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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
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95.がらんどうの笑顔

 最低限の明かりが灯された廊下に2人の息遣いが僅かに反響する。


 前で揺れる淡い栗毛は無造作に束ねられ、彼女が走ると共に右へ左へ跳ねる。その軽快さが今はただ頼もしかった。


「シルヴィア、どうやってあそこに……!?」

「跳んだっす!これに関してはヴェルのおかげっすね!」


 ちらりと刹那だけ振り向いた顔は笑っていたが、赤みを帯びてほんのりと汗が滲んでいる。走ってきた距離はまだ短く、今までの彼女を見ていればこの程度で息が上がるなんて事はないだろう。心なしか表情にも疲労が窺える。


「跳んだ……?って、大丈夫か?顔色悪ぃけど」

「勿論っすよ!……と、言いたいところだけど、実はちょっとしんどい───わっ!」


 素直に不調を漏らした彼女は、そこでタイミング良く足をもつれさせて前にのめる。慌てて繋いだままだった手を、今度はヴェルが引き上げた。

 抱き止めるようにして抱えると、息を乱すシルヴィアは眉尻を下げながら苦笑いを浮かべた。


「あは、は、不甲斐なくて申し訳ないっす……」

「んなわけあるかよ」


 それを言うなら、言動でも行動でも本日幾度も助けられたのはヴェルの方だった。いまさっきに至っては彼女が来なければ、あの状況から抜け出すことすら難しかっただろうから。



 再びシルヴィアが動こうとするよりも先に、ヴェルは彼女の膝裏から手を回して抱え上げた。


「わ、わ、重いっすよ私!」

「いけるって。俺のが重い」

「比較対象おかしくないっすか……!?」


 焦って降りようとするシルヴィアだったが、ヴェルが走り始めるとバランスを崩したのか彼の首にしがみつく。正直なところ、ヴェルにとってもおとなしく寄りかかってもらえた方が動き易くて有り難かった。

 羽根のように軽い……なんて言うつもりは無かったが、そこはヴェルの意地だ。

 

 薄暗い廊下をひた走り、変わり映えのない景色が後ろへ後ろへ流れていく。本当にこちらに向かって良いのか甚だ疑問ではあったが、ヘイとサーヒラがいた以上選択肢なんて限られていた。


「さっきの話だけど、跳んだってどういうことなんだ?」

「それを言う前に確認なんだけど……、私が溺れたのをヴェルが助けてくれたんすよね?」

「助けたっつーか俺が溺れさせたっつーか……」

「あ、責めてるわけじゃないっすからね」


 無理やりに川に引き込んだようなもので、どうしても答えの歯切れが悪くなってしまう。けれどもシルヴィアは別に彼の行動を咎めるわけでもなく、ただ「そっか」と口に出して黙り込んでしまった。

