第六十三話 『スカアハ』夜話――ジャンニとノーラ・上
時刻は時計の天辺を少し回った頃、巡空戦艦『スカアハ』は竜血機関を待機状態にしたまま『ダン・スカー』の直上の係留塔に係留されていた。
艦内は深夜当直の乗員たち以外は皆寝台や吊り床で眠りに就いており、艦内も竜血機関とボイラーの奏でる静かな唸りと深夜当直たちの押し殺した話し声しか聞こえないでいた。
運用第四班に配備された兵たちは左舷中部甲板でそれぞれの持ち場に着いており、私ことジャンニ=ビューロー二等水兵も琺瑯の水筒から眠気ざましのコーヒーを注いで、飲みこんだ。
比較的夜に強い犬人族の私でも、この深夜当直は辛いものがある。
艦の便利屋の運用科にとって、深夜当直で何か仕事があること自体が大事なのだが、だからと言ってその『何かの仕事』に備えて何も無い時間を朝当直の起きる時間まで過ごすのもまた辛いのだ。
同じ班員の中には水兵服のブーツの中にポケット版の聖書や古典戯曲を忍ばせて赤色エーテル灯の下で暇つぶしに読んでいる人間族の縮れ毛の兵長や、副砲の砲座から星空を観察する髪を短く刈った妖精族の同じ二等水兵も居る。
班長もこの深夜当直の苦痛を知っているからか、深夜当直の多少の無法には目を瞑ってくれているが、根が真面目と自他共に認める私はそんなことは出来ないで居る。
「ジャンニ」
そう私を呼んだのは妖精族の水兵――赤色のエーテル灯の下に浮かび上がる水兵服
には私のそれと同じ山型の善行章が一個縫い付けられている――だった。
「なによ、ノーラ」
ノーラ=ダウエル二等水兵は眠気でとろんと下がった瞳で私を見つめながら、指を揺らす。
こっちに来い、話をしよう。と言う合図だ。
私はコーヒーの苦みを噛みしめながら、水筒の蓋を締めてノーラの方へと歩を進める。
ノーラは姦しい妖精族の中では大人しい方で、同じ班の中でも特別お喋りと言う訳でもないが、深夜当直ではひたすらゆっくりと流れる時間を誤魔化すために、普段はそうでない者もお喋りになる。
おかげで私とノーラはいつの間にか仲良くなっていた。
多分この友情は、どちらかが艦を降りるか、くたばるかするまで続くはずだ。
半分落ちかかった瞼をなんとか開いて、ノーラは私を見上げる。
私たちの目線の高さには七リーム半の差がある。
「ジャンニはこの艦のこと、どう思っている?」
「どうって……」
急にそんな話題を振られても、どう答えれば良いのかわからない。
「禍艦って呼ばれてるこの艦自体のこととか、艦長とか副長とか、フィチ殿下のこと」
ああ。そういうことか。私は首を傾げて答える。
「……正直、あんまりよくわからない」
「だよね。信頼できるとも言えないし、できないとも言えないし」
ノーラがへへ、と笑いかける。
「艦長が形無しのキャナダインだとね」
ノーラがそう口にする。
ジャスパー=キャナダイン上佐は鋭い観察眼と冷静な判断を下せる能力を持つが、一方で運に恵まれないのか実戦下手なのはベルティナ空中艦隊では有名な話だ。
魔女戦争においては格上の巡空艦に乗りながらアウストムネシアの駆逐艦を取り逃がしたり、先の演習でも戦闘中に待ち伏せの駆逐艦によって『スカアハ』に被弾を赦したりしている。
形を熟知しているがそれを使いこなせない。故に形無し。
私も形無しキャナダインが自分の乗る艦の艦長だと知ったとき、この大艦がその能力を生かせなくなるのは少し勿体ないと思ってしまった。
だが私としては、この艦でもっと信用できないものがある。
「……私は副長の方が信用できないかなァ」
「あ、ジャンニは副長の方が信用できない派?」
そ。と私はノーラに向かって言う。
「フィチ女王がエゼルから連れてきたってだけで副長になった人だもん。コネだよコネ。エゼル空中艦隊を免官されたときは上尉だったって言うし、なんか胡散臭い」
「あの訳わかんない通信文のこともあるしねー」
私は鼻先で頷く。
そう。ユフ=ハウェイズ下佐。あの副長は信用できないでいる者も艦内には意外と多い。
女王の血族であるフィチに感化されやすい妖精族の兵や、艦橋詰めの兵からは評判は良いらしいが、どうにも私はあの男は評価が定まらない。
フィチを怒鳴りつけて艦を操ったと言う出しゃばりなことをやったと言うが、この前の演習での戦闘指揮は雑で突拍子も無い指揮に感じたし、戦術的には勝てただろうが、巡空戦艦ならきっともっと上手くやることは出来るはずだと思った。
迎撃の副砲操作の手伝いや自分の持ち場が『モリガン』の砲撃でこっぴどくやられててんてこ舞いさせられたと言う私怨も込みなのだが。
しかし一方であの意図不明艦騒ぎで最後まで打つことをしないで、本人宛に怪通信を受け取ったということで彼をエゼルやどこかの間諜なのじゃないか。フィチは騙されているんじゃ無いかと噂する者も多い。
少なくと私は何度か乗員の集合や艦内を歩いているところを見ただけだが、なんとなく良くない意味での育ちの良さが滲み出て、いけ好かない感じはあった。
あれが勇猛な戦士なのか、と疑わしくなることもある。




