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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
96/136

94.そこが帰る場所なのだと

 知りたいことは確かに聞けた。聞くに耐えないような答えではあったが相手の目的の全容も、なぜヘイがヴェルを連れて行こうとしたのかの理由も理解した。


 けれどまだ、それでも分からないことがある。


「……子どもは……」

「あら、3つ目は欲張りすぎじゃない?」

他人ヒトから問答無用で搾取してんだから1回くらい譲れよ」


 油断をすると声を荒げそうだ。

 怒鳴って何かが変わるわけでもない、むしろ冷静さを欠くことこそ深みにはまってしまう恐ろしさがある。


 落ち着け。心の中で自分に言い聞かせる。


 ヴェルの反応を見て数秒黙り込んだサーヒラは、やがてゆっくりと瞼を下ろした。


「……いいわ。あなたの言うとおり、少しくらい見返りをあげたってバチは当たらないし」

「おや、サーヒラさん、彼に甘くないですか?」

「どうせ私の聞きたいこともあとひとつだから、構わないのよ」


 再び瞼を開いた彼女はヘイに向かって雑に手を振った。その答えに少々訝しげな顔を向けるヘイ。珍しく口元からは笑みが消えていた。


「実りのある会話には聞こえませんでしたが……」

「貴方がどう思おうと私は満足した。それでいいでしょう」

「ま、そのとおりなんですけどね」


 納得したようには見えないが、ヘイは大人しく引き下がる。サーヒラはそんな彼の様子を一瞥するのみで気にした様子もなく再びヴェルに向き直った。


「で、子どもがなぁに?」

「チビたちは……エルフの子どもはなんで攫った?俺たちと違って、あいつらが根こそぎ攫われる理由なんてないはずだろ。どこにやったんだよ」


 そう、子どもだ。

 レベリオンという彼女らの目的を鵜呑みにするのであれば、エルフの血は特に必要ではないはずだ。ましてや、体格の小さな子どもなど。


 ヴェルの問いを受けてサーヒラは一瞬目を大きく見開いたかと思うと、口元を押さえて笑い出した。


「あははははっ!貴方、もしかして子どもってエルフの子どもたちのこと?」

「何だよ、何がおかしい?」

「ふふふ。いいえ、優しいのね貴方。自分も悪い状況に置かれているのに、彼女だけじゃなくて赤の他人の心配をするなんて」


 大きな瞳がじぃ、とヴェルを見つめる。


「きっと感受性が豊かなのね。言動からはあまりそう見えないけど、隠しているのかしら?敢えて自分から目を逸らしているのかしら」

「はぐらかしてんのか?」

「あらごめんなさい。老婆心からつい思いを馳せてしまったの」


 深く濁った紫紺の瞳。睨みつけるヴェルの顔が映っているのがよく見えた。


「どうして攫ったと思う?」


 そう言って、今度はサーヒラ自身が動く。ヴェルの後ろから何かを取ってきたかと思えば、小さな欠片を彼の前に突き出した。


 ただのコヴェナントだ。

 まだ血を吸わせていない乳白色が目の前で小さな指に弄ばれている。


「よく見て?」


 わけもわからず見つめるだけのヴェルの鼻先へ、さらにずいっ、とそれが近付けられた。


 遠目で見るだけだった形がしっかりと像を結び───。





「は……ッ」


 見覚えのある石だと思っていたそれが、()()()()なのだと気づいた瞬間、強烈な嫌悪感が沸き起こると同時に頭にカッと熱が集まった。

 冷静になんて、なれるはずがなかったのだ。


「な……んだよそれ……!」

「なんだ……って、どう考えても歯にしか見えないでしょうに」

「俺が言いたいのはそういう事じゃねぇよ!まさかさっきのも全部───」

「私、"アレ"がコヴェナントだってひとことも言ってないわよ?」


 愕然とする。さらりと告げられた事実にも、それを平然と言ってのけるサーヒラ自身にも。


「なんだって、歯なんて……」

「あら、急に察しが悪くなったの?いま見たでしょう、それこそコヴェナントの代わりに貴方の血を吸わせるためよ。……と、言っても……コヴェナントよりも吸わせなきゃいけない量は多いし、歯だけでは"こう"はならないから色々と他の材料が必要だけど」

