第三話 プラニット・ホールの宴
「お疲れさん、ハウェイズ元一等尉官」
「その肩書きで呼んだら、次はジョッキで殴るぞ。ジョン」
エゼルベシア王国、首都ブランダン。
空中艦隊庁から地下鉄道で四駅離れたプラニット・ホールの飲み屋横町の一角。
エーテル灯に照らされたパブの星空席で俺はジョッキに注がれたエールを飲み干して、甘みの混じった苦みを口内に感じながら、夜風に晒されていた。
夜風を受けながらも身体を包むぽかぽかとした熱と、頭をぼんやりと覆う高揚感、そして横町の笑い声をはじめとした賑わいに、先程までの煮えたぎる悔しさとやけっぱちのマイナスの感情も、今だけは引っ込んでくれていた。
「だが、お前がやってくれたコトは大きいぞぉ、ユフ。お前が弾みを付けてくれたおかげで俺たちは今まで空中艦隊の伝統とやらや、佐官将官どもが勝手に考えたドクトリンに楯突けた」
ジョン=ジンブルはラム串を握った反対の手で眼元にかかった若白髪混じりのミルクティー色の髪を掻き上げ、俺を指さす。
「お前たちが話をややこしくした結果とも言えるぞ。ジンブル一等大尉」
俺はあまりに機嫌の良いジョンに釘を刺す。
「俺はお前たちの神輿兼生贄にされたとも思ってるんだ」
「お前も喜んで御輿になってくれてたろうに。途中から寄稿の筆が乗りに乗ってただろ」
反論できず、俺は近くを通りかかった獣精族の店員にエールの追加を口にする。
「とにかく『尉官たちの叛乱』でエゼルベシア空中艦隊の硬直が明らかになったのと、黎明期からの経験を武器にしてた上の世代が、俺たちの世代の意見を認めざるを得なくなったのは十分でかい功績だよ。艦隊史にお前の名は残るだろうぜ、ユフ」
「俺は艦隊指揮艦や艦長として名前を残したかったんだ。革命家としてじゃない」
「そこがお前の難儀なところだ。指揮官や艦長になるにはお前は愚直すぎるんだよ」
ラム串を皿の上でとんとんと叩きながら言うと、ジョンは黒エールを煽る。
ぷはぁ、と勢いよく息を吸い込むと、奴は少し高い独特の声色で話を続けた。
「お前は何か間違っているものがあるとすぐに正さずにはいられねぇ。だから政治ってェものが得意じゃねえ。あえて目を瞑るとか、手を回すとかな」
「時と場合によるだろ。『ディオーネ』の件は明らかにすぐに対処しないと駄目だった」
「ところがそう割り切れるもんでもねえんだよ。なんとか相手の面子を保ちながら持っていって、敵の指揮官以外に敵を作らねえのが上級指揮官には無くてはならねえ技量なんだ。ユフ、お前はそれが欠けてるんだよ」
ジョンの言う意味はわかる。
自分が直情的で、正しいと思うことは絶対に実行しなければならないし、口にしなければならないと
それでも時には従えないことだってある。ラム串を歯で引き抜いて、異国風なほど香辛料で味付けされたラム肉と共にその不満を噛みしめる。
「それでもお前が『ディオーネ』の件で新聞で佐官将官に楯突いて、俺たちがそれに乗じて軍のおかしな所を攻撃した『尉官たちの叛乱』を起こした意味はあったはずだ」
ジョンは再びジョッキを傾けて、黒エールを飲み干してしまうと、低い声で語った。
「エゼルベシア空中艦隊は魔女戦争以来確実におかしくなってた。アウストムネシアの――魔女の禍艦の技術をモノにしようと躍起になって、飛空艦の基本原則を無視した艦を造ったり無茶な建艦計画や艦隊機動を立案してた。上は禍艦を恐れてそれを物にしようと急ぎすぎたんだ。それを俺たち尉官が異常だと知らしめて、世論と議会を動かして一旦は無茶を止められた。ユフ、お前が先陣を切ったことでエゼルベシア艦隊は救われたんだ」
「ああ」
獣精族の給仕が運んできたエールのジョッキを傾け、ホップの香りと苦みを味わいながら、同時にすん、と酒精に蒸せる。
魔女戦争――彗州大陸の東の大国・アウストムネシアを治める魔女こと若き女帝エデルトルートへの暗殺未遂による小国・リズベリアの武力併合を切掛として始まった彗州を巻き込む大戦争で、彗州の四大国連合軍を敵に回しながらもアウストムネシアは戦い続けた。
限界まで濃縮した亜竜の血を使って竜血機関を動かし飛ぶ、既存の飛空艦を大きく上回る性能を発揮する設計の飛空艦――『禍艦』をはじめとした重工業力と科学・魔法共に高い技術力や戦術を用いてアウストムネシアは彗州の多くの地域を占領した。
当時最大を謳われたエゼルベシアの空中艦隊と禍艦艦隊のお互いの大半の艦を失う激突と、三ヶ月にも及ぶ五カ国会戦を経た痛み分けに近い損失、そして魔女エデルトルート自身の突然の死によってアウストムネシアはようやっと敗北を決した。
