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「君を愛する事は出来ない」と言われたけれど当たり前では?

作者: 葉月猫斗

 金持ちでハンサムなバートランドと花のような愛らしい容姿をしたアンリエットの結婚は、周囲から似合いの夫婦だと祝福されるものであった。

 しかし結婚式を終えて屋敷に戻ると、アンリエットは夫からこう言い渡された。


「僕の心は既に恋人に捧げている。すまないが君を愛する事は出来ない」

「はぁ……」


 少し目を見開き曖昧に頷くアンリエットの姿にバートランドの中で少しだけ罪悪感が芽生える。しかし貴族としての責務と彼女への愛で揺れ動く彼にとっては最大限の譲歩であった。


「勿論貴族としての責務は果たす。君との子を跡継ぎにするし社交にも同伴させる。金も自由にして良い。だからケイティを追い出すような真似はしないでくれ」

 

 ケイティとは互いに愛し合っているが、身分が壁となり結婚は叶わなかった。自分は侯爵家の子息で彼女は平民。家を守る為にも妻は貴族の娘を迎える必要があった。

 そこで彼は妻となるアンリエットに契約結婚を申し出たのだ。子どもは作るし彼女が産んだ子を跡継ぎとする。貴族の妻としての役目を果たせるよう社交にも出させる。だから唯一恋心を捧げたケイティの存在を許せと。

 

 それを言われた彼女は戸惑うように彼の言葉を繰り返す。


「えっと……、社交に同伴させるし私が産んだ子を跡継ぎにするから、愛人を持つ事を許せとそう仰いたいのですよね?」

「あぁ」

「そういう条件であれば私は別に構わないですけれど……」


 思ったよりずっとあっさりと了承を得られて拍子抜けしてしまう。少し眉を寄せた顔からは不満が滲み出ているようだが、振り向かせてみせる自信があるのか、あるいは子どもが産まれれば変わると思っているのか。

 だがこれで彼女と一緒に居られる。バートランドはホッと胸を撫で下ろすとあらかじめ用意しておいた契約書2枚にサインを求めた。1枚は原本、もう1枚は写しで契約違反が起きたりケイティに何かあった際は突き付けるつもりである。


 アンリエットはじっくりと2枚共に目を通すと両方にサインをする。続けて自分もサインを書いて契約は無事成立した。


 流石に初夜くらいはアンリエットと過ごさなければならない。準備もいるだろうから一旦彼女を自室へと帰し、その間にケイティへ手紙を書く事にした。今日は行けないが後日埋め合わせをする事、妻が自分達の関係を許してくれた事、次のプレゼントは何が良いかなどを。

 

 一方妻となったアンリエットは彼の言葉を何度も反芻していた。難しい顔をしていたからだろうか、自室に帰ると出迎えた侍女のメアリーにどうしたのかと心配されてしまった。

 

 「ねぇメアリー、旦那様に変な事を言われたの。『恋人が居るから君を愛する事は出来ない』ですって」

「はぁ、まぁ……」


 頬に手を添えたメアリーもどんな反応をすれば良いか分からず曖昧に返事をする。

 しかし2人とも怒っている訳でもショックを受けている訳でもない。ただただバートランドの言動を不思議に思っていただけなのだ。


「夫や妻を愛さないなんてごく普通の事なのに、なぜあの人はわざわざ宣言したのかしら?」


 アンリエットは違う国から嫁いで来た令嬢である。彼女の国では結婚前は恋人を持ってはいけないが、結婚後は夫や妻とは違う人を恋人にするのは当たり前であった。

 彼女も例に漏れず、結婚したからには他の人と同じように自分も恋を楽しもうと思っていた。だから「愛する事は出来ない」と言われてもそれはそうだと返すしかない。夫婦としての情と恋愛は全くの別物だからだ。


