第二十八話 撃剣稽古
「ユフ、ユーフ」
響く声と身体を揺さぶられる感覚に微睡みの中から意識を引き戻されるように目覚めると、フィチのカットエメラルドのような瞳が目の前にあった。
「あ……」
これは寝坊したか? と俺はまだ醒めない頭で考える。
いつもならどんなに疲弊していても起床ラッパの数分前までには目覚めるはずなのに。そう思いながら窓外に目を移すと、まだ外は暗い。
ベルティナの冬の朝はこんなものなのだろうか。そう思いながら立ち上がり、机の上のスタンドに置いた懐中時計を見ると、まだ五時半だ。
起床ラッパの三十分前など、自力で起きられないのも当然だ。
「……ベルティナの艦隊はこの時間に起きるのか?」
「ううん」とフィチは首を横に振る。
じゃあなんでこんな時間に。何かの儀礼でもあるのかと問おうとする前に、フィチはにんまりと笑みを浮かべる。
「言ったじゃない。聖蹟演舞にむけた鍛錬よ」
宮廷から少し歩いた緑地の林中で、俺たちは向かい合う。フィチは昨日の晩と同じ服装だが動きやすく裾に切れ目を入れたスカートを履き、頑丈そうな編み上げブーツを履いている。
その腰には刃引きした籠鍔の刺突剣を帯びている。
対する俺も腰に刃引きした軍刀と中折れ式のリボルバー拳銃を持たされている。渡されて込めたのは岩塩弾頭の銃弾だ。
「昔の火打ち式拳銃を使った演舞の時から、岩塩の弾を使ったそうよ」
「聞いてるだけでも随分物騒な結婚の儀式なんだが。まるで決闘だ」
「大昔は刃引きしていない剣や槍でやったと言うから、これでもだいぶ大人しくなった方なのだけれどね」
俺は大昔の人々の蛮勇に半ば呆れた。
「それじゃ、今日は剣の振るいかたから行くよ。ユフは剣を振るったことはある?」
「士官学校時代に接舷戦の時基本的な振り方を。ただ剣を持った相手との戦い方は習ってない」
「わかった。つまり撃剣に関しては完全に素人ってわけね」
フィチが刺突剣を抜き、前に突き出して構える。
俺も応じるように、軍刀を構えた。
「やぁっ!」
突風を伴って襲ってくるフィチの剣先を、俺は咄嗟に避ける。
「逃げ腰になってるっ! 軸足はずらさない!」
「そう言われても、この距離で剣が迫ると!」
いくら刃引きしているとは言え、勢いを付けた鉄塊が迫ってきたら避けるに決まっている。
「避けるくらいなら打ち込む! 次はユフが打ち込んで!」
そうだ。攻撃は最大の防御とも言う。
俺は大上段から軍刀を彼女の肩に打ち込もうと振るう。
しかし、当然のようにフィチはそれを剣を振るって弾き、俺は思いっ切り仰け反ってしまう。
慌てて足を後ろにやって持ち堪えたが、フィチは俺の足をびしりと剣で叩いた。
「軸足を保って!」
そう言って俺が足を引き戻すのを待つと、フィチはまた深く踏み込んで、構え直そうとした俺の剣を弾く。
「こっちは素人だって! もっと基礎から教えるとかしてくれ!」
「最初にコテンパンにしておいた方が振り返って覚えが良くなるの! ユフがしたみたいに!」
やはり昨日の操艦のことを根に持っているようで、その意趣返しも込みらしい。
俺は剣を握り直して、フィチの言ったように軸足を保って上半身を起こす。そしてフィチに向かって踏み込み、刃を振り下ろす。
「動きが単調!」
再び弾かれる刃。手が痺れて軍刀ごと持って行かれそうになるが、それをすんでのところで止め、胴打ちに切り替える。
それもまた弾かれ、きぃん! と鋭い金属音が響く。
「どうしたの! わたくしはまだかなり手加減してあげてるのだけれど!」
俺のあまりのなってなさに呆れ半分、面白さ半分で打ち込んでくるフィチ。その剣を軍刀の腹で受け止め続けるが、もうそろそろ手が限界だ。
俺は軍刀を持ち替えて、右手を腰のホルスターの拳銃にかけようとした。
