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森は怖かった

 怖い森だった。

 遠目には、針葉樹と広葉樹が混じりあった豊かな森としか見えなかったが、足を踏み入れると印象がまったくちがう。

 眼に見える光景が異常なわけではない。

 モミのような木。

 カシのような木。

 それらの木々に栄養を与える、こってりとした黒土。

 ウラキアの町の人間にとって都合が良すぎる森林だが、異様というほどでもない。1周目の世界の日本にも、似たような森はあった。

 異常を感じたのは、俺の鼻と皮膚だった。


 ——空気がちがう。


 そんな言葉しか出てこない。

 俺の記憶の中にある森とはまったくちがう。ちがいすぎて何もわからない。

 嗅覚と触覚の暗闇。

 いや、明るすぎる光の中にほうりこまれたような感覚だった。

 多すぎる情報量を類似と連想で気軽に処理することができない。

 思わず足を止め両腕を上げてガチガチにガードを固めてしまった俺に、ラグーが声をかけてきた。

「どうしたエイチャ、ビビってんのか?」

 そうかもしれない。

 考えてみれば、盗賊を探しに森へ入るのは初めてだ。神経が尖りすぎているのかもしれない。

 俺はガードを下げて豪語した。

「笑止。吾輩(わがはい)は、この世に出現した時から常に冷静かつ凶悪だ。発言には気をつけてもらおうか」

「悪い。そうだったな。おれとおまえはウラキアの鬼だ」

 ラグーはスタスタと森の奥へ入っていく。

 俺はもちろんビビりたおしている。

 4日前にほうりこまれたウラキアの町では、知らない世界であるとはいえ、同じ人間の匂いがする人間と食える料理と意味のわかる人工物に囲まれていた。

 だがここは1周目の世界のどんな原生林よりも遠いところにある森だった。

 そのことを意識してしまうと、足元の黒土でさえ不気味に見えてくる。わけわからん生物の血肉をすすって邪悪な大樹にパスしている悪魔の土。そんな気がしてしまう。

 俺はもう、「いよいよきたわね。いよいよきたわね」と無意味な言葉を頭の中でくりかえしながら異界の森で足を運んでいくしかなかった。


 前を歩くラグーには、盗賊が森に残した痕跡が見えているのかもしれない。

 足元?

 (やぶ)

 樹木にからまる(つた)

 俺にはわからないどこかにちょっと眼をとめるたび、迷わず方向を変えて進んでいく。

 そしてついに、ラグーから指示が出た。中腰になれ、というジェスチャーだ。

 二人で腰をかがめてもう少し進むと、ようやく俺の耳にも人の話し声らしきものが聴こえてきた。


 ——盗賊、いるのかよ。


 ラグーがまた、右手で指示を出した。俺の右側すぐ近くにある木に拳を向け、そして背中の筒から矢を抜いた。

 〈デモ活動〉開始の合図だ。

 ラグーの動きがあまりにも(なめ)らか進行すぎて、俺はまだ覚悟が決まらない。

 すがりつくような思いで、右上のレーションに眼をやった。

 レーションの体は大部分、森の木にめりこんでいた。いや、めりってはいないのか。とにかく重なっている。

 そのバグっぽい光景がちょっと面白くなってしまい、緊張が解けた。

 解けた勢いで立ち上がり、俺は力の限りのデスボイスで吠えた。

「グボオオオオオオ!」

 20メートルほど離れたところに立っている3人の男たちが、いっせいにこちらを見た。

 すかさず俺は、一本の木に拳を叩きこむ。

勢破(セイハ)ッ!」

 勢破の発声をともなう正拳中段突き。

 硬いカシのような木の幹。

 その幹に縦方向のヒビが何本も入り、突然膨張したように見えた瞬間、大木が上から下まで丸ごと弾け飛んだ。

 雷が落ちたような轟音。

 その直後にラグーが声を上げる。

「武器を置いて正座しろ! ヤブサワ・エイチャとウラキア兄弟会だ!」


 ——この世界、正座概念あるのか。


 ちょっと驚きながら、俺はもういちど吠える。

「吾輩を地獄から呼び出したのはどこのどいつだ! 明日の朝刊に()りたい者は名乗りでるがよい!」


 相手の男たちの反応は、それぞれちがうものだった。

 一人はあわてふためきながら逃げようとする。

 一人はその場でしゃがみこんだまま。

 もう一人は、弓に矢をつがえて攻撃してきた。

 飛んでくる矢。

 見える。

 遅い。

 狙いも不正確。

 デモ活動のスキルで迎撃することもできないほどの大外れ。

 2本目の矢は届きもしない。

 3本目の矢も、はるか手前で落ちる。

 ジャッジが言っていたとおり、しょぼい矢だった。

 弓を充分に引いてから射ることができなくなっているのだろう。

 自分の体が思いどおりに動いていないことを悟ったのか、男は射撃をあきらめて撤退することにしたようだ。こちらの様子をうかがいながら走り去っていく。

「オープン」

 俺はオープンでオープンした。

 木と藪を透過して「5261」という数字が見える。最初に逃げ出した男の数字か。

 それを後ろから追い抜いていく弓矢の男の数字は7853。意外と大きい。それだけの圧力を感じながらも一矢むくいようとしたモチベーションの高さが光る。

 そして最初にいた場所から動くこともできていない男の数字は19531。初の5桁が出た。

 俺はラグーに拳を向けてうなずいた。

「やったなエイチャ」とラグーが言った。「ちょっとゼノが混じって何言ってんのかわかんないところが逆に良かったかも」

「ゼノ?」

「ゼノグロッシア」

「あー」

 ゼノグロッシア。

 ウラキアでの最初の夜に聞いた。

 2周目の世界にない言葉を俺が口にすると、こちらの世界の人間には、謎のノイズが重なったような感じで聴こえるらしい。

 たまにAIが翻訳や解釈を放棄する単語みたいなものだろうか。

 とにかく、うまくいったらしい。

 ラグーは、置き去りにされたまま頭を抱えて震えている男を縛り上げた。

 最初は暴れたが、俺が近くで一声吠えると、目をあけたまま気を失ったかのようにおとなしくなった。数字は2万を超えていた。

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