 バートランドに結婚前から恋人が居たのは予想外だったが、彼との縁談が決まったのはごく最近だったし目を瞑ろう。

 これで白い結婚だの愛人の子を跡継ぎにするだの言いだしたら、大急ぎで実家に手紙を出すところだったが、彼の提示した条件は生国と何も変わらない。念の為契約書の全文を隅から隅まで目を通してみたが、特に気になる点は無かった。


 愛人は別邸住まいで顔を合わせる事も無いらしいし、本当に彼が何故あんなに悲壮な顔をしていたのか分からない。

 ここまでする意味があるのかと本気で考えたが、土壇場で愛人の子を跡継ぎにすると言われても困るので何も言わずサインした。


 彼の奇妙な言動に揃って首を傾げる彼女達は知らなかった。この国では結婚後に別の人と交際するのは不道徳であり、知られれば糾弾の対象となる事を。

 

 もし彼に愛人がおらず、夫婦として歩み寄る心がけを言葉や態度で示していたならば文化の違いに薄々気付けたかもしれない。

 しかし結婚当日に愛人の存在を知らされた事で、彼女の中では嫁ぎ先の国も愛人を持つ文化があるのだとすっかり思い込んでしまった。

 

 この認識の違いは後に騒動が起こる要因となるのだが、今は誰も知る由もなかった。



 

 初夜も滞りなく終わり、宣言通りバートランドはアンリエットを積極的に表に出し、恋人のケイティは平民であるからか屋敷に仕舞い込んでいた。

 

 家に帰れば直ぐに愛人であるケイティが住む別邸に引っ込むのだが、時折ちゃんと寝室を訪れてくれるので跡継ぎの心配も無い。この家の使用人の心配を余所に、彼女はいたって順風満帆な夫人人生を送っていた。

 時々使用人達の妙に気遣わしげな態度が引っかかったが、他国から嫁いだ自分に心を砕いてくれているのだろうとそれ以上は深く考えなかった。


 少し経って友人も出来るようになると夫婦宛てではない個人的な招待も増えて来る。

 そして友人のうちの1人に招かれたパーティで、ある男性と出会った。その人は偶然にも、同郷から国王の命によりこの国へと派遣されている伯爵だった。

 

 彼の精悍な顔立ちに惹かれてしまった彼女は、その日から彼が出席する予定の社交を調べてはせっせと出かけて顔を覚えてもらう努力をした。

 そのうち自然と会話をするようになり、少しずつ距離を詰めていけば、趣味もよく合うし一緒に居るととても楽しかった。

 

 彼女が想いを寄せるルイもまた、彼女の愛らしい容姿と快活で穏やかな人柄、趣味嗜好も合い、何より故郷の話題で時間も忘れる程会話が弾んだ事で好意を持つのに時間は掛からなかった。

 

 2人は一緒に居る時間が増えていった。本来異性と距離が近いのはあらぬ疑いを掛けられてもおかしくないのだが、余りに堂々としているからか周囲も困惑しきりだった。

 これで密やかな態度でいれば噂が広がっていたのだが、堂々とされていると疑う自分が変なのでは、と思ってしまうのが人間の心理である。

 

 それでも流石に彼女の友人達は、いくら本人にその気がなくても悪意ある者から変な噂を広げられると忠告をしようとしたのだが。


「いえ、彼とはちゃんと恋人同士よ?」


 なんとアンリエットは彼との関係を肯定したのだ。友人たちは驚き開いた口がふさがらなかった。

 関係を認めた彼女の顔には罪悪感も怯えも見受けられず、罪を犯しているという意識は全く無さそうだった。

 

 はて彼女はこんな人だっただろうか。まだ長いとは言えない付き合いだが、アンリエットの人となりはそれなりに知っている。

 今までの言動から至って常識的で人並みの良心もあるごく普通の子の筈なのに、目の前にいる彼女が別の生き物のようで何だか不気味だった。


 その時友人のうちの1人が重大な事を思い出し目を見開く。そういえば彼女の出身国は、結婚後は男も女も愛人を持つのは当たり前という認識の文化だったと。

 温度差の正体を他の友人に慌てて共有すると一様にギョッとした顔になる。コソコソしている友人達の様子にアンリエットが首を傾げていると、友人の1人が恐る恐る尋ねてみた。