 聞いたはずなのにはっきりとした答えが返って来ず、ヴェルは彼女の顔を覗き込む。


「シルヴィア?」

「……その、ヴェル、初めては取っておきたかったんすよね?」

「…………………待って待って待って何の話?」

「溺れたって聞いたから"もしかして"と思ったんだけど……跳べるかどうか、一か八かの賭けだったんすよ」



 珍しくまわりくどい言い様で思い悩むその様子は、言おうか言わまいか躊躇っているようにも見えた。

 数秒、黙り込んだシルヴィアはしかし意を決したように顔を上げる。


 サーヒラとはまた違って、吸い込まれそうに鮮やかな瞳がヴェルを映す。

 抱え上げているので近いのは当たり前だ。それでも思った以上に目と鼻の先にある彼女の顔に動揺もするが、透き通る黎明の色から目を逸らすことができない。


「さっき言えなかった秘密の話にかかるんだけどね、私たちは───」











 がしゃん、と鉄が擦れる音が微かに耳に届いた。


 ここへ来てまた遮られたシルヴィアの話だが、響いた音の不穏さは聞き逃しようが無かった。

 ヴェルだけでなくシルヴィアも音の出どころである廊下の先に顔を向ける。


「ヴェル」

「あぁ」


 頷き合って前を見据える。後ろには戻れない、どうせ進む先は決まっているのだ。

 足を進めるにつれ、微かだった物音はだんだんと明確に状況を理解させるものへと変化していく。


 劈くように響いたのは、恐怖に慄く甲高い悲鳴だった。


「やだ……っ!いやだ、いやだぁ!!痛いのはいや……っ!!」

「煩い!!さっさと終わらしたきゃ暴れるなよガキが!」

「やだ、こわい……っ、おとうさん、おかあさん!!助けて!!助けてよ!なんで来てくれないの!!」


 喉がひゅ、と締め付けられるほどに悲痛な嘆願。

 複数人の足音が荒々しく床を叩く合間に鈍い衝撃音と、か細い呻きが混じる。間髪入れずに火を付けたような鳴き声が廊下を満たした。


「いたいっ!ごめんなさい、ごめんなさい!!叩かないで、お願い!」

「じゃあ最初から大人しくしろ、この耳長!」

「おら、口開けろ。お前はそこのペンチ取ってくれ」

「いやだぁ……!お願いします、痛いことしないで!!ごめんなさい!ごめんなさい!!」




 ───するり、とシルヴィアが無言でヴェルの腕から身を離す。彼女を止めるつもりなんて、さらさらなかった。


 口の中で詠唱を反芻しながら、廊下の終わりと思わしき部屋に飛び込むと同時にヴェルは心からの怒りを込めて声を張り上げた。


氷槍(アイシクル)!」


 突如飛来する魔術に、反応できた者は殆どいなかった。


 ある者は肩を、ある者は腿を。鋭い氷槍は貫いた刹那より、そこを中心に氷が枝を広げ皮膚を覆う。一瞬のうちに凍り付き足を動かす事すらままならなくなり、またあるいは腕を振るうことが出来なくなる。どちらにせよ、痛みを伴う冷たさはエルフの子どもに群がっていた黒衣の影を崩すには十分すぎるといえた。短い悲鳴がいくつか上がり、逃れられなかった者からもんどりうって倒れ伏す。

 反応素早く難を逃れたわずか数人が、そこでようやく乱入者の存在をしっかりと把握した。


「お前……っ!あの時の守護者のガキ───ぁがっ」


 声を荒げて体勢を立て直そうとした男の身体が軽々と吹き飛んだ。

 続けざまに1人、2人、シルヴィアの容赦のない拳を顔に受けて宙を舞う。彼らが付けていた黒い仮面は衝撃で無残に砕け散り、かすかな煌めきを放ちながらぱらぱらと降り注いだ。

 最初に吹き飛んだ男が何かを言おうとしていたようだったが、聞くつもりも毛頭なかった。砕けた仮面の下から見たことのあるような冴えない中年の男の顔が現れるが、どうでもいいことだったのでヴェルはすぐに視線を外した。


「大丈夫っすか!?」


 動く者はヴェルとシルヴィア以外にいない。ヴェルの攻撃を逃れた者たちを全て殴り倒したことを確認し、シルヴィアは床で蹲る子どもを急いで抱え上げた。

 幼いエルフの少年だ。5つに満たないだろうふくふくと愛らしい頬は痛々しく腫れ、目元にも赤黒い痣が刻まれている。抱え起こされた瞬間、彼は無我夢中で逃れようと身を捩りだした。


「ごめんなさい!ごめんなさい!痛いのやだぁ!!」

「大丈夫、大丈夫だから!」

「ごめんなさぁい……っ」


 もはや何に謝罪をしているのかも定かではなかった。与えられた痛みの原因に整理がつかず、幼い頭脳で導き出した答えが”自分が悪いことをしたから”という理由なのだろう。心の深くに刻まれた恐怖の赴くままに、謝りながら泣きじゃくる子どもは見ていて痛々しいなんて軽い言葉で済ませられるものではなかった。

 シルヴィアが顔を歪ませながら少年の身体を抱きすくめる。振り回す腕や足が腹や顔を打ったが、彼女は根気よくその子どもを抱きしめ続けた。

 出遅れたヴェルが一歩彼女たちに近づくも、シルヴィアが眉尻を下げながら彼を制す。


「シル……」

「大丈夫っすよ。今はあんまり大人が囲まない方がいいっす」


 彼女の言うとおり、2人だけといえ今は近寄る大人が最低限のほうがいいだろう。何もできない歯がゆさを抱えながらヴェルは辺りを見回した。


 丸いホールのようになった部屋だ。壁付けもされず無造作に乱立する棚には様々な器具が備えられ、その近くにヴェルが拘束されていたような椅子から固そうなベッドがいくつかあった。石か、はたまたこちらも鉄か。材質に目星がつきにくいのは磨かれて凹凸がないからだけでなく、付着した赤黒い染みが表面を覆い隠しているからだ。その用途がどんなものかなど考えたくもない。

 壁には閂のついた鉄扉が並び、先ほど聞こえた鉄の擦れる音はこれだろうという予想がついた。


 足元で下半身を凍り付かせながら呻き声を上げている1人を爪先で転がし、ヴェルはその横に屈みこんで仮面を引き剥がした。意外……と言ってはなんだが、現れたのはやや小太りの女だった。だからと言って扱いに差をつけるつもりはないのだが。


