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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
99/136

97.天威種-アーカンヴォルツ-

 脳が指令を送る前に、反射的に手が伸びた。


「ぐっ……!」


 強い衝撃と、肩に大きな負担。指先まで走る痛みは思わず腕から力を奪うが、完全に脱力しきる寸前に彼女を抱きとめることに成功する。

 そのまま衝撃を殺すために数回床を転がり、棚のひとつにぶつかることでようやく2人の身体は止まった。

 幸いだったのは、子どもを床に寝かせていたおかげで彼女を抱きとめられたことと、倒れないほど棚が固定されていたことだ。


「け、ほっ……っう、う」

「シルヴィア、大丈夫か!?」


挿絵(By みてみん)


 そのまま吹き飛んで壁に打ち付けられるのは防げたものの、咳き込むと同時に背を丸めたシルヴィアは顔を顰めて呻き声を漏らす。何度か浅く呼吸を繰り返し、彼女はやんわりとヴェルの手を押し退けた。


「だいじょ、ぶ。多分、ギリギリ折れてない」


 折れてない、というだけで衝撃に対するダメージは軽微なものではなかったはずだ。しかも、そこに”多分”が付くのであればなおさら。

 それでもシルヴィアは立ち上がり、左手でわき腹を抱えながら右手で拳を握った。しっかりと見据える先は、もちろん笑みの形を崩さないヘイの顔だ。


「折るつもりであればもっと強く蹴っていますよ。体内まで衝撃が伝わるようにしたので単純に痛いだけです、安心してください」


 たったいま突き出しただろう掌をひらひらと振り、悪びれもない様子でヘイは言う。たしかに彼の攻撃は脚を使ったものが多かったように思える。が、だからといって攻撃は攻撃、害意は害意だ。言われるままに安心できるような要素などひとつもない。

 薄っすらと開いた瞼から見える、蛇を思わせる縦割れの瞳孔が開く。


「驚きました?」

「それなりに。いつから知ってたっすか」

「においに敏感なエルフが貴女にあまり抵抗感を示しませんでしたし、そもそも貴女自身のにおいも少し特殊でしたし。元から人間ではないだろうなとは」

「だからってその名前が出るとは思わなかったけど。さっき一緒にいた単眼鬼(オーガ)の入れ知恵っすか」


 なんとも嬉しそうに笑うヘイ。彼は否定をしなかったが、シルヴィアもまたヘイの言葉を否定しない。否定はしないが苦々しそうに奥歯を擦り合わせ、左手もまた拳の形に握り込む。


「……天威種(アーカンヴォルツ)?」


 ヴェルはといえば、聞き慣れない単語に思わず声を漏らしていた。聞き慣れなくはあるものの、ヴェルの少ない引き出しのそのさらに少ない中身にわずかばかりの記憶のかけらが転がっている。

 覚える優先度は低かった。それでも微かにその名に覚えがあるのは、ディクシアに口酸っぱく叩き込まれた部分に関わっていたからだ。






 大災厄(スタンピード)

 近年で大きなものが観測されたことなどたった1例しかなく、しかしてそれ以前には多大な被害をもたらす事もあった文字通りの災厄。

 守護者にとって防ぐべき最優先事象であり、ディクシアが熱を入れて説明していたのも頷ける。その中に、確かにその単語があったのだ。



───いいかい、ヴェル。僕たちは失われたものを忘れてはいけないんだ。本来、守るべきはずだったものを。

───たとえば……天威種(アーカンヴォルツ)

───彼らが鏡の使用に対する再三の忠告を無視したといえ、絶滅した主な原因は大災厄(スタンピード)を防げなかったところが大きい。初期段階で対応できていれば今頃は……。

───……ヒトの説明中に船を漕ぐなんて、よっぽど余裕だね?




 ……その後、ディクシアに散々扱かれたヴェルにとってはあまり思い出したくない記憶だ。


 だからだろうか。ただでさえ真面目に勉学に取り組む気のなかった姿勢と重なって、その言葉は記憶の片隅に転がされていたのだ。


 どうして紐づける事が出来なかったのか。

 彼がディクシアのように真面目であったならば、シルヴィアの話を聞いたときに気付くことができたのだろうか。


 とはいえ、思い出した記憶は新たな疑問を呼び起こす。





「っ、く……」


 ヘイの姿が一瞬朧げにに見えた、と、同時に頭部を守るようにして腕を掲げたシルヴィアの腕から鈍い音が響く。

 今度は容赦なく繰り出されたヘイの脚が、彼女の腕を捉えた音だ。シルヴィアは短く呻くのみですぐに姿勢を攻勢に転じると拳を彼の顔面に叩き込んだ。

 しかしそれは予期していたのだろう。関節などまるで無いかのようにヘイは上体を大きく反らし。当たれば痛いで済まないシルヴィアの攻撃を難なく避ける。


 そのまま隙のできたシルヴィアの腹を再びヘイの掌底が吸い込まれる、直前。


「おっと」


 彼女の傍を縫うように繰り出された剣尖がヘイの眼を突き刺した。

 が、捉えるには至らない。


「2対1は些か卑怯では?」

「たったいま卑怯な手ェ使った奴が何言うんだよ」

「ヴェル……」


 申し訳なさそうな声が横から聞こえた。

 答えを返す代わりに、ヴェルは先ほどシルヴィアが庇っていた左をカバーするように並び立ち剣を握り直す。


「僕は単純に、シルヴィアさんがあれで心揺らいでくださるか気になっただけです」


 だから初撃は軽かっただろうと、悪びれもしない言い訳が返ってきた。

 

天威種(アーカンヴォルツ)という種自体、僕は初めて聞いたのですが……。絶滅種だそうで」


 そう言ってヘイが嗤う。


 そうだ、ヴェルもそれが疑問であった。ディクシアは確かに”絶滅した”と言っていた。

 しかし、シルヴィアが先に語った話では、彼女の兄を含めてまだ同族がいるはずだと言っていたではないか?