 

「……ご主人はご存知なのかしら?」


 知らなかったら後の火種になるかもしれないし、知っていて黙認しているのだとしたら単純に危ない人だ。しかし帰って来たのはこれまたととんでもない言葉だった。


「主人には言っていないけれど……、そういえば主人は恋人の存在を報告してくれたわね。この国では報告は義務なの?」


 なんと彼女の夫が既に愛人を囲っていたのである。一瞬呆然とする友人達だが、すぐに我に返り互いに目配せする。

 

 侯爵に非が無いのであれば、彼女の行いはこの国では倫理に反すると諭すつもりだった。だが侯爵に愛人が居るのであれば彼女だけに我慢を強いるような真似は出来ない。

 男女問わず浮気はご法度とされているこの国だが、侯爵のように秘密裏に愛人を囲うような男もそれなりにいるのだ。そしてそういう男は妻が抗議をしようと一向に懲りようとしない。


 しかし彼女はこちらの文化への疎さ故に「自分も浮気をする」という特大のカウンターをしてみせたのだ。

 彼女の両親も知らなかったのか、知っていて不当な扱いをされた場合に備えて黙っていたのかは分からない。だが彼女の行為が明るみになった時、恥をかくのは間違いなく侯爵の方だ。

 

 自分が愛人とよろしくやっていた最中、妻も恋人を作っていたなんて知った時の侯爵の顔を想像しただけで胸のすく思いだ。彼女達の心は一致していた。

 

「いいえ義務ではないわ。その人の自由よ」


 成程と頷くアンリエットを最近話題のカフェに誘いながら、友人達は心の中で彼女の夫に舌を出した。


 


 友人の黙認もあって恋人との逢引を楽しんでいたアンリエットだが、逢瀬が続いていれば流石に周囲も怪しみ始める。

 

 男の家から早朝に2人が出て来た場面を目撃した者が現れ、とうとう2人は噂の的となった。口さがない者からバートランドは妻に浮気された男と揶揄され、アンリエットは清楚なふりしてスキモノだと嘲笑された。

 だが前者は妙な巡り合わせで本人の耳には入らず、後者は友人達が別の話題で彼女の気を引いていたのと、噂の人物がまさか自分の事だとは夢にも思わず変わらぬ日々を過ごしていた。

 

 罪悪感からかあまり妻の行動に注視していなかったバートランドだが、彼の両親は違う。義理の娘が特定の男性と妙に距離感が近いと噂を聞きつけた義両親はこの件について問いただそうと2人の家にやって来たのだ。


 突然来た義両親に面食らいながらも使用人にバートランドを呼ぶよう命じ、その間持て成そうとするアンリエットの態度には何もやましい事は無いと語っているようだった。

 だが複数の人間から証言は取れているのだ。後ろ指を指されないようあえて堂々と振舞っているのだとしたら顔に似合わずとんだ性根の悪さだ。


 今日はとことん問い詰めてやろうと思っていたのだが、1杯目の紅茶を飲み干しても息子はやって来なかった。


「遅いわね……何かあったのかしら……?」

「別邸で恋人の方といらっしゃるので時間がかかっているんですよ」

 

 アンリエットがあまりにあっけらかんと話すから一瞬流しそうになるのを寸でのところで思い留まる。今彼女の口からとんでもない単語が聞こえたような気がした。


「恋人とは、どういう意味かしら……?」


 義母であるグロリアが自分の耳がおかしくなったのかと聞き返す。まさかうちの子に限って、何かの間違いであってほしいと願ったのだがそれは直ぐに打ち砕かれた。


「バートランド様はケイティという名の恋人がいらっしゃいます。とても大事にされているようなんですよ」


 彼女は一応気を遣って恋人が結婚前から居たという事実は伏せておいた。躾が緩い家庭でも無い限り、男でも結婚前に恋人を作るのは言語道断であるからだ。

 

