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第四話 妖精少女との出会い・上

 ジョンと別れて、プラニット・ホールの飲み屋横丁から地下鉄道の駅を目指す。


 羽根のように、と思えば急に鉛のようにと重さが滅茶苦茶に変わる足を踏み出して、高揚感ではっきりしない意識のまま、何度も止まってエーテル灯の鋳鉄の柱に頭を預け、また歩きだすを繰り返す。


 飲み屋からプラニット・ホールの地下鉄道駅は近いはずなのに、そうやって居たら大分かかってやっと地下鉄の掘割を渡る橋に辿り着いた。


 回りには掘割の橋の欄干にもたれて青い顔をしていたり、エーテル灯に寄りかかって寝息を立てている顔の赤い同類が何人も居る。


 だが、ここまで来たらあと少しだ。ハイス街駅で地下鉄道を降りて、駅前で辻馬車でも拾えばもう我が家なのだから。


 俺は掘割の石の欄干に両腕を乗せ、上半身を乗り出す。夜風で少し靄がかった頭を冷やそうとしたのだが、煤煙混じりの夜風は頭蓋骨の内側までは冷やしてはくれなかった。



 おぉーんおんおんぉぉぉ、おぉーんおんおんぉぉぉ……。



 そんな異様な音が夜の喧噪を割いて夜のプラニット・ホールに鳴り響く。


 そして俺も含めたその場に居た皆が夜の空を見上げる。


 夜の街の灯りを映すようにして、ナイフの切っ先を備えた巨大な鯨のような影が、建物の隙間の星空から染みのように現れ、大きくなって行く。


 ブランダンの夜空に現れた鋼鉄の鯨は、街の灯と自身の発する灯に照らされ、下方の航海灯を明滅させながらながら緩慢にこちらへと向かってくる。


 後部主プロペラの鳴らす風切り音と、その体を浮遊させる竜血機関の音が合わさって、巨大な生き物の鳴き声のようにすら聞こえる。


 その鋼鉄の鯨が近づくにつれて、人々は声を上げる。


 あれこそがエゼルベシア空中艦隊の飛空艦――戦艦戦隊の主力、テネブライ級重戦艦だ。


 自身の茶がかった髪の毛の隙間からエーテル灯で照らされた一等将官旗が見えるということは、代々一将が指揮官を務めるブランダン旗艦艦隊の総旗艦、二番艦『ルーメン』だろう。