「だからそうじゃねぇよ!」


 ヴェルが身を乗り出そうとすると、彼の身体を拘束しているベルトが軋みほんの少しだけ椅子が音を立てる。


「そんな事のために、あんなに小せぇ子どもから歯を引っこ抜いたのかよ!?」

「そんな事、とはやっぱり守護者は傲慢ね……それに、殺すわけじゃないのよ?それこそ大人なら良いのかしら?」

「んなワケねぇだろ!だけど……ッ、なんだってわざわざ子どもを……!」

「子どものエルフの歯が1番素材として適していた。それ以上の理由が必要?」


 首を傾げるその顔は、それ以上の議論を無駄だとでもいうように表情を崩さない。


「言ったでしょう、改革には多かれ少なかれ痛みが伴うの。大人も子どもも関係ないわ、それこそ公平にね」

「狂ってやがんな、クソが……」

「溺れたこともない者に、水底に沈む者の苦しみを理解できるなんて思ってないわ」


 そこでこの会話は終わりだ、とサーヒラはヘイに歯を弾いて渡す。小さく見失いそうなそれを見事に受け止め、彼はサーヒラに苦言を呈した。


「雑に扱わないでください。作らせるのも結構な苦労なんですよ。罪悪感にかられた方々は精神に不調を訴えるようになってしまって……。残りは傲岸不遜な方ばかりでコストがかかるのですよ」

「必要なモノは回収できたのだし、今回は大人も数人いるのだから高く売れるでしょう?」

「あまり雑な金勘定をしているとフォルテさんの小言が面倒なんですよね。彼、説教が長いので」

「あんな坊やの小言なんて聞き流してしまいなさいな」


 ヴェルをそっちのけで言葉を交わす彼らに罪悪感なんて微塵も感じられない。途中、聞こえてきた「売れる」という言葉が本来の意味そのままであれば、攫われたエルフの行く末に概ね予想がついてしまった。

 だからといって今のヴェルには何もできない。動くとすれば口だけで、けれど湧き上がる怒りを口にする前にサーヒラが彼の頬を両手で包み込んだ。


 細められる瞳に浮かぶのはさっきまでの郷愁とは違う。

 ヴェルに触れる指先も、より冷たい気がして二の腕に鳥肌が立つ。


 指先が滑る。翡翠の瞳の周囲をなぞる動きは、ともすれば目に突き込むつもりでないのかと危うさすら感じられた。



「ねぇ、最後にひとつ教えてちょうだいな。







貴方の家族は、()()()()()?」







 はっきりと、そんな問いかけがヴェルに突き立てられた。


「え、……は?」

「あなたの家族は本当に貴方の家族?絶対に?はっきりと思い出せるのかしら、彼らとの記憶を……たとえば、貴方がもっと幼い頃のことなんて」


 何をわかりきったことを問われているのか。


 普段のヴェルなら嘲笑で返せた事だろう。けれど、急に問われたからか思考が白く濁り咄嗟に返答することができない。

 当たり前だ、そのひとことが、どうしてだか喉に張り付いて口から出すことができない。



 脳内に駆け巡る、幼き日の記憶。


 父と母とよく出かけたこと。

 妹が産まれたときのこと。

 弟たちが、我が家にやってきて家族になったこと。


 それと───それと、今にも泣き出しそうな顔で唇を震わせる、幼い片割れ()のこと。





「っは、……なん……、だよ」



 

 涙を堪える姿が徐々に成長し、今と変わらない姿が怯えを滲ませ始める。

 頼りなげに伸ばされる指先がヴェルの頬に触れる直前。その暖かさを感じる前に、彼女の身体を蒼が切り裂いて。


 見知った金糸が、赤に沈む。

 視線を落とせば、自らの手も鮮やかな赤色に染まって震えていた。



「───、───」



 血溜まりの中でもがく姉の口が何かを紡いでいる。



挿絵(By みてみん)



