第三十四話 ユフの槍
ジャスパーやニールと共に『スカアハ』の艤装工事の指示を手伝い、終業時刻となった頃には王都ラダナイヤはすっかり日が沈み、船渠を出てすぐの建物や街路には明かりが灯っている。
俺はちょうどやって来たヤーステン通り方面行きの鉄道馬車に乗ろうとしたが、フィチが手首を引っ張ってそれを止める。
「何で止めるんだ?」
「すぐ帰っても面白くないわ。それにウェンディの夕食作りの邪魔になるでしょうし、わたくしもラダナイヤの街を案内したいの」
自分の勝手知ったる街を見せたいと言うところなのだろう。
「もう聖ポーレン大聖堂に行くのは遅いけれども、鉄道馬車に乗るならミルエット通りのお店を見てからにしましょう、ねえ」
興奮混じりで背中の羽を震わせ、少し浮き上がって俺の前に回り込むフィチ。
俺は彼女の押しに負けて、ああ、と首肯するのだった。
少し肌寒い中で冬の街を歩き、王宮に連なる官庁街や近衛師団の駐屯地を通り過ぎ、石造りの橋を渡ると、ラダナイヤの街――人の住む街としてのラダナイヤ――が見えてくる。
暖色のエーテル灯とガス灯で照らされた街は活気に満ちており、規模こそ小さいもののその活力はブランダンの街区にも負けていないように思えた。
王都ラダナイヤの目抜き通りであるミルエット通りには馬車鉄道と馬車と自動車が行き交う道路様々な店が並んでおり、色とりどりのガラスシェードのランプで照らされたショーウィンドウには、少し歪んだガラス越しに様々な商品が並んでいる。
「ユフは今欲しいものとかあるかしら?」
「タイプライターかな」
俺は率直に自分の今一番欲しいものを口にする。
「エゼルで使っていた奴は実家に置いて行ったから、書類を纏めるのに新しいタイプライターが欲しいんだ。出来ればファンチャナのウィリックスランド社製」
「随分注文が多いのね。タイプライターなんてどれも変わらないんじゃないの?」
「変わるんだよ。ウィリックスランドと他のは雲泥の差だ。特にワイルはダメだ」
俺は小さく呟く。
タイプライターに何を求めるかは人それぞれだが、俺はウィリックスランド社の丁度良い重量かつ堅実な、かっちりとした打鍵感に安心を感じるのだ。
空中艦隊省の仕入れるワイル社のタイプライターの鈍重な鍵盤に苦痛を感じて、「尉官たちの叛乱」ではその善し悪しも議論の俎上に上げたかったところだったが、ジョンや他の尉官から「それはお前とブランダンのタイピストしか同意しない」と言われて取り下げたほどだ。
「でもきっとオーワーズ百貨店にはあると思うわ。あそこは一番良い品を扱っているし、ファンチャナの製品なら一番揃っているから」
そう言ってフィチは俺の手を引く。
オーワーズ百貨店は周囲の建物と比較しても大きな百貨店で、古典式の宮殿を真似た建物の窓からは当たりを照らすほどの光が漏れていた。
店内に入り、扉を締めかけるエレベーターに飛び乗って妖精族の運転手に「タイプライター売り場の階まで」とフィチが言う。
妖精族の運転手は「はい、殿下」とどこか馴れた様子でエレベーターを稼働させた。
「そのお方が例の伴侶の殿方ですか」
「ええ」
「とてもお似合いでいらっしゃいますね」
尊敬が籠もっているものの、まるで年下の友人を祝福するように運転手は言った。
エレベーターはエーテル駆動器の音を立てながら一階ごとに止まり、四階で「タイプライター売り場です」と運転手が注釈しながら籠扉を開けた。
タイプライター売り場は店の少し奥まったところにあり、文具売り場と隣接した一角には様々な種類のタイプライターが陳列されていた。
アウズス社の打刻面の見えないような安物から、ウィリックスランド社の最新型、果てはファンチャナで最近実用化されたエーテル駆動器式タイプライターまで。
タイプライターマニアでは無いが、ここまで多くの品が陳列されているとこちらも昂ぶってくる。
それは先程までタイプライターに興味なさげだったフィチも同様らしく、いつになく楽しそう面持ちで陳列棚を眺めていた。
「どれにするの? ユフ」
楽しげに訊くフィチに、俺は値札と本体を見比べ、少し悩んだ末に一つの商品を指さす。
「そうだな……これとか」
ウィリックスランドのフロントストライク式。アップライトピアノを思わせる外観で、頑丈そうな枠の下には精緻だが頑健な機関部が見える。値段は一六ピンツ五〇シンダー。
因みに俺の給料はベルティナ下佐になった際に日当一七シンダーになった。
「エゼルベシア軍の退職金で買えば、何とかなるはずだ」
ヤケになって散財をするより前にベルティナに渡ってきたおかげで、退職金やエゼルベシア軍時代の給料はまだ当分楽に暮らせる程度には残っている。
少なくともこのくらいのタイプライター一台を買ってもまだ余裕はある。
「ユフ、これわたくしにも一台買わせて?」
え? と俺が声を漏らす。
「ユフがユフの部屋用、わたくしが『スカアハ』の士官室用のを買えば、士官室でもこのタイプライターで仕事が出来るでしょう? 備え付けのものよりこのタイプライターの方がユフには良い仕事をして貰えるし、わたくしにも良いことよ」
フィチの言葉は理に適っている。確かに艦上でウィリックスランドが使えたらと思ったことは限りなくあるし、もしそうなれば書類作業も捗ることは間違いない。
「だけど、俺の我が儘の範疇で一六ピンツ半も出させるのは……これまでだってフィチの世話になりっぱなしだし」
エゼルベシアからベルティナへの引っ越し費用もだし、今も宮邸で王室費で暮らしているとフィチ――と言うかベルティナ王家に経済的に頼りっきりで申しわけ無くもある。
一六ピンツ半あれば彼女も自分に似合う服や装飾品だって買えるのだから、そういうことに使って欲しい。
「わたくしはユフに使ってあげたいの。槍は自分に合ったものでないといけないでしょう? ユフの場合、報告書や戦闘詳報を打つタイプライターも槍なのよ。私の願いのため、ピエリ姉様やエゼル艦隊と相対する槍なら特にきちんとしてあげないと」
そう言うことか、と俺は納得が行った。
だが、幾ら俺の槍とはいえ君にお金を出させるのは忍びない。そう言おうとしたところフィチが俺の唇を人差し指で塞いだ。
「わたくしも、ユフに格好良いところを見せてあげたいの」
いたずらっぽく目を細めるフィチに、俺は言葉を飲みこんでしまった。
結局店員を呼び、二台のタイプライターをそれぞれ違う小切手で購入したのだった。
明日には家と『ダン・スカー』に届くとは言っていたが、また重いタイプライターを運ばせてウェンディの手を患わせるのは嫌なので、後で俺が運ぶと言伝をしようと思ったのだった。