 だが義両親にとって彼女の気遣いは無きに等しかった。伴侶とは別に親しい異性が居る事自体がけしからんとされているこの国で、結婚前どうのこうのの問題では無いのである。


 義両親が嫁の言っている事が本当かどうか使用人達に目で問うと、彼等も目を伏せて事実だと肯定する。


「ごめんなさい。ちょっと主人と相談があるから私達が呼ぶまで別の部屋で待機してくれるかしら……?」


 義母の震える声に何か粗相してしまったのかと、アンリエットは見当違いにも戦々恐々する。今のが義両親による抜き打ち検査だとしたら嫁に相応しくないとして離縁させられてしまうかもしれない。

 しかし今更気づいてももう遅い。最悪の事態に備えて身の振り方を考えよう。そう思い彼女は別室へと移った。勿論彼女の考えは杞憂である。


「……いつからそのケイティとやらと関係はあったの……?」


 グロリアの問いに家令は恐縮しきりといった様子で懺悔するように答える。

 

「実は結婚前からでして……、奥様には結婚式の直後に伝えたそうで……」


 義父のロバートは顔を手で覆い、グロリアはハンカチに顔を埋めて泣き出す。感情を表に出すのは貴族らしくないが、今だけはそんな事は言っていられなかった。

 うちの息子に限ってそんな事は無いと安心しきっていたのが間違いだった。これで結婚を機に縁を切っていればまだマシだったが、関係を続けていて更には結婚式の直後に己の妻に伝えるなんて。


 何という屈辱だろうか。清楚なふりしてとんでもないあばずれかと思いきや、全ての元凶は息子にあったのだ。


「浮気は意趣返しと言うことか……。しかしちとやりすぎな気もしなくもないが……」

「あなた!何を言っているの!?」


 大泣きをしているグロリアがガバリと顔を上げる。


「こんな妻の沽券に関わるような事言われて黙っていられる筈ないわ!だからあの子も自棄になって……!」


 義両親の中で彼女はすっかり悪女から悲劇の花嫁へと変わり、この場は彼女の道徳を問うものから馬鹿息子への糾弾の場に変わった。

 

 話し合いが終わり戻って来た彼女はグロリアの目が少し赤くなっている事に気付きつつも、原因が分からず取り敢えず夫が来るまでおとなしく待っておくことにした。


 一方バートランドは両親の突然の訪問を伝えられ慌てていた。情事の跡を悟られないよう、急いで湯浴みをして急いで着替え、息を切らしながら来たのだが両親、特に母などは殺意が篭った目で睨みつけている。重苦しい雰囲気の中で涼しい顔をしている彼女だけが異質だった。

 

 これは確実にケイティとの関係がバレたなと彼は悟った。逃げようにも逃げられないし、暫くは大人しくして油断させておいて両親に報告したのだろう。今まで隠し通せていたのに中々の策士だ。

 

 だがこちらには契約書がある。誰を味方に付けようと貴族の契約は絶対、サインを交わした以上覆す事は出来ない筈だ。そう自身を奮い立たせていると父が重い口を開いた。


「私達は最初アンリエットの交流関係について問いただそうと此処にやって来たんだがね。アンリエット、クーツ伯と不倫関係にあるのは本当なのか?」

「え?」


 バートランドにとって父の言葉は晴天の霹靂だった。不倫?誰が?アンリエットが?つまり彼女は他の男にも抱かれていたのか?