「聞いたところによれば」


 急激にヴェルの眼前にヘイが迫る。

 咄嗟に刃を振り払うが、常人離れした動きは剣の腹を弾く。


天威種(アーカンヴォルツ)は魔力がないのに、エーテルを自在に操ることのできるヒトらしいですね」


 目と鼻の先で、白い顔貌が嫌らしいくらいの笑みを浮かべていた。


「がっ……」


 やはり、追いつけない。

 ガラ空きになった胸に強い衝撃。

 刹那の間に意識が途切れて、我に返った時には既に身体は棚に叩きつけられていた。

 何なのかもわからない器具や素材が降り注いではヴェルの身体を打ちつける。


「ヴェル!」

「大……ッ、丈夫」


 守護者は丈夫だ。そう嘯いて立ち上がるが、そこで胸に激痛が走り膝をつく。


「動くと痛いでしょう。多分、折ってしまったと思いますから。ご無理なさらず」


 ヴェルを嘲笑うかの如く余裕ぶった口調に怒りが募る一方だが、いいように弄ばれているのもまた事実だった。

 動けずにいるヴェルを満足げに見やって、ヘイが次を語り出す。



「そもそも、エーテルをそのまま扱うこと自体が特殊なのですよ。あれは、魔力という器があってようやくヒトが自在に扱えるというシロモノです」


 そう。エーテルとは魔術の構成要素のひとつであり、世界に満ち溢れる不可視のエネルギーだ。

 目に見えず、手に触れず、魔力と重ねることでようやくヒトが扱うことのできるモノ。


「無尽蔵とも言えるエネルギーを、魔術という媒体に囚われず行使することができる───それってとても魅力的ではないですか?」

「そう都合よく使えるわけじゃないっすけどね」

「”はい、そうですか”と物分かりよく返事をできる方がどれだけいるのでしょうかね?僕が思うに、そういう方が少なくなかったからこそ貴女がたは自らの素性を名乗らなくなった……それが、天威種(アーカンヴォルツ)を絶滅種たらしめた原因なのでは?」

「……」

「図星ですか。つまりは貴女のように素性を語らずに生き残っている方々はまだいるということですね」


 ふむ、とヘイは顎に手を当てる。

 シルヴィアは肯定も否定もしない。口に出したところで、目の前の男は半ば確信をもって彼女を揺さぶりにかけているのだ。下手に動揺を見せることこそ悪手であるのは、いま聞くだけしかできないヴェルにだって理解が出来た。


「単純にエネルギーとして扱うだけでも様々。生活魔道具から兵器までいろいろと使い道は考えられそうですが、それだけではないのでしょうね」

「何が言いたいんすか」

「自在に扱えるということは、エーテルを使って世界に穴を開けることだって出来るのでは?」


 普通であれば一定の濃度を保っているエーテル。けれどそれは感知できないほど緩やかな波を打ち、微細な濃度の変化は周期的に天候や環境に影響を及ぼす。


 そのエーテルが何らかの原因で極端に密度を濃くし、世界に開けた穴。

 それが所謂ポータルだ。


 つまり、ヘイが言いたいのはこうなのだろう。






 天威種(アーカンヴォルツ)の能力を使えば、自在にポータルを作れるのではないのか、と。





「そんな都合のいい話があると思ってるんすか!」


 一気に迫った拳はヘイの頬を掠めるのみ。間髪入れずに放たれた脚も直線的で、掲げた彼の腕に阻まれて止まる。弾かれたシルヴィアは食い下がらず、勢いのまま後方へ飛び間合いを取ろうとする。


「だからあくまで可能性を申し上げているのです」


 が、音もなく距離を詰めるヘイの方が僅かに早い。

 たたらを踏みながら二撃、三撃とバランスを崩した体勢で辛うじていなすシルヴィアが、とうとう着地点を見誤った。


 足を滑らせたシルヴィアの頭が床に叩きつけられる───手を伸ばしたヴェルよりも、当然のように彼女を抱きとめるヘイの方が早かった。


 身を固くしたシルヴィアのすぐ目の前に、ヘイの顔がずい、と近付く。


「先ほどヴェルさんを助けに来られたとき……あれが貴女たちの能力であるなら、当たらずとも遠からずでは?」

「ちょ、近」

「教えて欲しいのですよシルヴィアさん。どうやって彼の元に飛んだのですか?その力を使えば、今この手からも抜け出せるのではないですか?」

「言われなくても……っ」


 キッ、と険しい瞳がヘイを睨み上げる。彼女の周りの空気が揺れ、かすかな光を伴い始めた瞬間、待っていたとばかりにヘイは嗤った。


「どうしてその力を使って探し人のところへ行かないんでしょう?お兄様を探すつもりなんて、そもそもないのではないですか?」

「は、」


 シルヴィアの顔から表情が抜け落ちた。


 集まりかけた光が霧散する。


「最初の紹介の時にお話して下さったじゃないですか、お兄様を探しているのだと。本気で探しているのであれば、その力で直ぐに駆け付ければいいでしょうに」

「ッッ勝手なことを!」


 突き出した拳は怒り任せで、当然の如くヘイの掌に阻まれる。


「彼自身も会う気がないから、貴女の元へ来てくれないのでは?」

「私が、私が……どんな思いで……」


 震える声。

 明らかな感情の揺れ動きに彼の笑みは嬉しそうに深くなるばかりで───








「いつまでもニヤニヤ笑ってんじゃねぇよ、このクズ野郎が!!」


 直後、ヴェルの放った一撃がヘイを深々と切り裂いた。

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