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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
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80.不測の警鐘

 飲まないだけマシだとしても、もはやこの濃縮した草の香りはトラウマものである。


 鼻先をくすぐるエルフの()()()のにおいに顔を顰めるヴェルを見て、シルヴィアがケラケラと笑った。


挿絵(By みてみん)


「すごい顔してるっすよ。大丈夫、今回は塗るだけだから」


 手際よく薬を塗って、彼女はポケットをまさぐる。しかし、目当てのものが無いのか眉をハの字に下げて困ったような表情を浮かべた。


「そういえば最後の絆創膏、こないだ使い切っちゃったんだった」

「あ、ぼ、僕持ってるよ。ちょっと変わったやつなんだけど」

「変わったやつ?」

「うん、なんか、そんなこと言ってた。ガイアの街角で転けちゃった時に、近くを通りかかった男の子がくれたんだ」


 そう言ってアルヴィンが取り出したのは、少し幅広のテープだ。一見、変わったようには見えない。


「治癒術が込められていて、傷の回復を促進してくれるんだ」

「へー、便利っすね」

「すごく弱い効果しかなくて、その子が求めてた物じゃなかったらしいよ。それより、副産物で現れる効果の方が使えるとかなんとか」


 贅沢な話だ。治癒術など、どれだけ弱い効果でも簡単に使えるものではないのに。治癒術の施された道具なんて、それこそ高価すぎて普段の生活で見ることもない。

 アルヴィンが出会ったのは、そんな高価なものを持ち歩いていた裕福な家の少年だったのだろう。なんともまぁ、運の良い話である。


「とは言っても、それくらいの傷には十分よく効くはずだよ。もうその1枚しか残ってなかったんだけど、役に立てそうで良かったよ」


 話しながら、シルヴィアが受け取ったテープでヴェルの頬の傷を覆う。若干においも抑えられた気がする。1番鼻に近い傷だったので内心助かった。


 手当てを終わらせるとシルヴィアは指を拭いながら立ち上がる。


「さて、と───アルヴィンさん」

「えっ、えっ、は、はい!?」

「ヴェルに何か言うことは?」

「……え?えーっと……?」


 何のことか、いまいちピンと来ていないアルヴィン。

 困り顔で首を傾げる彼に向かって、シルヴィアがそれはもう綺麗な笑顔で笑いかけた。


「情・報・伝・達。わかるっすよね?」


「ごっ……………



ごごごごごごめんなさい、ごめんなさい!!後で、後でって思ってたら、すすすっぽり説明が抜けちゃってました!!ごめんなさいいいい!!」


 即座に顔面蒼白になったアルヴィンが土下座を決めた。当初出会った時と寸分違わぬ綺麗な土下座だ。

 彼が言っているのは、姿を消すという鏡像の能力についての話だ。正直、ヴェルも最初は文句を言ってやろうと息巻いていたものの、あまりに猛然と額を打ちつけるものだからその気持ちも薄れてしまう。


 アルヴィンと接していて分かったのだが、彼のうっかりは本当に悪気がないのだ。そのくせ、謝罪を受ける側が気後れしてしまうほどに申し訳なさを前面に押し出してくるものだから怒る気力を削がれてしまう。

 ある意味、厄介な男である。


「これ以上ないほど反省してるみたいですよ?」


 面白がってか黙って成り行きを見守っていたヘイも、だんだんと飽きてきたらしい。その証拠に、愉快そうに上がっていた口角が心なしか緩んでいる。

 結局、ヴェルの中でのアルヴィンの評価は振り出しに戻った。一瞬感じたほのかな格好良さは幻だったのだ、きっと。






「それにしても、人間たちの有り様は何なのだ?」


 オーベロンが言葉にできないほど苦い表情で里に目をやる。


 そこには鏡像の攻撃で抉れた地面に倒壊しかけの家屋。瓦礫は足場を悪くし、一部には回収しきれなかった"破片"がまだ転がっている。

 端の方で嗚咽を漏らしながら汚れた布袋を抱えている彼らは、きっと回収班だったのだろう。


 そのさらに向こう……傷跡の残る里の様子をものともせずに歩き回り、ときに談笑し、日常と何ひとつ変わらない行動を繰り返す人間の姿がある。彼らは何も気にしていないのだ。壊れかけた我が家も、傷の付いた地面も、散らばった肉片のことも、なにもかも。


