夜景
「君ってさ」
飲み過ぎて泥酔した僕は、少年の様な姿に、少年の様な声をした君の手を撫でながら言う
「本当は未成年だったりしない?」
君は黒いネイルの入った手で僕の頭を撫でながら「違いますよ」と愛らしく答える
変声期を迎えていない声のようにも感じられるが、『そういう声が出せる人も居る』と聞いた事も有る
良い夜だ
多分偶然なのだろうが、シャツにスラックスの今日みたいな服装の君が僕は一番好きだった
仮に未成年だったとして、そう答える意味も無い
カウンターに突っ伏しながら僕は「また愚かな事を話したな」と感じていた
金曜の夜ではあるが他に客は無い
夜は僕たちに優しく、時折外で車の走る音がする以外は店内は静寂に満たされていた
「今日さ、店長も居ないんでしょ?」
「久しぶりにお願いしたいんだけど…」
面と向かって言うのが恥ずかしく思えて、僕は顔を上げずに君にそう伝える
平静を装ってはいるが、何しろ僕はモテない
本当は、君に襲い掛かりたいくらいの衝動が心の内には在る
………とはいえ、若くもない僕にはそんな元気も無かったが
「───安くないですよ」
まだ僕は突っ伏したまま、落ち着いているフリを続けてそれを聞いていたが、本当は突然耳元に当たった吐息と声に抑え難い感情を覚えていた
「いいよ…」
酔っているからだろうか、今夜は君に幾らでも払いたい気分だ
僕はポケットの財布を取り出して──そこで、はたと気が付いた
「………ん?待って」
「『君にとって必要な事』なのに、僕がお金を出すの?」
君がえへへと笑う
「でも」
「払いたくなってましたよね?」
眩しい
なんて笑顔だ
いつも騙されそうになる
騙してるのとも違うのだろうか
酔った頭には解らなかった
「とにかく飲んでみて下さい──」
「いや、大事なことだ」
袖をまくろうとする君を制して、僕が言った
若い頃営業マンだったせいか、酔っている時の方が僕はこういう事に拘りがちだ
「僕は」
「払わない」
「………駄目かな?」
最後に僕も笑い返したが、これで印象が良くなったとは思えない
君は「仕方ないですね…」と困った顔で笑いながら、袖を肘までまくった
細く白い君の左腕には、切り傷が横向きに幾つも走っている
いつだったか、僕が「イーゼルに掛けたキャンバスをナイフで引き裂くとこうなるよね」と言った時、君は哀しそうに笑った
急にそれを思い出して、僕は感傷的な視線で君の腕をまじまじと視詰めていた
「あまり視ないで下さい」
照れたように視線を逸らしながら君は言うと、カウンターの中に在る流しから果物ナイフを手に持った
果物───これから切断されるのも、或る種の甘い果実では在る
酒の抜け切らない頭には、それがとても詩的な事のように思えた
「んっ………」
果てる時のような声で、君はいつも腕を切る
溢れ出る血液の量は心配になる程に多く、初めて視た時は救急車を呼ぶ事さえ僕は考えた程だ
それらは総てグラスへと注がれる
そして、僕の元へ供される事になる
「これって一般には吸血鬼の逆の存在だと思うんだけど…」
「なんて呼べば良いんだろうね」
こんなにも美しいのに、飲むと無くなってしまうなんてあまりに残酷だ
再び突っ伏すと、グラスを色々な角度から視ながら僕は君にそう問い掛けた