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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
98/137

96.推理ショーは不要にて

「ヴェル、そっちは───」


 大人しくなった少年を抱えたシルヴィアが部屋へ足を踏み入れる。ヴェルに抱えられていたエリンが、涙にまみれた顔を彼女へ向けた。


「おね、ひゃ」

「……もしかして、エリン?」


 輪郭を腫れ上がらせる顔と赤い口元。部屋の中の子どもが同じような姿になっている光景は、シルヴィアから言葉と表情を奪った。

 彼女が寝屋に入ってくるや、数を増やした"大人"に恐れをなした子どもたちが再び悲鳴を上げ、部屋の中が更に騒然とし始める。


「一旦、出てもいいか?」

「……うん」


 ヴェルが促せばシルヴィアは素直に頷いて踵を返す。服を掴んで離そうとしないエリンも一緒にホールへ出ると、そこにはまだ動くことのできない黒い影が転がっていた。

 途端に震え出すエリンの頭を、ヴェルは服に埋めるようにして抱え直す。


「あいつら、あの子たちに何したっすか……」

「子どものエルフの歯と色んなものを掛け合わせるらしい。コヴェナントの代わりにするってな」

「子どもの歯……!?」


 シルヴィアが何かを察してエリンの口元へ視線を移す。


 同じように口を赤く染めていた子どもたち、先ほどの少年の怯え方、どう見ても子どもへの配慮など皆無だった黒衣の大人たち。

 どう考えても子どもの痛みや恐怖など目もくれず、無理やりに引き抜いたのだという結論にしか至れないことに彼女も気付いたようだった。


 わずかに血の気が引いて白くなった口元を覆って、シルヴィアが声を荒げる。


「コヴェナントの代わり!?バカなんじゃないすか!?なんでそれだけのために、そんな酷いこと───」


 そこまで口にして彼女は「あ。」と、声をあげた。バツの悪い顔に苦々しさまでもが浮かぶ。

 


 ───そうだ、彼女自身が言ったのだ。

 本当の世界の広さを知っているのに、その中の限られた場所でしか生きられないことを嘆くヒトは多いのだと。サポーターになれるものばかりではないのだと。

 その欲求の解消先が見つかるのであれば?もし、手の届くところにその手段があるのならば?

 それがどんな方法だとしても手を伸ばさずにいられない者だっているはずだ、現状に不満を抱えているものであればなおさら。



 なぜなら、ヒトは本質的に不完全で不安定だから。

 だからこそ感情の揺らぎが生まれ、それがマイナスへ触れたときに鏡像をも生み出すのだ。



 生まれによる不平等、環境や所属による不公平。

 諸々の不満を解消する術があったとして、それがたとえ誰かを傷つけて得られるものだとしても、他者に矛先が向くことがないと誰が言えよう?



「……だからって……だからって、こんな風に傷つけるのは間違ってる……!」


 絞り出される否定は酷く重々しく、音が聞こえそうなほど握られた拳は微かに震えている。

 まるで当事者のように、隠しきれない苦痛を孕んでいた。


「俺もそう思う。だからさっさとこんなとこから出てあいつら全員ふんじばってもらわねぇと。自分たちのことを革命軍(レベリオン)だのなんだの言ってやがったし、組織的なのは間違いなさそうだから頭の固い守護者の執行部(上層部の)連中も動くだろうさ。コヴェナントの代わりを作れるのも、守護者の血を盗ろうとしてんのも他人事じゃねぇんだし」


 実際に守護者が1人死んでいるのだ。彼らがあの状況でわざわざ嘘を吐く必要もないので、信じても構わないのだろう。あまり、信じたくないことではあるのだが。


「そうっすね。早くこの子たちも親元に返してあげないと」

「……そうだよな」


 一緒に攫われた大人が数名、すでに他の世界へ売り飛ばされてしまっているとは口に出すことができなかった。

 歯切れの悪いヴェルの様子を見てシルヴィアが口を開きかけるが、腕の中の少年に目を落として慌てて口を噤んだ。

 子どもの前でこれ以上不安にさせるようなことを言うべきではないのだ。それに関してはヴェルも全面的に同意である。


「そうと決まったらあの子たちもつれて行きたいところだけど……さっきの様子からして、怖がられるのは目に見えてるっすね」

「まず話を聞かせる状態に持っていくのも骨が折れそうだな。───”あいつら”のことを考えたらゆっくりもしてられねぇし」






「そうですね、のんびりされていたようで」


 不意に割り込んできた声は、今一番聞きたくない声だった。


 やはり最初に反応したのはシルヴィアで、彼女が咄嗟に掲げた拳が蛇の如くしなったヘイの脚を受け流す。ヴェルの頭を狙った攻撃の軌道は逸れ、床を穿って小さくはない穴を開けた。

