第一二話 巡空戦艦『スカアハ』・下
あの薄緑色の艦の艦橋に立つ自分を想像する。
思い描いていた彗州最強の空中艦部隊の指揮官ではないが、『スカアハ』の艦橋に立ちながら、目の前の反骨の王女と共に艦を指揮する眺めは、中々良い眺めにも思えた。
禍艦の呪いから解き放たれた夜の女王に自らを委ねるのも悪くないはずだ。
捨てる者あれば、拾う者あり。ディレンやジョンが言っていたあの言葉の時が、今なのだろう。
俺は伸ばした右手を、フィチの手のひらの上に置く。
「良いでしょう。このユフ=ハウェイズ、ベルティナ空中艦隊士官として貴方の隣に立ちましょう」
それを合図に細い指が絡められ、俺の指の間を握りしめる。少し冷たいフィチの手の平が押しつけられ、俺の腕を引いた。
「ありがとう、ユフ」
そして左手も絡められ――特に薬指に一際強い力を込めて――先程と同様に、また突然に彼女は俺の身体を引っぱり、俺の唇を奪う。
ちゅ、と軽い音の後に、フィチは唇に人差し指を当てて、「さあ!」と手を引いて船渠のごみごみした通路を歩んで行った。
油と錆と蒸気に満ちた船渠の中で、フィチの進んだ後に爽やかな春草のような匂いが切り拓かれていく。
本当にいたずら心と奔放さと爽やかさが同居した、心臓に悪い娘だ。
「艤装長に挨拶しなけりゃ!」
「艤装長はベルティナに! もう最終艤装のために『夜の女王の城』に向かいました! だからわたくしが最高責任者です!」
専用の船渠の名前まで凝っているのか、と俺は呆れそうになる。
船渠の端から艦に向かってかけられた舷梯を行き、『スカアハ』に乗る。
今まで乗った最も大きな艦だった『イレジスティブル』よりも大きく、テネブライ級と同等の大きさの艦は降り立っただけでも存在感の違いを見せ付けてくれる。
フィチの先導に続くように歩き、戦闘艦橋まで辿り着くと、艦の偉容が見下ろせた。
一基の七一リーム連装主砲塔と錨砲が並び、エゼル語の計器に書き直された竜血機関の出力計や対気速度計、エンジンテレグラフが並んでいる。
振り向いてみると、真新しいマホガニーの大きな戦闘海図テーブルがそこにはあった。戦闘時には空図と定規や鉛筆がそこに並ぶだろう。
そして隣を見ると、もう艦の最高責任者だとばかりに戦闘艦橋の床にしっかりと足を踏みしめ、翠玉色の複雑に光を照り返す瞳で真正面を見据える『スカアハ』の最高責任者がそこに居た。
「どう、ユフ。ここの景色は」
俺もフィチの横で床を踏みしめ、戦闘艦橋の真ん中に立つ。
「もう空を飛んでいるのが見えるようだよ」
「身震いはしていない?」
「もはや禍艦ではなく君の槍と言うのなら、この艦に恐れは抱かないよ」
「なら良し」
あのいたずらっぽい少女の顔から一転して、王女らしく、凜々しさが滲み出るフィチの横顔。
その顔に、俺は先程彼女の口から出てきて疑問に思ったままのことを問う。
「なあフィチ、君の目指すものってのは何なんだ」
「――確かに、ユフには真っ先に教えないといけませんでしたね。この国で言えば憚られるのであえて口にしませんでしたが」
「あの口ぶりじゃ母さんは知ってるらしいけどな」
「あの方は特別です。信用できる方でしたから」
フィチは口元を緩めて、よく通った声で言う。
「わたくしが目指すのはベルティナの完全独立。エゼルの軛からベルティナを解き放つことです」
途方もない目標だ。俺は思う。
長きにわたってエゼルベシアの最も近い属国としてあった国の独立を――しかも創世神話の影響を受けて明らかに下に見る亜人の国のだ――エゼルが果たして許すことか。
それは例えこの『スカアハ』を以てしても引き出すのは難しい条件だろう。
だが――。
少なくとも俺の目指す先と、彼女の目指す先はきっと重なる。
この反骨の王女がどこまで俺を剣として使うのか、何をどうやってそれを為すのか。それを見てみたいと思った。
エゼルベシアの人間がこんな気持ちを抱くのは変かもしれないし、国粋主義者には裏切り者などと言われるかもしれないが。
だから俺は、ゆっくりと頷いて、言葉を返す。
「果ての無い目標だ。だからこそ、俺もきっと全力を尽くせる」
「それでこそ、我が伴侶に相応しいです」
フィチはそう言うと、肩を下ろし、俺の方を向く。
「貴方の書いた記事を読んで最初に思ったのが、この方はわたくしによく似ていると言うことでした。世の中の流れに逆らってでも自分の想いを通したいと言うことがよく伝わってきて、わたくしは、自分の想いを貫くならばこの人しかいないと思ったのです」
「俺も、目指すものを聞いたおかげで艦の指揮をするならフィチの艦が一番だと思えた。エゼルの艦隊も悪くないが、何かに逆らって自分の意志を貫いてこそだ」
本当に似たもの同士だ、と俺とフィチは小さく笑うのだった。