「甘いっ!」
思い切り、剣の細い腹で右手を打ち据えられる。
拳銃の銃把を握れないまま、びりびりと鈍い痛みと痺れが訪れ、俺は呻き声を上げた。
「っつぁぁっ!」
声にならない声が俺の口から漏れる。
「不利になってから拳銃に頼ろうとしない! それなら最初から拳銃を使うか、もっと拮抗したときに使う!」
まるで教官のように振る舞うフィチに、俺は弱音を吐きたくなるが、それよりもまず一撃でも浴びせようと言う気持ちが先行し、舌打ちをしてから、拳銃を抜いてフィチに挑む。
一射、二射。乾いた銃声と共に減装薬の岩塩弾が発射されるが、ブレる右手は拳銃をまともに保持できず、発射の度にフィチから逸れる。
その間隙を狙ってフィチは下段から払うように拳銃を突き上げ、俺の手から振り落とした。
「ちっくしょ!」
拳銃を拾おうとする俺の手をブーツの革の靴底が踏みつける。
「だから、甘いと言ってるでしょう! もっと周囲を見て戦う!」
振らせた言葉の後にフィチが踏みつけた足を退けると、俺は再び拳銃を握り、剣を持ったままの左腕を右腕に添えて支え、引鉄を引こうとする。
だが、その前に眉間に刺突剣の先が突きつけられるのが早かった。
「勝負あり、ね」
「そうだな」
俺は土の上に膝を着く。
そうした途端に体中から疲労感が湧き上がり、手足と肺が途端に重くなる。呼吸も急に荒くなり始めた。
「……本当にもうちょっと手加減してくれれば良かったんだけどな」
「それじゃ演舞にならないわ。夫婦が切り結んで戦いを舞い、人々を魅せ、妖精族の祖先と聖エリエルに捧ぐ夫婦の武の奉納が聖蹟演舞なのですから」
「そうなれるまでに幾らかかるのやら」
「少なくともあと半月でわたくしに合わせられるくらいには舞えるようになってもらいます。さあ、剣の振り方から始めるわ」
こっちは息が上がっているというのに、俺以上に動いたであろう彼女はけろりとしてそんなことを言い始める。
俺の体力が無さ過ぎる訳じゃない。
普通の人間族の士官の体力を上回るほどに、種族そのものが戦士たる妖精族――それ以上にフィチ個人の体力が有り余っているのだ。
軍士官が女に負けて情けない、なんて言ってられるのは何も知らないブランダンの進歩主義者どもだけだ。
妖精族の王女たる資質を秘め、かつての英雄に魅せられ鍛錬を欠かさなかった少女に、士官学校で半端に剣術や銃制圧術の練法を習っただけのただの軍士官が勝てるわけが無い。
それ程にフィチは己の信ずる道への一途な賭けをしているのだ。
「せめて、あと五分は休ませてくれ」
俺の言葉にフィチは頷く。
「五分だけね」
そう言って彼女は腕時計を見やった。
膝を地面から離し、拳銃をホルスターにしまうと、俺は息を整えてから彼女に訊く。
「聖蹟演舞って、ベルティナでは普通なのか?」
「今は普通では無くなっているわ。よほど信仰に篤いか、軍人同士か、そうでなければわたくしたちの様に立場の上の者だけの儀式になってる」
やっぱりな、と俺は呟く。
「こういう慣習ってのはそうそう今の時代の人間に受け入れられるもんじゃ無いもんな」
「そうなのよ。こればっかりはわたくしが替えようとしても無理よ」
簡素化に迎合し伝統に反しようとする風潮はどんなにフィチが頑張っても変えられない。
「変えるとすれば、わたくしとユフが華麗な演舞を見せて人々を魅せることしか無いわ。ね、ユフ」
また意地の悪い笑みを浮かべるフィチ。
それは俺に、演舞を彼女の満足いくものまでやれという意味なのだろう。
「さあ、五分経ったわ。剣の振り方の練習、行きましょう」
フィチの言葉に、俺は乾いた笑い声を上げる。
結局、八時にウェンディの用意した朝食を摂るまで、俺は延々とフィチの監督の下で剣を振るう羽目になったのだった。




