第五十一話 演習・開始
演習空域――断崖絶壁に囲まれた牧羊地や村々を越えた先の北大翠洋上――に艦が踏み入れると、戦闘艦橋の窓から覗く景色が空と海の狭間ばかりになる。
今回の演習の敵旗艦は旧型の装甲巡空艦を改修した標的艦『デリンズ』だが、それ以外にも複数の駆逐隊が参加している。
第十一独立戦隊側には詳細な艦種と隻数が伝えられていないが、規模不明の敵への対応も狙った邀撃演習となるのだ、
俺は制服のネクタイをきつく締める。
戦闘艦橋には俺以外にも制帽を被り直す者や、何度か目をしばたたいて空中を再び凝視するものが居て、俺だけでは無いのだと思った。
「飛竜発進、本艦正面から扇状に三十度づつの角度での哨戒を実施せよ」
この場には少し不釣り合いなフィチの澄んだ音色による命が、妖精族の兵を伝って飛竜房に下令される。
了解の命令が返ってきた後に、窓外で『スカアハ』を飛び立った飛竜の姿が目に入った。
そして戦闘艦橋の横から主砲の前に躍り出て、艦の前方、〇時の方向に飛び立っていったのは、数時間前に見た乳房の膨らんだ牝の飛竜だった。
「クラリッサが〇時の方向か。あいつは相変わらず大人げないな」
ジャスパーがぽそりと呟く。
成程、ニールはあえて今回の哨戒線の中で最も会敵しやすい方向を選んで飛んで行ったのだろうか。
しかしニールの飛竜をすぐに見抜くジャスパーも中々のものだ。
自分は子を産んだ牝竜が飛竜房一頭しか居なかったからわかったのだが、きっとジャスパーなら乱戦の中でもクラリッサとその背に跨がるニールを認識できるだろう。
しばらく航行を続けていると、緑色の閃光弾が艦の前やや右方向に上がる。
飛竜隊による敵艦発見の信号弾だ。
見張り所からの伝声管が「飛竜隊が敵主力を発見しました。十時三十分の方向、距離約二五パーム」と伝えてくる。
二五パーム。
現在の戦闘速度なら簡単に距離を詰められ、主砲の砲戦距離まで持ち込めるが、伏兵の存在も隠れている可能性はある。
フィチは口元に手の平を当ててむぅ、と唸り声を上げたと思うと、その手を下げて、先程より張った声で宣言する。
「一〇パームの砲戦距離まで持ち込むわ。見張り員は敵主力の進行方向を注視し伝達して」
「了解《アイ、アイ》」
「それと駆逐隊にも注意を払うよう各見張り所と聴音所に伝達して。下部見張り所と聴音所は特に雲中に注意すること」
「了解《アイ、アイ》」
現在高度は六八〇〇シルケ。比較的厚い下層雲が予想進路の先にもちらほらと存在する。
この中に潜んだ駆逐艦に待ち伏せ鳥雷で襲われたら、護衛艦も『スカアハ』もひとたまりも無い。
竜騎兵隊も捜索を行ってはいるものの、避雷設備を備える飛空艦と違って、竜騎兵は雷の立ちこめる分厚い雲の中に飛び込むのは御法度だ。
だから最後に雲の中の敵艦を発見するのは『スカアハ』の見張り員の目と聴音員の耳にかかっている。
この辺りは群れを統率する能力の高い王の血族と従者がはっきりと分かれていて、徹底した統率の見事さを見せる妖精族の美点が生かされるところだ。
妖精族の乗員は上から下、下から上への伝達が早く、見事なまでに艦を一体化させている。
だが、それ故に統率者が行動を誤ると、止め糸のほつれた布地を引き裂くように崩壊していくのが妖精族の戦いの欠点でもあるのだ。
そしてその干渉役が俺であり、ジャスパーであり、ニールであり、その他多くの人間族や他の亜人族の兵や下士官、士官たちでもある。
何か起きた時に悪い方向への加速を緩め、上から下、下から上への焦りの伝播を止める。それこそが妖精族の国の妖精族以外の戦士に求められる仕事なのだ。
そうジャスパーが俺に語ったとき、幾多の焦りの伝播を食い止めてきたであろう歴戦の飛空艦乗りの貌が覗いたのを俺は忘れていなかった。
右舷の窓外で赤と黄の信号弾が上がる。
二時の方向、場所はかなり近い場所だった。
「敵艦と思しき影、雲中にあり!」
見張りの兵が信号弾の意を叫んだ。




