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第五話 妖精少女との出会い・下

「ええいっ!」


 高い女の子の声と低く唸る音がしたと思うと、俺の身体は硬い石の上から、暖かい二本の腕に抱えられて、浮遊感と共に空に跳び上がる。


 背と膝を二本の腕で持たれ、宙に浮いていた。


 列車は先程俺がいた地点を何事も無く通り過ぎ、気の抜けたクラリネットじみた汽笛を抗議するように上げながら、走り去ってゆく。


「大丈夫ですか?」


 未だに状況が飲み込めない俺を、顔が覗いた。


 蜂蜜色の垂れた髪と、カット宝石のように独特な色で光りを映す翠玉色の眼。


 さっきの妖精族の少女だと、数秒ほど経ってから気づいた。


「そこまで大丈夫じゃない……とりあえずどっかに下ろしてくれ」


「わかりました」


 そう言うと少女は俺を抱きかかえたまま羽根を羽ばたかせ、陸橋の上に俺をおろす。


 上半身を欄干に預けるように俺の身体を置いてくれた彼女。


 俺はと言えばさっきからの鈍い身体の痛みと酒精による頭蓋の内側からの刺すような痛みにぐったりとしていた。


 それでもせめて彼女に礼の一つでも言わなければ。


 俺は顔を上げて彼女の目を見る。


「ありがとう、助けてくれて……君が助けてくれなけりゃ死んでたよ」


「いいえ」


 彼女が首を振る。


「わたくしが貴方の元に行かなければ貴方も落ちなかったでしょうし、わたしの責任でもあります」


 厳しい顔つきでそう答えると、「もし骨を砕いたなどあればわたくしに仰ってください」と付け加える。


「いいえ、酒に酔っていたのは俺の責任ですので」


 そうですか、と彼女はやや不満げな声を上げる。


 そして妖精族の少女は唇に人差し指を載せると、その指を俺の胸に向けた。


「その制服、エゼルベシア空中艦隊のものですよね。何故エゼルの艦に向けてあんなことを叫んだのですか?」


「……色々ありまして」


 俺は言葉を濁して彼女から目を逸らす。


「服から階級章と徽章が外れていますね。除隊なさったのですか」


 なんて目敏い。普通ならそんなところを見るのは同類か好事家くらいなのに。


 俺は更に下を向いて彼女から目を逸らす。


 それが喧嘩に負けた犬の仕草に似ていると思ってしまったのは、頭蓋の内側からの痛みに堪えきれず、彼女の追及に答えてしまったときだった。


「ちょっと上と意見の相違で揉めて、それが大事になって……今日免職になりまして。それで本当はあの艦の艦橋で指揮を執っていたのにと思ったら、叫ばずに居られなくなって……情けないですよね」


「あの、名前を伺っても宜しいですか?」


 ずい、と妖精族の少女の顔が迫る。カット宝石のような複雑な光を湛える翠玉色の瞳がじっと俺を見つめてくる。


 その瞳の圧に俺は勝てずに、口を開いてしまう。


「ハウェイズ……ユフ=ハウェイズです」


「まあ! やっぱり!」


 少女の顔がぱあっと明るくなる。


「ユフ=ハウェイズ一等尉官! あなたの書いた新聞記事を読みましたわ! とても竜と飛空艦のことをわかっているとキャナダイン上佐やドール・ククラも言っていたのよ!」


 少女は俺の手を取ってぶんぶんと振る。


 一体何なんだこの子は。頭の底まで回った酒精が見せた幻覚なのか、それとも現実にこんな少女が居て、俺のことを知っていると言うのか。


「貴方のことを探して空中艦隊庁に行ったらもう退庁した後だと言われて、その後貴方の家を訊ねたり他の方に話を聞いてここに辿り着いたのですが! まさか会えたなんて!」


 言ってることが滅茶苦茶だ。頭痛と全身の鈍い痛みも相まって彼女の言葉が滅茶苦茶に聞こえてくる。


 なんで俺を探してた。何で俺の手を握ってそんなに楽しげに振っている。


 一体この子は何なんだ。


「ま、待ってくれ!」


 俺が理解が追いつかないことに悲鳴を上げると、ああ、と少女は合点がいったように手を振るのをやめ、その細い指を離す。


 その指先を胸において、少女は言った。


「わたくしはフィチ。貴方に賭けてみたく思った女です。ユフ=ハウェイズ一等尉官」


 少女――フィチは続ける。


「後日改めて御宅に参じます。お話はその時に。待っていてくださいませ」


 そうしてフィチは優雅に約束を口にすると、「失礼」と彼女を眺める人混みを掻き分けて、陸橋を後にする。


「兄ちゃん、大丈夫かい?」


 フィチとは打って変わってみすぼらしいなりの中年男が伸ばしきった髭を弄りながら寄ってくる。


「……あんまり大丈夫じゃないです」


 回る酒精、痛む頭蓋の内と身体の節々、先程の少女の意味不明な発言。もう思考が霞がかってくるほどに俺の脳は出来事の連続に堪えられなくなりつつある。


「今辻馬車(キャブ)呼ぶからよ、それで帰りな。その様子じゃもう地下鉄道で帰るのは無理だよ」


 そうして中年男は「おおい、止まれ! 辻馬車!」と両手を広げて小型の辻馬車を呼び止め、俺を担いでその座席に乗せる。


「すまねえ……お礼するから」


 内ポケットの財布に手をかけようとしたところを、「いいよ」と男が止める。


「兄ちゃんも随分な目に合ってたし、俺たちも面白いもん見れたからな。とりあえず家帰って休め、な?」


 男に礼をすると、俺はまだ痛む頭で馭者に「ベイヤー区のハイス通り39番まで」と自宅の住所を告げた。


 ぱしん、と馭者が鞭を入れる音の後に動き出した一頭立ての二輪辻馬車の震動に身を委ねながら、俺は酒精と疲れのせいで瞼が重くなり、思考が微睡みに浸食されて行く。


 その一方で窓から覗く街路を眺めてあのフィチという少女が告げた言葉の真意を考え始めた。


 賭けてみたくなった? 何を? どういう意味で?


 あの妖精族の少女は俺に何を求めているのだ。


 ジョンのように才も無く、空中艦隊をたたき出された俺に。


 その答えは終ぞ出ないまま。俺は辻馬車の座席で眠りの底に沈んだ。

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