そして敗戦と共に彗州四大国に流出した『禍艦』をはじめとするアウストムネシアの遺産を誰が真っ先に物にするか。その暗闘が始まっていた。
エゼルベシア空中艦隊の無茶な拡幅もそれが原因だ。
他の三国に禍艦の技術を物にされてしまっては、エゼルベシアはその時こそ存亡を握られると、空中艦隊庁とそのバックに居る議会の国防派議員は考えているのだ。
「そもそも濃縮竜血の存在自体が亜竜の習性を無視している。濃縮された血は、血で個体を認識している亜竜に複数の竜の混じった化物と認識され、恐慌され、すぐに群れに襲われる。そんなこと、竜に関わっていたならすぐにわかるはずだ」
そう語る俺の声は、エールの酒精を受けて熱っぽくなっていた。
「造船官も現場もそれを無視してあの『ディオーネ』を――濃縮竜血機関を積んだ艦を建造して、運用したことだ」
「だが、アウストムネシアはその常識を覆した。濃縮竜血を使う艦で我が艦隊を封じ込めた」
ジョンが薄笑いを浮かべながら皮肉げに口にする。
そう、それが全ての過ちの発端。
禍艦の謎にして、この話の最大の致命。
アウストムネシアには出来た。
ただし終戦と同時に濃縮竜血に関する根幹技術は全てが持ち去られたか処分されされ、製造工場も入念に破壊された。
関係者は末端の者以外は姿を消したか、或いはもう二度と話せなくなってしまったかのどちらかだと言う。
「……なあジョン、ライケン会戦の時、お前はどこの所属だった?」
「第九巡空艦戦隊の『フィルモア』だが?」
急に魔女戦争の最大の艦隊決戦の名を上げたのが不思議だと言いたげな顔のジョンに向かって、俺は酒に酔った頭が冷める――いや、冷える感覚を覚えながら、口を開く。
「俺は第一巡空戦艦戦隊の『イレジスティブル』に乗ってた。禍艦の戦隊と六〇シルケと離れてないところを飛んだんだ」
そして俺はその酔いすら吹き飛ばしそうな感覚を洗い流そうと、ジョッキの黒エールを飲み干す。
すんっ、とつっかえた酒精を飛ばすと、まだ熱を持とうとしない頭のまま言う。
「駆動音も違った。竜血機関が本物の臓器みたいに脈打ってるように見えて、あの艦とすれ違った瞬間に竜血の燃える感覚と匂いを嗅いだが、その瞬間に恐怖と悪寒が走った。あれは化物だ」
そして俺は少し置いて、言葉を継いだ。
「俺は禍艦は絶対にモノにしてはいけないと思ってる。ありゃ人間の扱える代物じゃない」
「それは俺も同意見だ」
ジョンが真剣な顔つきで口にする。
「アウストムネシアが何を隠したのかはわからないが、方法を知っている奴を残らず口封じしたってことは、軍事機密以上に隠したいものがあるんだろうぜ。俺はそんな艦に乗りたくねえよ」
士官学校時代からの親友に「だよな」と俺は頷いた。
遅れて身体が暖かくなり、頭も心地よいけだるさが再び巡ってくる。
二人で給仕にジンを頼むと、酒精に噎せながらも俺たちはそれを飲み干した。
「しかし、俺はどうすればいいんだろうか」
「どうもしなくても良いと思うぜ。官職恩給だけは出るんだから、長期休暇と思っときゃ良い」
酒で蕩けたジョンの顔がにたりと笑む。
「その間に得意の勉強でもしとけば良いんじゃないか? ユフ坊ちゃん」
士官学校時代の皮肉のような仇名を出してきて、ジョンはラム肉のなくなった鉄串でちんちんと皿を叩く。
「そう言うお前はどうなんだ? 報復人事はお前にも来てるんだろ?」
「おうよ、艦隊大学校に入学だ」
艦隊大学校への入学は将官への登竜門だが、常にシニカルな表情を浮かべているジョンのより皮肉げな表情を見るに、実質的にユフを援護し『尉官たちの叛乱』をより広げた危険人物を現場から遠ざけ、監視するための処置なのだろう。
ジョン=ジンブルという艦隊指揮において類希な才能を持つ士官を失うのは痛し痒しと言うこともあるのだろう。
士官学校の兵棋演習で教官の艦隊を追い詰めたやり手の艦隊参謀たるジョンは確かに捨てるには惜しい存在だ。
一方で俺は主導者処分と言うことをさっ引いても、ジョンほどの失う価値は無かったのだろう。
「まあ、捨てる者あれば拾う者ありとも言うしな。考えて売り込みゃ何かの道は見つかるだろうぜ」
先程もディレンに言われた言葉に、俺は天を見上げて呟く。
「……そう上手く行かないのが世の常なんだよ」
俺はジンを喉に流し込み、ジュニパーの抜けるような涼しさと炭酸に混じった酒精が口内を満たしていくのを感じながら、より蕩けてゆく思考とその心地よさに身を委ねた。