「い、てぇ」


 わからない。こんなこと、知らない。


 警報のようにガンガンと甲高い音が脳内を劈く。割れるような頭痛を伴い、いま思い浮かんだ知らない光景が闇に霞んで消えていく。

 思わず俯いた頭の上から、容赦ないサーヒラの言葉が追い打ちをかけた。


「思い出せない?どうしてかしらね、貴方の知ってる記憶って本当に本物?」


 (あざけ)りを込めた声が耳の奥で反響して、何度も響いてはこびりついて離れない。



 そうに決まっている。それ以外に何があるというのだ。


 触れるな、

 触れるな。

 自分の帰る場所に、触れるな。


 反論したい気持ちが爪の先ほど沸き起こっては頭の痛みにかき消された。


 頬を包み込んだままだったサーヒラの手が、ヴェルの顔を無理やり上に向ける。


「貴方は答える義務があるわ。答えなさい。ほら、答えなさいな」


 追い詰めるようにサーヒラが言葉を重ねる。

 ヴェルの頭痛は、だんだんと酷くなる。


「ねえ、考えてごらんなさい?そんな曖昧な記憶しか持たない貴方って、本当に本物なのかし───」









 詰め寄る彼女のすぐ横で、光が弾けたような音がした。


「ヴェルーーーー!!」


 次いで響き渡る、凛としたソプラノ。



「サーヒラさん!」


 ヘイの鋭い叱咤が飛んだと同時、サーヒラの身体がヴェルから無理やり引き剥がされた。


 彼女の背を掴んだヘイは、引き剥がした勢いのまま大きく後方へ飛び退く。

 先程までサーヒラがいた場所に目も眩むような光が突き刺さり、眩さが部屋の全てを満たした。





 光で輪郭が捉えられない中、眩さの中心から聞き覚えのある声がヴェルを呼んだ。


「ヴェル、大丈夫っすか!?」

「…….シル、ヴィア?」


 相変わらず目は眩むが、思考が解放さなれると嘘のように頭痛が止まる。手足が自由になる感覚を味わう間もなくヴェルの身体はぐい、と強く引き上げられた。


「走れる!?とりあえずこっちへ!」


 だんだんと光が明度を落としていく中でもまだ捉えられぬ輪郭は、しかしその澄んだ声の安心感で疑う気さえ起きない。

 手を引かれるままにヴェルは覚束無い足を動かす。

 握り直した小さな手は、優しいほど暖かかった。
























「大丈夫ですか、サーヒラさん」

「……ええ、油断したわ。まさか出てくるとは思わなかったもの……術が破られた感覚はなかったし」


 眼球の大きな単眼鬼(オーガ)は、強い光を直視するだけで大きな苦痛が伴う。首を振り、何度も目を瞬かせるサーヒラは焦点が合わない目でヘイの声がする方を睨みつけた。


「貴方の鼻なら、見えてなくてもあの子の場所も近付いてくることも分かってたんじゃないのかしら?」

「睨まないでください。それが出来ていたならそうしていますよ」

「出来なかった、と?」


 肩をすくめるヘイの顔は嘘を言っている様子もなく、本当に不思議そうな表情を浮かべていた。


「本当に急に現れたんですよ。それに伴い彼女を取り巻いてたのはただの光じゃなくて、恐らく高密度のエーテルです。空間が歪んでいたので、匂いもなにも揺らぎすぎて僕の鼻も効きません」

「エーテル……」


 何度かの瞬きの後、焦点を結んだサーヒラの瞳が部屋の奥に向けられる。捕らえていた青年の後方にはいくつかの素材を仕舞い込んだ棚と、間にひっそりと小さな鉄扉がある。

 今、その扉は開け放たれており、彼らがそこを通って行ったことは明らかであった。


 引き抜かれただろう針が脇に転がり、細く薄く床に筋を作る様を紫根の瞳が無感動に見下ろした。


「追ってくれる?」

「ですから僕の扱いが荒いのですよ貴女は……。それに、サーヒラさんは彼の事が気に入ってらっしゃるのでしょう?ご自身で行った方が良いと思いますが」


 追いかけっこは嫌いではないですが、と渋るヘイ。きっと彼は追跡自体が嫌というよりも、先程から良いように顎で使われているのが若干不満なのだ。


 けれどそれを理解した上でサーヒラは嗤った。


「いいえ、逆よ。私あの子みたいな子が大嫌いなの。だから貴方にお願いしたいのよ。






───この苛立ちを抱えたまま追いかければ、そのまま殺してしまうかもしれないから」

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