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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
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89.灯火を前に

 小気味のいい音を立てて枝が爆ぜる。


 何度目かにして灯った火種は、ようやく安定して炎を育み始めた。暗闇の中で揺れる橙色の光は、冷たく押し寄せていた夜の空気を追い払い、温かな輪を作り出す。

 焚き火の中心に目をやると、ゆらゆらと昇っていく煙が洞穴の入り口へ消えていく。


 かなりの苦労をした。親和性のない性質の魔術を使うのはひたすらに骨が折れる。

 消し炭になってしまったり、焦げ跡だけで燃えなかった小枝を脇の方に退けてひと息つく。揺らめきに手をかざすと、じんわりと熱が手のひらに伝わり体の奥まで染み渡った


「あったかぁい……」


 すっかり意識を取り戻したシルヴィアが、ヴェルの隣で同じように手のひらを翳しながらほぅ、と吐息を溢した。


 束ねていた三つ編みは解かれ、癖の強い毛先からはまだ水滴が滴っている。厚手の上着を羽織っていた彼女だが、そのコートは今、固く絞られたうえで突き出た岩壁の一部に引っ掛けられていた。濡れ切ってしまった服は体温を奪うので当然の措置ではあるのだが、必然的に薄着になってしまうのは仕方がない。元からそこまで厚着のイメージもなかったが、剥き出しの二の腕に張り付く湿った髪で印象が天と地ほどに違ってくる。

 健康的だった先に比べ、妙に艶っぽかった。こんな状況に後ろめたさを感じて、ヴェルはずっとシルヴィアに目を向けられないままだ。隣に座っているのも、彼女にあえて目を向けないようにという彼なりの配慮である。


 かくいうヴェルの制服とインナーシャツもずぶ濡れで目も当てられず、シルヴィアのコートの隣に吊られ、なけなしの火で乾かされていた。


「そういえば、声出るようになったんすね」

「ん?あぁ、あのクソ不味い草の汁みてぇなやつがようやく効いてきたっぽい」


 思い出すだけで青臭さが口の奥に広がるようで、ついヴェルの顔が歪む。微妙な表情の変化を見取って、シルヴィアがくすくすと笑う声が小さく響いた。




「───ねぇ、ヴェル。そろそろ聞いても良いっすか?」

「……あぁ、うん」


 シルヴィアが聞こうとしているのは、ここに落ちてしまった経緯とヘイのことだろう。彼女がまだ震え、思考もままならない間にはしっかりと話をすることもできなかった。しかし今、シルヴィアは意識をはっきりとさせ暖をとっている身体はまだ冷たさが残るといえ震えはない。それは、拳ひとつ分も離れていない距離で明確に伝わってきていた。


 真隣、というのも考えものだったかもしれない。

 視線を感じたが、ヴェルは意地でも隣に目を向けることはしなかった。


「どっから話したら良いんだ、これ」

「そうっすねぇ、私がヴェルとヘイを置いてアルヴィンさんを追いかけた辺りから聞きたいっす。あの後、ヘイは1回追いかけて来たけど、ヴェルは来なかったでしょ?」

「なるほど、そっからだよな」


 シルヴィアは、訴えかけてきたあの蛇鱗人(ナーガ)の男を知らないのだ。その鼻面をへし折ったのは彼女だが、しっかりと姿を見たのはヴェルとヘイくらいだろう。だからこそ、彼女は返り血を浴びたヴェルたちを見て驚いていたのだ。


 ヴェルは恐怖に染まっていた男の顔を思い出しながら順追って話し出す。




 姿を消すことのできる蛇鱗人(ナーガ)の男がヴェルに助けを求めてきたこと。

 彼はその能力を使って子どもを誘拐していたが、シルヴィアに殴り倒されてからは別の仲間にその役割を譲ったこと。その後、男自身はエルフの里に鏡像を誘き寄せる石をばら撒き、仲間を補助していたこと。

 人間の里で、あのようにおかしくなる毒をばら撒いたこと。


 それら全てはヘイに指示されたことであり、男はこの状況から逃げようとしてヘイに命を奪われたこと。

 味方を装うのを止めたヘイと対峙して……彼から逃げるために崖下に飛び込み、川を下って逃げたこと───。



「ビオタリアが空っぽになったのもヘイたちが関わってるってことっすか?」

「そこは……わかんねぇけど、結局子どもを根こそぎ連れてかれたんだ。無関係ではないだろ」


 男の生まれた環境や、ヘイに従ってしまった後悔については詳しく語らなかった。結果的に何人かは鏡像に食われ、エルフの子どもは拐われてしまっている。たとえ後悔したとて、その所業が消えるわけではない。そうであれば、その後悔にどれほどの価値があるのだろう?