 彼女が動く直前、託すように渡された少年を受け止めたヴェルは一拍遅れてその体を抱き止める。シルヴィアがカバーに入らなければ、今頃は昏倒していただろう。それほどにヘイの行動は素早く、容赦がなかった。

 いなされても体勢を崩すことなく軽やかに着地を決めたヘイが、ゆらり、と首をもたげる。薄明りの照明を受けて、わずかに覗く金の瞳孔が冷たく光った。


「ああ、やっぱりシルヴィアさんの不意を突くというのは難しいですね」

「よく言うっすよ、攻撃の前に何か言ってたくせに」

「それでも貴女の反応速度には目を瞠るものがありますから」


 三日月の形に口が歪む。口角を大きく釣り上げたヘイの笑みは、貼り付けたようなものではなくそれはそれは心の底から楽しそうなものだった。

 シルヴィアが小さく舌打ちを零す。


 ヘイを見た瞬間、ヴェルの腕の中でエリンと少年がに今までないくらいに震え始めた。

 喉を締め付けられているような細い悲鳴が聞こえたのか、ヘイはにんまりした笑みを浮かべたまま子どもたちへ顔を向ける。震えが一層、強くなった。


「”お眠りなさい”。今は邪魔です」


 まるで父親のように。

 言葉だけは優しく語り掛けているようでその実、優しさなど欠片も含まれていないただの命令にも近い指示。


 彼が子どもにそう声をかけると同時、ヴェルにしがみついて震えていた2人の子どもは糸の切れた人形のように力を失い膝から崩れ落ちた。


「あ……っ、おいっ……!?」

「大丈夫ですよ、眠っているだけですから」


 ヘイの言ったとおりエリンも少年も突如意識を飛ばしたにしては穏やかな呼吸を繰り返している。たった今、怯えていたことなど嘘だったかのように。

 けれど逆にそれが尚更不安を煽った。


「何しやがった……?」

「おや、ご自身で気付かれていたではないですか。彼らの飲んだものに僕の毒が入っていたと」

「毒って……!子どもにまでそんなもの飲ませたんすか!?」


 ヘイの所業を自ら語られたヴェルと違い、シルヴィアはヘイの行ったことの全容を知らない。彼女が知っているのは蛇鱗人(ナーガ)である彼が特殊な毒をもっていて、それによって人間の里の住民がおかしくなってしまったということ程度で、それすらヴェルからの伝え聞きだ。


 だからだろうか、さらに敵意を見せるシルヴィアへ愉しそうな視線を向けながらヘイは大仰に両腕を開いてみせた。


「そうでしたそうでした、シルヴィアさんにはきちんと説明できていませんでしたからね。今は口うるさいサーヒラさんもいませんし」


 にまにまと笑う口から覗いていた牙を自ら指で摘み力を籠める仕草。そうして差し出したヘイの指はほのかに赤く濡れていた。


挿絵(By みてみん)


「安心してください、苦しめたり死に至らしめるようなものではありませんから」


 血液とは違って透明感のある色から漂う、粘膜にこびりつく甘ったるいにおい。


「僕の毒、体内に取り込んだ相手を少々好きにすることができまして。所謂、催眠毒なんて言えばいいですかね?───こんなふうに」


 そう言って彼が赤に濡れた右手を振ると、ヴェルの腕の中でエリンと少年の手も同じように動いた。ヘイが手を止めると、同じように彼らの手も止まり力なく垂れてしまう。


「ね?面白いでしょう?と、言っても、複雑な指示を与えるにはそれなりの量を与える必要がありますが」


 くつくつと肩を揺らしながら、細められた金の双眸がヴェルとシルヴィアの反応を窺っていた。

 指先に残る自らの毒をぬぐい取る長い舌そのものが蛇に見える。始終軽妙な声音が響きながらも、妙に陰鬱が周囲に立ち込めていた。それは、このホールが薄暗いからというだけではないだろう。


「ただ面倒な点がいくつかありまして。まず、警戒を持つ相手には効きづらいということです。これはヴェルさんに少しお伝えしましたね?催眠効果を持つので致し方ない部分はあるのですが、残念なことに、この自前の"におい"とすこぶる相性が悪いわけです」

「だから飲みもんに混ぜて誤魔化してやがったのか」

「単純に僕が出せる量の限度もありますし、ね?大人のエルフなんて酒も飲みませんし、水に混ぜても敏感に反応されるので子どもに使うしかなかったのですよ」


 ヘイの口元は変わらず吊り上がって歪んでいる。困った表情を浮かべたいようだが、隠しきれない愉悦が漏れ出していびつさをより一層強くさせた。


「その点、人間は楽でした。井戸水の風味が少々変わったからといって一々騒ぐこともありませんでしたから。難点は、薄めた分だけ代謝されるのも早いので、定期的に投与する必要があるという点ですが……」


