年金
定年を迎えた翌日、妻だった女が熟年離婚を切り出して来る。
俺は身一つで出て行くのなら応じてやると言ったところ、女は判が押された離婚届を置いて無言で出て行った。
まったく朝から騒がしくしやがって、まあいい銀行に行って今月の生活費を下ろして来よう。
俺は散歩を兼ねて銀行まで歩いて行き、妻だった女に離婚を切り出された以上の衝撃を受ける。
生活費や光熱費の支払いに使っていた通帳の中身が全て、年金機構に差し押さえられていたからだ。
銀行の窓口で訳を尋ねても年金機構に尋ねてくれとしか言われない為、市役所にある年金機構の出張所に駆け込み窓口で対応した係員を怒鳴りつける。
「これからの老後の生活に必要な通帳を、何も言わずに突然差し押さえるとはどういう事だ!」
「落ち着いてください。
お調べしますので、こちらの書類にお名前と生年月日その他をお書きください」
係員の言葉に俺もこんな下端に怒鳴りつけても埒が無いと気が付き書類に必要事項を書いて提出し、ロビーの長椅子に座り名前を呼ばれるのを待つ。
「橋元勝様! お待たせいたしました」
待たされること約20分ようやく名前を呼ばれた。
手を上げながら長椅子から立ち上がり名前を呼ぶ係員の下に歩み寄る。
係員は俺の顔を見て名前を確認したあと変な事を言い出した。
「窓口では話し辛い内容ですので、奥にどうぞ」
「何だ! 話し辛い事って? お前らのミスを隠すため奥に連れて行こうと言うのか?
ここで話せ! ここで」
「そ、それは……分かりました、それではお話しますのでお座りください」
俺は係員の言い訳の言葉を聞くために窓口の前の椅子に座る。
「橋元様あなたはご自身とご家族の分しか年金を支払っていらしゃらないので、通帳を差し押さえさせて頂きました」
「ハァ? 俺と家族の分しか払っていないって当たり前の事じゃないか」
「あなたは58年前と53年前に同級生の方たちを虐めで自殺に追い込んだ事がおありですよね? 遠い昔の事なのでお忘れですか?」
係員の言葉にカウンターの周りにいた人たちがざわめく。
「な、なんで、その事をここで言うのだ? 言うならもっと小さな声で言ってくれ」
「ですから先程、奥に行きましょうと言ったのです」
「今から奥に行こう」
「お断りします。
あなたご自身がここで説明を受けたいと希望されたのですからその席をお立ちになった時点で、あなたが納得したと私共は理解し二度と説明はいたしません。
いががいたしますか?」
「わ、分かった、説明を頼む」
「年金法が40年程前に変わりましてね。
本来ならこれからも税金や年金を納め続けていた人や、これから納める筈だった人が殺された場合。
殺した加害者にその支払われる筈であった税金や年金を支払う義務が生じ、請求出来るようになりました。
ですからあなたには虐めにより自殺に追い込んだ方たちの分の年金も、支払う義務があるのです」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。
虐めで自殺に追い込んだのは認める認めるが、虐めを行ったのは俺1人では無いぞ。
小学校の時はクラスの大半が虐めに加わっていたし、高校の時は俺以外にも虐めを行っていた奴が何人もいるぞ。
それに一度もそいつらの分を請求された事が無い」
「落ち着いてください、質問には1つずつお答えしますから。
最初の質問、虐めから自殺に追い込んだのは自分だけでは無い。
当然、他の方たちにも支払い義務が生じています。
法が執行されると同時に支払いを始めた方もおられますし、お亡くなりになられている方や刑務所に収監されている方もいらしゃいます。
ここで問題になるのは、個々の支払額がどういうふうに決められ割り振られるかです。
殺された方が税金や年金を一度でも納めた事がある方なら、そこから計算し納める金額が分かります。
しかしそうでは無く一度でも納める前に殺された方。
この方たちの場合は生年が同じ方の内で、一番税金と年金の納めている金額が多い方と同額の金額が請求されます」
「待てよ、小学校の時の奴は学年で一番成績が悪かったから虐められていたんだ。
成人しても低所得者にしかならなかった筈だぞ」
「そんな事はその方か成人してそうならない限り分からないでしょう?
世の中には中学高校に入学してからがむしゃらに頑張り、我が国最高峰の大学に一発合格した方。
成人してから己の持つ才能に気がつき、その才能を開花させて活躍している文化人の方もおられます。
あなたが虐め殺した方たちがそうで無いと言えるのですか?」
「う……、そ、それは……」
「説明を続けます。
最初の時点では均等割りです、しかしお亡くなりになった方の分や刑務所に収監されている方の分、低所得の為ご自身の年金分でさえ低く押さえられている方、この方たちの分はどうなるかと言いますと。
国民の収入額の平均を上回っている方たちに請求されます。
全員上回っていない場合は均等割りですがね。
2つ目の質問ですが、何故私共が年金支払い義務のある方たち1人1人を調べ、請求しなければならないのですか? 人を殺したのはあなたです。
過去に犯した罪を反省し贖罪の気持ちがある方は、自分で調べ私共や弁護士さんや会計士さんに相談して支払える金額を納める。
逆に反省しておらず贖罪の気持ちが無い方たちは、あなたのように貰える立場になって初めて請求に気が付く。
この法律によって、過去に犯した事を反省しているかどうかを見極める事も出来るのですよ。
ですから、この法が執行されると同時に自身に請求されるであろう額を調べ、支払いを開始した方たちの請求額は多少減額されています。
まあその分、あなたのような方たちの請求額が増えているのですがね。
お分かりになりましたか?
それでですね、あなたの場合なんですが通帳を差し押さえただけでは請求金額に達しませんでしたので、次の請求日までに動産などを処分し請求金額全額を納めてください。
請求金額を納められない場合、通帳以外の財産の差し押さえが警告無しで行われます。
忠告しておきますが、全ての請求金額を納められるまで生活保護の申請を行っても無駄ですからね。
それでは失礼します」
「ま、待ってくれ。
財産を処分しても足りなかった場合、俺はどうやって生活して行けば良いのだ? 教えてくれ」
「我が国にある全ての会社には死ぬまで雇用する終身雇用の義務が生じていますので、あなたがお勤めだった会社に相談されてはいかがですか?」
係員は俺にそう告げると席を立ち奥に引っ込んで行ってしまった。




