級二隻を一隻で相手取るなど無理だ。


 ラッキーヒットで一隻食えれば大金星、最悪二隻に一瞬で潰される。そしてエゼルベシアは最新鋭の軽巡二隻を、ベルティナは最強の戦力と王女を失う。


 そうなるとディレンの言う通りに『シベスタン』を解放するしか無いのだ。


 ジャスパーは一人だけ出で立ちの異なる連絡将校に「暫く留まっていたまえ。君が帰ると彼らを変に刺激させる」と言って、連絡将校もそれに頷く。


 やがて『シベスタン』の船尾楼甲板に横付けされていた『セレナ』のものらしき内火艇が甲板を飛び立ち、『セレナ』に戻って行く。


 それと同時に通信室からの受話器のランプが光り、ベルが鳴る。


 ジャスパーがそれを受け取り、「ああ、ああ」と幾度か相槌を打ったと思うと、受話器を置いた。


「『ディオーネ』のラストラ四将はディレン司令の命令に従う代わりに、艦隊への攻撃を避けるよう要求し、ディレン司令がそれを呑んだとのことだ」


 ジャスパーの言葉に、俺とフィチは互いの顔を見合わせて、大きな溜息を吐く。


 ラストラも断腸の思いで艦隊を守ったのだろうが、結局弾薬や竜血は奴らの手に渡る。


 そして――俺の中だけの秘密だが――濃縮竜血を作るために、また誰かが犠牲になるかもしれない。


 とても納得の行かない結果だが、これ以上どうすれば良いのかなど思いつかないのもまた事実だ。


「『ディオーネ』より発光信号。奴らが遠ざかるまで戦闘体勢を解除するな。です」


「そんなこと解ってるっての」


 そう溢しながら俺は『ディオーネ』を見やる。


 主砲の四〇リーム(二〇センチ)連装砲と鳥雷発射管は『ヴァールハイト』ともう一隻のバチカル級を狙い澄ましていた。


 彼らもやはりディレンを信じられないと言うところだろう。


 代将旗を掲げた『ヴァールハイト』と思しき艦は『シベスタン』の直上に着くと、もう一隻のバチカル級を従えて機関を再始動させた『シベスタン』を守る様にゆっくりと航行し、やがてその艦影が小さくなったところで、艦影は突如として冬の青空の中に消えた。


「また姿を消す魔法を使ったか」


 毒づく俺に、フィチがんっ、と咳を払ってから言う。


「この世に姿を消す魔法なんて無いわ。何かの細工よ」


「それを見抜けないんじゃ魔法と一緒さ」


 そう。魔法とでも言わないとやってられないのだ。


 禍血も、姿を消す術も、そうと言って誤魔化さないと手酷い現実を突きつけられるのだから。


「『ディオーネ』に信号旗。状況報告のためへ帰投する、とのことです」


 信号員からの報告を聞いて、それはそうだろうと俺は一人納得する。


 流石に今目の前で起きたことをを通信で送れば乱心か何かかと思われてしまうからだ。


 せめてラダナイヤの大使と駐在武官にこの事を伝えて本当に起きたことだと言質を取らなければいけない。


「艦長、特将。本戦隊独自での追撃の意見具申はいたしますか?」


「却下だ、副長。今の疲弊状態の本艦で追撃任務は堪えられない。本艦もラダナイヤに一度帰投する」


 ジャスパーはばっさりと切り捨てた。


 それもその通りだ。一〇ノット程度の航海速力の貨物船相手にしつこい追撃を続けたところで、逆に蒸気を無駄遣いしてこちらの竜血と重油が尽きてしまう可能性もある。


 今『スカアハ』は竜血タンクと重油タンクの半分ほどまでを使っているし、警戒態勢で一週間を過ごしたせいで乗員の疲弊もある。


 そんな状況で追撃を試みれば、撃沈は必至だろう。


 俺は頷くと、「進路南東、『ディオーネ』発進次第旋回開始」と号令を飛ばした。


「本当に悪夢ね」


 フィチの溢した独り言に俺は思わず「ああ」と相槌を打つ。


 バチカル級、それも新造艦と思しき艦にディレンが乗り、大量の大量の弾薬の材料が奴らの手に渡ったまま素通ししてしまった。悪夢も良いところだ。


 しかし本当の悪夢はまだこの後にあったことを、俺は知らなかった。

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