第二〇話 女王との謁見
地上要員がやって来て、当直の機関員を除いた全員が艦を離れ、俺はやっとベルティナの地を踏んだ。
係留塔の昇降機を降りて、俺を出迎えたのは濃緑に金モールの近衛制服の妖精族で、俺と待たされていたらしいレッチュを連れて、馬車に乗せた。
彼女たちの顔は険しく、きっと先の出来事を知られているのだろう、と思った。
落ち着いて考えれば艦の操舵を間違えたこと以外は圧倒的に俺が悪いのだが、あの場はああでもしないとどうにも出来なかった。
「何かあったのか?」
レッチュが訊ねてくる。
「少しな。入港時に口出ししてフィチの機嫌を損ねた」
「……あの入港で口出ししたのか? 機関の使い方は上手かったと思うが」
「違う。あれは俺が殆ど取りしきった。その前にフィチの指揮を遮ったんだ」
やっぱりな、とレッチュは頷く。
「確かに俺は責任者だから無謀な操舵は止めなければいけなかったが、少し気負いすぎたのかもしれない」
「……あのお嬢さんも経験不足なのは見てわかったよ。育てば良い指揮官にはなれるが、今は全ての指揮を任せる気にはなれない」
レッチュは口元を皮肉げに釣り上げる。
「エンジンテレグラフ越しでも、指揮を出してる人間を信頼できるかどうかは変わる。その点、あんたはまだ信頼できた。ハウェイズ下佐」
「ありがとう、レッチュ下佐」
馬車はやがてベルティナの王宮前の車止めで停車し、俺たちは近衛騎士に先導されて宮殿の中へと入って行く。
そこは、俺の全く知らない世界だった。
色とりどりの石が床に敷き詰められて複雑な幾何学模様を描き、大理石の柱が貫く吹き抜けの天井には白と金と、きっと何かの宝石を砕いただろう翠玉色で彩られた天井が広がる。
エーテル灯のシャンデリアと階段照明は装飾のアクセントの金を――多分真鍮では無い、本物の金張りを――淡く照らしている。
そこはもう俺の知る世界では無かった。俺は足を止め、言葉を継げずにいる。
隣のレッチュも息を呑んでいた。
こういう世界は存在するのは知っていたが、この世界に足を踏み入れたのは果たして間違いでは無いのだろうか? と不安になってくる。
俺たちはその豪奢な宮殿の中央階段を登り、居心地の悪さを抑えながら通路を進む。
通された謁見の間は妖精族の娘が踊る天井画と、エーテル灯の花を咲き誇らせる木のような巨大なシャンデリアが飾られ、その奥に緑に金地の絹張りの玉座が控えていた。
玉座にはフィチによく似た女性が座っていた。
蜂蜜色の髪を垂らし、翠玉色の瞳でこちらを見つめる彼女。
白に金の刺繍のアクセントのドレスの下にはそれ越しでもわかるほどの豊穣な肉体を隠し、玉座の後ろには他の妖精族より大きな二対の羽根が伸ばされている。
ゆったりとした佇まいだが、それでいて隠しきれない威厳が部屋の端々にまで伝わってくる。
その姿は、一目見ただけでこれが妖精族の絶対の女王かと思わしめるのに十分だった。
「ルシェリス陛下」
自分を導いた近衛の士官が胸の前に腕を持っていき、礼をする。
「こちら、ユフ=ハウェイズ下佐とオスカー=レッチュ下佐です。どちらも『スカアハ』乗り組みとしてベルティナに住処を移すことを望んだ者たちです」
近衛士官に続いて俺もレッチュも無帽敬礼をする。
「面を上げてくださいな」
その言葉に俺は顔を上げる。フィチによく似た女性は柔らかな笑みを湛えながらこちらを見ている。
「よく来てくれました、お二方」
アルモニカのような響きの声が俺たちにかけられる。
「私はルシェリス=イーフィス=ミルシェルファ。このベルティナを統べる女王です」
ルシェリス女王は波がかった蜂蜜色の髪を揺らし、慈母のような笑みをこちらに向けてくる。
本物の人を惹き付ける魅力とはこういうものなのか。
「……オスカー=レッチュ機関下佐です。元敵国人ながら私と部下たちを貴国へと招聘して頂き、誠に感謝しております。ルシェリス陛下とベルティナのために尽力できればと思います」
レッチュが先に口を開いた。模範解答のような受け答えだが、その言葉にはルシェリス女王への強い思いが混じっているのが、俺にも感じ取れた。
恐らくエゼルベシアに長く留め置かれ、解体されようとしていた『スカアハ』を――『エクシステンツ』とよばれたあの艦を、乗員と共に自らの手に置こうと決めた最高責任者に恩義を覚え、それに答えようとしているのだろう。
「よろしく頼みます、オスカー殿」
ルシェリス女王は硬さの残るレッチュと正反対の柔和な口調で返す。
俺は彼女になんと言うべきか。
何せ彼女の娘を怒鳴りつけてしまった後だ。
少し迷ったが、当たり障りの無い言葉を並べようと思い、名乗る。
「ユフ=ハウェイズ下佐です。貴国へとお招き頂き、また下佐と言う階級と『スカアハ』付きの任を頂けたことを甚く感謝しております。小官もベルティナ空中艦隊のため尽くして行く所存です」
「よろしく頼みます、ユフ殿」
ルシェリス女王はレッチュと同じ言葉を俺にかけてくれる。
これで一安心か、と思った矢先、ルシェリス女王は「ああ」と口を開く。
「フィチとの聖蹟演舞はいつ行うのですか? 私もあの子の母としてとても楽しみにしているのですが……」
「……はあ、せいせき、えんぶ……ですか?」
「妖精族の結婚式のようなものです」
近衛の士官が注釈してくれる。
「ああ」
俺は動揺しながら口にする。
「そうなんですか。小官は知らなかったので。その辺りの日取りはフィチ……殿下にお任せしたいかと」
「わざわざ畏まらなくても宜しいですよ。貴方とフィチはもう夫婦なのですから」
はあ、と俺。
畏まらなくても良いと言うが、ルシェリス女王の前でフィチを呼び捨てにするのはまだ俺にはできない。
「あの子もまだまだ未熟、ユフ殿と切磋琢磨して良き指揮官に、良き女王に育つのを期待しております。つのる話はおいおい、もっとくつろげる場で。ユフ殿」
にこり、と笑むルシェリス女王に、俺は言葉を返せなかった。