 そこで一旦言葉が途切れる。

 瞬時にして笑みを消した口元が見せるのは"無"の表情だ。


「あの出来損ないが怖気付いたのか、水に混ぜるのを止めたようですね。いやはや、離脱症状でまともな受け答えも出来なくなるとは」

「だから考え込んでやがったのか」

「ええ。あそこで井戸を調べられたくなかったもので」

「あのあと鏡像が出てきたのは、あんたにとって運が良かったって事っすね」


 再び笑みが顔に貼り付く。


「出来損ないの彼の罪悪感と恐怖、エルフの怒りと怨嗟、混ざり混ざってそれはそれは美味しそうなにおいがしたのではないでしょうか?最近食べたといえば、感情の機微さえ失ったような人間ばかりだったはずですから」

「ヘイ、あんたよくもそんな他人事みたいに……っ」

「怒らないでください。ある意味、僕の毒があったからこそ、鏡像に喰われるときも恐怖を感じなかったはずです。そのせいか鏡像の方も食指があまり動かなかったようですし、被害もたった数人程度だったでしょう?」


 言いながら、ヘイは不意に棚の一つへ手を伸ばし何かを取り上げた。

 瓶詰めの歯を見せられた後だ。ヴェルはつい身構えるが、彼が手にしたのは単なる黒い石だった。ただ、その光沢には見覚えがある。


「適度に誘導することは出来るようですが……誘致力は、やはり純粋な感情に負けてしまうようですねぇ」

「お前、それ」

「コレはあくまで道標だそうで。まったくそんな回りくどいことをせずとも、いろいろ方法はあるでしょうに」

「……それも、碌でもない方法で作り出したモンかよ。リンデンベルグのあれもお前らの仕業か?」

「リンデン……さあ?僕はこれについてほとんど門外漢ですから。鏡像をちょっとお誘いできるもの、程度しかよく知らないんですよね」


 嘘か本当か。飄々としたヘイの声色からは判断することが出来ない。

 けれどその黒が放つ光沢はついぞこの間にリンデンベルグで見た、魔導人形の目であり鏡像を生み出していた黒い石板と同じものだ。

 世の中に同じような黒い鉱物が五万とあるといえ、鏡像に関わってくるものがそう多くあってたまるものか。



 ヴェルの脳裏に、黒に飲まれて消えた女の笑みが蘇って消えた。敵意を向けられたはずなのに、あの諦観した表情がどうしても忘れられないのだ。



 思えば、あれが初めて見た「鏡像にヒトが喰われる瞬間」だった。



 言いたいことはこんなものでは足りないけれど、つい言葉が喉に引っかかり出なくなる。

 口を閉ざしてしまったヴェルからヘイの興味はすぐに逸れる。代わりに、待っていたとばかりに興味津々の視線がその隣へと向けられた───事の顛末を聞き漏らすまいと、険しい顔で彼を睨みつけるシルヴィアへと。



「さて、シルヴィアさん。大体の流れはこれで把握していただけました?」

「さも恩着せがましく言わないでほしいっす。胸糞悪い」

「恩を着せるなんてそんなそんな……。僕は推理小説の犯人の気分でも味わいたかっただけですよ」


 ヘイは笑いながらゆっくりと腰を落とす。

 ぴり、とさっきよりもシルヴィアの雰囲気が張り詰めた。

 

「ネタをばらしたときに相手が見せる怒りに悲観に悔悟(かいご)、呆然とした様子もまた味わい深い。ヒトの感情の揺れ動きほど興味をそそるものはありませんから」

「趣味悪っ。そんなんだから、顔にも胡散臭さが出るんすよ」

「褒め言葉として受け取っておきますね」

「褒めてないっす」


 ビオタリアでも見かけたような軽い言葉の応酬。たった数時間しか経っていないのに、あの時とは明らかに漂う空気の重苦しさが違う。


「だって面白いと思いませんか?感情ほどヒトの行動を左右するじゃないですか」

「他人事みたいな言い方っすね。自分だってヒトのくせに」

「残念ながら僕は少しばかり感情に疎いものでして。だからこそ興味があるんですよね」



 薄い下唇を舐め上げた赤い舌が、にぃ、と嚙み合わされた歯の裏に隠れた。


「例えば、動揺。どんなに優れた方であっても、これを感じると一気に動きが鈍くなる。





 貴女はどうでしょうね───天威種(アーカンヴォルツ)



 朝焼け色の瞳が驚いたように見開かれるよりも早く、シルヴィアの身体はヘイの拳によって大きく後方へ吹き飛んだ。

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