「痛い……痛い……」

「おい、残りの子どもは?」

これを解いてぇ……痛くて寒くて、辛い……」


 情けなく瞳は涙に濡れている。けれど、その姿を哀れだと思うには先ほどまでの彼女らの様子はあまりにも乱暴だった。


「子どもは?それに、一緒に連れて行った大人のエルフも」

「お願い、先に、助けて……」

「言えよ、どこにいる?」


 女の懇願をすべて無視してヴェルは尋ねる。絶対的な主導権を見せつけてようやく、観念したような声とともに振るえる手が鉄扉のひとつを指差した。


「あの扉と、あの扉に半分ずつ……。大人は、もう、いない」

「いない?」

「さっき、売りに連れて……。エルフを欲しがる世界が、あったから……」


 そう言って女は媚びるような視線をヴェルに向ける。笑みの形に歪んだ口元が甘い声色を滲ませ始めた。


「ねぇ……ねぇ、あんたが連れて来られた守護者?悪かったわよ、馬鹿なことをしたと思う……」

「……あぁ、馬鹿げたことしてやがるよな」

「そう、そうなの。でもわかるでしょ?可哀想だったけど、あの大きな目や蛇みたいな顔を向けられるとどうしようもなかったの」


 ようやくまともに返ってきた答えに、女の顔がわずかに希望で輝いた。


「お願い、可哀想だと思って術だけでも解いて……どうせ、逃げられないから……ね?」


 押せば絆せると思ったのだろう、声には一層甘さが乗り、扉を示していた指がヴェルの爪先を撫でる。見上げてくる瞳は潤みを隠しもせず、何度も瞬いては言外のアピールを繰り返していた。

 それをヴェルは無感動に見下ろす。涙をいっぱいに溜めて滲んだ視界では、ヴェルの冷めた表情など見えていないのだ。

 立ち上がると同時に艶めかしく動いていた指を踏みつけた。靴底を通して硬いものが鈍い音を立てるのを感じたが、同情心も湧き起らなかった。


「あ”ぁ”あ”あ”っッ!いたっ、痛いぃぃいぃ!!」

「お前らもさっき、助けを求められても応えなかったろうが」


 自らの所業は棚に上げ、許しを求めるその身勝手さに反吐が出る。


 指を押さえて身悶える女を横目にヴェルは教えられた鉄扉の閂を開けた。

 最低限の明かりしか灯されていない部屋の中に、ホールの光が漏れ入る。

 開けた瞬間から強烈に漂った尿臭に一瞬顔を顰めるも、躊躇いなく足を踏み入れるヴェルの耳にいくつもの小さい悲鳴が聞こえた。


 隅の方に身を寄せるようにして、何人もの子どもが震えていた。一番幼そうな子どもを真ん中に、比較的年齢の高い子どもがそれらを守るように前を固めている。

 どの子どもも一様に怯えた目をしているが、一際目を引いたのは彼らの口元だ。吐血したかのように赤く染まる口元は、先ほどサーヒラが言った彼らの”使い道”が嘘でないことを示していた。叶うことならば、冗談であってほしかった。


「お、に……ひゃ……」

 

 怯える子どもたちの中で、唯一立ち上がりよろめきながらヴェルに近づく人影があった。


「───エリン?」


 腫れ上がった頬で人相が少し変わっているが間違いなく面影がある。恐る恐るヴェルが呼べば少女は彼の腹に飛び込んだ。

 見上げる口は赤く染まっていて、声を出すたびに漏れる空気の音が彼女の言葉を聞き取りづらくさせていた。


「おにい……ひゃ、わらひ……」


 まともに話すことができない現実に、エリンがうつむき肩を震わせる。勝手に歪みそうになる顔の筋肉を無理矢理抑えつつ、ヴェルは至っていつもどおりを装って彼女の小さな手を取った。

 差し出した掌の上に指を這わせるとエリンはハッと顔を上げ、次いで口元をきゅ、と引き結びながらヴェルの手のひらをなぞった。


───私、みんなを守ろうと思ったの。私のじじ様は族長だから。

───たくさん頼んだの、代わりに私のをあげるって。

───でも、途中から()()()()()

───お兄ちゃん、私、頑張った?



 そこまで書いてエリンは歯を見せて笑った、はずだが、本来そこにあるはずのものはひとつとしてない。

 粘膜の色だけを見せる口内は彼女の覚悟と痛みを表していた。



 ヴェルが意識を失っていた時間を鑑みても、攫われてから数時間程度しか経過していないだろう。その短時間で与えられた苦痛と恐怖と、それでもなお気丈にふるまおうとするのは族長であるオーベロンを横から見て育っているからだろうか。


 年端もいかない子どものそんな様子はただただ言いようのない苦みを湧きあがらせた。

 また顔が崩れそうになるのを胡麻化すためにも無理に笑みの形を作る顔を抱きしめる。






「……ぅえ、……っうぅ」


 無理に顔をあげなくても良いと理解したからだろうか。徐々に嗚咽が漏れだしヴェルの鳩尾のあたりが温かく湿る。


 服を握りしめる小さな手の震えを感じながら、ヴェルはただ彼女の頭を撫で続けることしかできなかった。

挿絵(By みてみん)

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