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6,流行は耐え難いほどの醜さの一形態――

冬の風は、肌を刺すように冷たかった。

それでも、海歌は片瀬西浜の砂を踏みしめながら、波打ち際を歩く。


潮の香りは、夏よりも澄んでいる気がした。

夏は陽光に焼かれた砂と、潮騒と、人のざわめきが混じり合っていた。

けれど冬は違う。


波の音と、風の音だけ。

誰もいない海には、沈黙と静寂が広がっていた。


「……人がいないね」

海歌が呟くと、隣を歩く彼がふっと笑う。


「そりゃそうだ。流行っていうのは、半年ごとに変わるんだから」


「……は?」


海歌が眉をひそめると、彼はポケットに突っ込んでいた手を抜いて、ページの折れた文庫本を見せた。


「オスカー・ワイルド曰く、『流行は耐え難いほどの醜さの一形態であり、半年ごとに変えざるを得ない』……だそうだ」


「またワイルド?」


「いいじゃないか、名言なんだから」


彼はそう言って肩をすくめ、冬の海を見渡した。


「夏になればまた流行る。でも、それも一時的なものだ」


海歌は少し考えてから、ぼそっと呟く。


「じゃあ、あたしがここにいるのは?」


彼はすぐに答えなかった。

代わりに、持っていた文庫本を軽く振る。

冬の潮風がページをめくろうとするのを、指先で押さえながら、ゆっくりと口を開いた。


「君は流行じゃない。……たぶんね」


「たぶん、ってなに」


海歌は肩をすくめ、わざと明るく言う。

彼は曖昧に笑ったまま、何も答えない。


(……本当に自由になりたかったのは、あたしじゃなくて、あんたのほうじゃないの?)


波は変わらず、淡々と砂を洗っていく。

流行のように消えたりしないもの。

それを眺めながら、海歌はふっと息を吐いた。


「流行みたいに消えたりしないんだね」


彼はその言葉に、ほんの少しだけ驚いたように目を向ける。

けれど何も言わず、ただ穏やかに微笑んだ。


風が吹き抜ける。

彼の文庫本のページが、また一枚めくられた。


「……寒い」


海歌が小さく肩を抱くと、彼はポケットの中から、少しくしゃっとしたハンカチを取り出して差し出した。


「……なに?」


「寒そうだから、なんとなく」


「ハンカチじゃ寒さはしのげないよ」


「そっか、残念」


彼は冗談めかして笑う。

けれど、その笑顔はどこか淡く、遠いものだった。


(あたしは、この人の何を知っているんだろう)


あたしはここにいる。

でも、あんたはどこにいる?


潮風が吹くたび、彼の輪郭が少しずつ遠ざかっていくような気がした。


冬の海は、ただ静かに波を打ち寄せていた。

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