 そして本人があっさりと認めた事で思考が固まりかける。母は泣きながらアンリエットに謝罪を始める。


「ごめんなさい!うちの子に限ってと、見ていなかった私達の責任だわ!貴女をそんな風に追い詰めてしまったなんて!」

「え?お義母様?」


 1人暢気なアンリエットはこの展開に全くついて行けていなかった。落ち着かせようにも何故こんなに泣いているのか分からないし、追い詰めたと言われても心当たりが全然無い。


「バートランド……、ジャックから全て聞いたぞ。お前は結婚後も恋人と共に居たいが為に契約婚を迫り了承させたと!このばかもんが!」


 ロバートの叱責にアンリエットは目を白黒させる。これの何処に怒る要素があるのかさっぱりで、自分の事について話している筈なのに置いてけぼりにされている感覚が半端なかった。

 

「しかし契約書もあります!それにそこらの浮気者と違ってちゃんと彼女の名誉を守る配慮もしています!現にケイティの存在は外に露見していないでしょう!?」

「それで彼女が傷付かないとでも思っていたのか!?向こうのご両親にどう説明するつもりだ!?」

「あ、あのっ!」


 ガタリと音を立てて立ち上がる。貴族令嬢にあるまじき行儀の悪さだが、こうでもしないと止まってくれそうになかった。

 漸く3人共自分を見てくれてホッとすると、先程からずっと疑問に思っていた事を聞いてみた。


「あの、そもそもお義父様とお義母様は一体何に怒ってらっしゃるんですか?バートランド様は何も悪い事はしていないと思うんですが?」


 そう言うと義両親は一先ず興奮は収まったが、代わりに一気に萎びたような雰囲気になる。


「何も妻だからってこんな馬鹿な子を庇わなくても良いのよ?」

「すまない、私達の育て方が間違っていた……。国を離れて嫁いでくれたそなたに対して不倫を許せと言い出すような厚顔無恥になるなど……」


 アンリエットは困惑しながらも義父の言った「不倫」と「厚顔無恥」、に話が噛み合わない原因はこの辺りかと何となく推測する。

 わざわざ確認するなんて几帳面だなとしか思っていなかったが、細かなルールの違いによるものだろうか。だとしたらこれを機にすり合わせをしておかないと。

 

「不倫って許す許さないの問題ではないですよね?」

「あぁ、この償いは……」

「いやですから、不倫に怒る要素などありませんでしょう?あ、それとも貴族を愛人にするのは良くて平民を愛人にするのは悪いとかですか?」


 今度は3人が固まる番だった。相手が貴族だろうが平民だろうが不倫は不倫だ。それに怒る要素など無いとはどういう事だろうか。


「私の国では貴族も平民も愛人に出来るんですが、こちらの国は許されるのは貴族だけですか?平民を愛人にしている事が知れたら周りから誹りを受けるとか……」

「ちょ、ちょっと待って、それじゃあ貴女の国では不倫は認められているように聞こえるのだけど……」


 続きの台詞をグロリアが遮る。虚勢を張って平然なフリをしているだけと思ったが、彼女の言葉には不倫に関する嫌悪感が全く見受けられない。

 国自体が不倫を認めているなんて、そんなまさか節操の無い道理がまかり通る筈が無いのだが。

 

「結婚したら伴侶とは別に恋人を作るものですよね?」


 キョトンとした顔で告げられた言葉はカルチャーショックを与えるのに十分であった。

 


 

 なるべく声を荒げないよう努めて優しく聞き出せば、彼女の国は男も女も結婚すれば自由に恋人を作れる奔放な文化であった。

 結婚はあくまで家同士の契約で、恋愛は伴侶以外に求める事だと究極的に結婚と恋愛を切り分ける性質で成り立っていた。


 対するこの国では貴族同士の結婚は基本政略結婚だが、好きになった人と家柄が釣り合えば結婚は可能だし、本人同士の相性もそれなりに重要視されている。

 だからこそ浮気や不倫は御法度なのだが、結婚に対する観点がこんなにも違うとは予想外であった。


 尚、アンリエットの友人の一人が彼女の国の文化について知っていたのは親しい従姉が彼女の国へと嫁いで行った為である。

 従姉からの手紙にはしょっちゅう不倫を推奨する文化について行けないと愚痴が書かれており、それで文化の違いが印象に残っていたのだ。


 彼女の説明を聞いたロバートとグロリアは眩暈を覚えながらこの国の結婚観について丁寧に説明した。そして彼女に不倫の噂が広まりつつあるのを心配して来たのだと話を締めくくると、漸く話が噛み合わない原因を知ったアンリエットから大量の汗が噴き出た。