 そう言えば、と回らない頭で思い出す。明日はエゼルベシア国議会の開会式だ。


 国王陛下が出席する開会式の警備のためにブランダン艦隊総旗艦が出張るのは慣例だ。


 だから一隻だけでリッドマス泊地から市街地方面へ飛んできたのだろう。


 大将旗をはためかせて、音を上げて征く『ルーメン』は何より勇壮で、強大に見えた。


 主砲のすぐ後ろのガラス張りの下部艦橋に詰める乗組員スタッフたちの姿。


 幼い頃から、俺はそこに自分の姿を重ねた。


 だが、もうそこに自分の姿がと言うのが重ならない。エゼルベシア空中艦隊の艦を率いる像がもう俺には浮かばない。


 代わりに俺を生贄にして助かったジョンたち同期や後輩の尉官の姿格好が重なる。


 高級乗員――そこに重なったジョンの顔が俺の方を向く。済まなそうな、しかし優越感を感じる顔で俺を見る。


 ユフ、すまんな。だがお前はどうやってもここまで登って来れないんだ。そんな声すら聞こえて来る気がした。


 俺は衝動的に欄干を掴み、がばと腕を伸ばして身を乗り出す。



「ばっきゃろーーっっっ!!」



 酒精と共に吐き出された声は『ルーメン』の機関音をかき消すように夜空に響く。周囲の人々が俺を怪訝そうに遠巻きに眺めてくるが、知ったこっちゃない。


 俺はまだ悠々と飛ぶ『ルーメン』に、その下部艦橋に向けて次なる悪罵を叫ぼうと、また身を乗り出す。



「こんちくしょーーーーっっ!!」



 そして、俺の声が喉から出るより前に、甲高い声が機関音を遮った。



「今に見てろーーーっっ!! お前らなんかのーーーっっっ!! 好きにさせるかーーーっっ!」



 振り返った橋上でそう叫んでるのは、亜人の少女だった。


 蜂蜜色の一本に結んだ髪。華美では無いが上等に見える絹地のブラウスとスカート、その上にリボンを幾つも結んでいる。


 ブラウスの後ろからは透き通った四枚の蜂のような羽根が暖色のエーテル灯の灯を反射させている。


 妖精族シルヴェイユだ。


 その服や随分手のかかった髪からお嬢様と行ったところだろうが、天を仰いで『ルーメン』に向かって悪罵を絶叫する姿は上品さを台無しにしている。



「ばっきゃろーーーっっ!!」



 俺から周囲の奇異の視線を奪った妖精族の少女は、艦体後部から突き出た主プロペラと竜血機関のブレードが彼女の頭上を去って行くその時まで、叫び続けていた。


 その声が止んで暫くしてか、すっかり立ち止まって自身を凝視していた観衆を押し退けて、少女と視線が合ったかと思うと、俺の方に近づいてくる。


 エーテル灯に照らされたその顔は険しく、石畳を鳴らして近づいてくる妖精族の彼女。俺はどうすればいいのかと乗り出したままの身を引っ込めようと手に力を込める。


 が、手が滑った。


 がくん、と視界が揺れる。


 欄干が引っくり返ってその下の石造りのアーチ橋の煉瓦と要石が目に映る。


 背を下にして浮遊感と同時に引っ張られるような感覚と、耳に飛び込むやたらと大きく聞こえてくる風切り音。


 その時点で俺はやっと自分が陸橋から掘割に落ちているのだと気づいた。


「あ、あああ、ああああっ!」


 意味の無い、そもそも叫びにすらなってない叫びが口から漏れたと思うと、俺は強かに掘割の下の地下鉄道の道床の石に身体を打ち付けた。


 そこでやっと背中から肺に、胸に、首に、腰にと容赦なく広がった痛みに声が上がり、激痛と酒精の作用のせいか、緩慢にごろごろと石の積まれたレールの間を転げ回る。


 世界がぐちゃぐちゃに揺れている。頭はがんがんと内側から痛みだし、星空と掘割の煉瓦壁とレールとが滅茶苦茶に視界に入り、その視界が段々明るくなってくる。


 ハイテンポなリズムを刻む音と揺れる地面。


 慌てて顔を上げると、やはりだった。


 ブランダン地下鉄道の洋酒色の蒸気機関車が俺のいる線路に向かって、突っ込んでくる。


「ま、待て! 待てよ!」


 逃げようとするも痛みと回りきった酒精で俺の身体は言うことを聞かない。


 向こうも線路の上で動けないで居る俺に気がついて、気の抜けたクラリネットのような汽笛を何度も鳴らしながら列車を止めようとするが、スピードが付いてしまっているのか止まる気配が無い。


「ああ畜生! 止まれ! 止まれっっ!!」


 俺は叫び、列車の機関士もブレーキをかけて金属が擦り合う悲鳴が上がるが、襲歩ギャロップ状態だった列車は急には止まらない。


 ああ、ここで俺は死んでしまうのか。先程まで絞首台に上った方がマシだとさえ考えていた頭と身体が、手を掲げて明確に死を拒む。


 夢破れた士官の泥酔の末の転落死。明日の新聞に小さく載るだろう記事を想像して、その矮小さに嫌になる。


 死ぬときはせめて大艦隊を率いる飛空艦の艦橋で炎に飲まれて死にたいと願ったのに、こんな終わり方は惨めすぎる。


 いや、それ以上に俺にはまだやれることがあるはずなのに。


 単純な死を拒む身体と、まだ未来を期待しようとする頭の両方の拒絶を無視するように列車は陸橋の下まで迫ってくる。

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