 それに、男の後悔がシルヴィアに僅かでも傷を残すのを避けたかったのだ。


「鏡像を誘き寄せる……って、ヴェルは何か聞いたことある?」

「いや。そんなもんあったら、もっと大騒ぎされてるだろうし」

「そう、っすよね。なんか分かったことと分かんないことで頭ごちゃごちゃする」


 正直なところ、ヴェルだってまだ分かっていないところもある。子どもの行方であったり、ヘイや男の目的であったり。

 ただ、いくつかの疑問が解消されたのも事実だ。


「少なくとも、人間とエルフのいざこざから始まったってワケじゃないよな。あいつが何のつもりでこんな事してんのかわかんねーけど、敵は明確になったわけだ」

「複数というより、組織的に動いてるって感じっすね。オーベロンさんたちに伝えられたら良いんだけど……そもそもヘイの目的が見当つかないんすよね」

「そこ1番聞かなきゃなんねぇとこだったって反省はしてる」


 聞き出せるものなら、の話だが。


 あえて自らの口では全てを語らず、事が露見しても飄々とした態度を崩しもしなかった男。

 力づくで聞き出せるものならまだ良い。しかし現状は話を聞き出すどころか意表を突いて逃げ出すのが精一杯で。


 思い出すだけで悔しさと怒りが込み上げてくるが、今の自分ではまたヘイに軽くあしらわれるということはヴェルにも理解が出来ていた。


 下唇を噛み締めると隣でシルヴィアが動く気配がした。

 火に当たって熱を灯した指先が微かな笑い声と共にヴェルの頬を突く。


「ほらほら、不貞腐れないで。次に会ったら私がヴェルの仇を取ってコテンパンにした上で話をさせるっすよ!」

「それ、すげー複雑……」


 シルヴィアが強いことは重々承知の上なのだが、


「でもまずはアルヴィンさんたちと合流したいっすね。みんな無事だといいんだけど」

「そこなんだよな。俺たち自身、今どこにいるのか全くわかんないつーか」


 川に流されたことは確かなのだが、その先がどこへ繋がっているのかなど現地の人間ではないヴェルにはわからない。単独で送り込まれると決まった時点でリンデンベルグのときのようなポテンシャルが湧くわけでもなく、事前に地理を調べることも全てサボった。そのツケがまさに回ってきたのだと思い知らされる。

 今回、自分にどこも良いところがなくて内心かなり凹んでしまうのも仕方がないだろう。


「オーベロンさんと合流できてたら川のことも把握してるだろうし、探しに来てくれると思うんすけどね」

「とりあえず、この周辺は谷底って感じだったから夜の内に歩き回んねぇ方が良いと思う。登る手段も見つかんねぇし」

「同感っす。足場が悪いだろうし、明るくなるまで下手に動かない方が良いと思う」

「ただ朝を待つだけってのもモヤモヤするけどな」


 何も成せていない歯痒さで思わず愚痴のように零してしまって、慌ててヴェルは口を噤んだ。こんなこと、シルヴィアに漏らすべきじゃないのに。


 隣からの視線が痛い。ほぼ巻き込む形でこんな所で足止めを食らわせているのに、彼女の気を悪くさせるだけではないのかと不安になる。


 沈黙が落ちる。

 静かな空気の中、焚き火の音と川の流れる音だけが辺りを満たしていた。



「ねぇ、ヴェル」


 先に口を開いたのはシルヴィアだった。


「好きな食べ物ってなんすか?」

「は?」


 唐突な質問に、呆けた声がヴェルの口から転び出た。なぜ目を逸らしていたのかも忘れて思わず隣を見れば、膝に頭を乗せたシルヴィアがしてやったり顔で口角を上げていた。

 いまだに湿って肌に張り付く髪と服を認識した瞬間、ヴェルはコンマ数秒で目を逸らす。油断をした自分を頭の中で罵りながらも、チロチロ燃える炎の揺らぎに視線を集中させる。けれど、いま目に映った悪戯っぽい笑みは網膜に焼きついて中々消えそうになかった。


「私はなんでも好きっす。あ、でも特に好きなのは苺かな。旬になる前の少し酸っぱさが残ってるやつ」

「急に、何だよそれ」

「ただ時間待ってるのも退屈だし、話をしようと思って」


 明るく、それでいて穏やかな声音が耳朶を打つ。


「よく考えたら、私の所為で話もままならなかったじゃないすか。一緒に行動する仲なのに全然お互いのこと知らないし、この機会に、ね?」


 優しく諭すように投げかけられる言葉には、不思議と反発する気なんて起こらなかった。普段ならば少しくらい皮肉を言ったっておかしくないはずなのに、何故だか彼女の言葉はストンとヴェルの中に落ちて飲み込まれていく。

 裏表がないからだろうか。含まれた意図から純粋に善意しか感じられないからだろうか。

普段と違う自分の感覚に、彼自身戸惑いながらも抗えるものではなかった。


 躊躇いがちにヴェルが頷くとシルヴィアの声は一段と明るくなって響く。


「じゃあここでもう一回自己紹介しなおそう!私はシルヴィア・ノクスタリア。歳は24で特技は片手でリンゴ握り潰せることっすかね」

「なんて?」


挿絵(By みてみん)


 内心で落ち込んでいたはずなのに彼女のペースについ引き込まれてしまう。


 その軽妙さに、どうしようもなく心が救われてしまうのだ。

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