 バートランドは恥ずかしそうに頬を赤らめる妻を呆然と見詰める。初夜の前、彼女がやけにあっさりしていたのはショックで言葉を失った訳でも痩せ我慢でもなく、彼女にとって当たり前の事を言われて困惑していただけだなんて。

 自分はクーツ伯との関係を聞いた時に少なからず嫉妬したのにそれさえもされなかったなんて。


 我ながら随分自分勝手な事を思っているが、何の根拠も無いのに自分には心に決めた人が居ても彼女は自分を愛してくれていると傲慢に思い込んでいたのだ。

 

「バートランド……。彼女に不倫をやめて欲しいなら、まず先に貴方が恋人と別れる事ね」

「はい……」

 

 グロリアが開いた口が塞がらない様子の息子に、我儘を貫きたいのなら筋を通せと暗に言う。彼も母の言葉に反論も出来ず頷くしかなかった。

 

 こうして彼等夫婦の恋人は伴侶公認であり両親公認でもある奇妙な立場を得る事となった。

 後にアンリエットは友人達に何故説明してくれなかったのと詰め寄ったが、隠れて女を囲うような男をぎゃふんと言わせたかったという言葉に、仕方なく有名スイーツの奢りで許してあげる事にした。


 友人達の不実な男への逆襲はまだまだ終わらなかった。名前は伏せつつも彼等の事だと分かるように、不倫が公然と認められている国から嫁いだ妻が、夫から愛人の存在を告げられてこちらも同じ文化なのだと勘違いして堂々と浮気したと吹聴したのだ。

 

 彼女の名誉を守る為にもばら撒いた噂話は功を奏し、アンリエットは特に何も言われない一方で、バートランドは「妻に浮気された男」から「妻に堂々と浮気をする口実を与えてしまった男」と更に格下げされ恰好の噂の的になった。

 

 今まで夫の浮気に憤っていた夫人達も「夫が愛人を囲っているので私も愛人を作りますね」や「夫が愛人を持っているからには私も持っても良いという事ですものね」などと公言し、愛人との縁を切らせる事に成功したそうだ。

 ちなみに本当に愛人を作ってしまい、以前よりも生き生きとしている夫人も居るという。


 この浮気をされたら自分も浮気をするという意趣返しがこれからの文化と成りえるかどうかは神のみぞ知る。


 

 付け加えておくと彼女は宣言通り妻としての役目もきちんと果たし、夫との間に二男一女を儲けた。

 夫との結婚はあくまで契約と割り切っている彼女が子どもを愛せるかどうか不安視されていたが、意外にも彼女は良い母となった。

 褒めるところは褒め、叱る時は叱り、愛情いっぱいに育った子ども達はすくすくと大きくなっていった。上の子はあと数年もすれば縁談が持ち上がるだろう。


 その際には勿論この国の一般的な結婚観をきちんと教育するつもりである。

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子供が出来たのはいいけど誰の種なんでしょうかねえ。 でも彼女の生んだ子を後継ぎにする契約書を突きつけたのは夫だから仕方ないね笑
結婚後に後出しジャンケンで自分にだけ都合のいい条件を課してくる卑劣マンと同じことをやり返してやりこめるストーリーがいい! >アンリエットは違う国から嫁いで来た令嬢である。彼女の国では結婚前は恋人を持…
恋愛遊戯は、既婚者がするものだったという話を思い起こしました。
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