 だからきっと、酷いにおいを放っていた備蓄庫の惨状など何ひとつ目をくれないのだ。


「気味が悪いな。あんな事があったというのに、もう忘れたかのように振る舞っているではないか」

「元々おかしい感じはあったけど、ここまで来るとおかしいというよりも異常っすね」

「す、す、少なくともエルフの子どもの誘拐に関わってるような様子はなさそうです、けどね……」


 アルヴィンが恐る恐る漏らした呟きに、オーベロンが更に顔を顰める。

 彼とて理解しているから悩んでいるのだ。こんなマトモじゃない様子の人間が計画性を持って、警戒しているエルフの里(ビオタリア)へと何度も侵入する事ができるのか、と。


 だが、シルヴィアが初めに相対した影が人間の里にいたのも事実。声からするに男のようだったが、彼が誘拐に関わっていることは間違いないのだ。


「あの逃げて行った奴が、この里がおかしい理由も知ってそうではあるっすけど」

「取り逃してしまったのが悔やまれるな。一体どんな(まじな)いで消えたのやら……」


 まるで幻のように消えてしまった影。

 鏡像といい、見えないことは大きなハンディキャップだった。

 ましてや今は月明かりと照明魔道具しか光源のない真夜中───昼間とは視認性が全くと言っていいほど違う。いくら少しずつ朝が近付いていようが、僅かな違和感があったとしても気付けないほどにはまだ闇は深い。



 もしや、ヴェルが対峙した男も同様に消える能力を持つような種族だったりしたのだろうか?ポータルを使ったように見せかけて、実際は姿を消しただけだったのかもしれない。

 ヴェル自身にはそんな種族の知識はないが、ディクシアに聞けばすぐ分かるのに、と、彼と同じ任地でないことを残念に思った。彼は歩く図書館のようなものなのだから。


「人間の皆さんはどうされますか?このまま置いておくのであれば、それもいいとは思いますけど」

「うむ、この状態を捨て置くのも気が引けるが……倒壊しそうな家屋は扉に柵を付けさせたからな。正直、あれだけで中に戻らなくなるとは思わなんだが……ずっと監視しているわけにもいくまい」


 オーベロンの言葉通り家に戻ろうとした人間が扉を開けようとして、板を打ちつけただけの簡素な柵に阻まれてはすぐに扉から離れていく。柵を取り除こうという意識はないらしい。


「逃げた者を追うのが理想だが、奴が戻ってこないとも限らない。二手に分かれるのが理想だと思うが……其方(そち)らはどうする、アルヴィン殿?」

「えっ!ぼ、僕!?」

「鏡像が人間をも襲っていたとなれば、人間どもが鏡像を使役していたわけではないということは納得しよう。であるからには、我々と行動を共にする道理はない」

「あ、いや、まぁ、そ……それはそうなんですけどぉ」

「逃げた鏡像が何処(いずこ)に向かったかはわからん。追うにしろここで待機するにしろ、動きがわかっておれば協力もできよう?無論、子らの捜索が未だに第一ではあるが───我々を優先しようとした其方へ報いねば、エルフの名折れだ。そうだろう、守護者殿?」


 つまりは先ほどのアルヴィンの啖呵に対するオーベロンなりの返答ということ。守り手である彼に対しての、尊敬と信頼を返すということ。


「エ、あ、あの、はい。じゃあお言葉に甘えて……よろしくお願いします……」


 自らの叫びに、想いに、返される"もの"があったのがきっと、嬉しかったのだ。アルヴィンは厚ぼったい瞼をこれ以上なく見開くと、指をもじもじと動かしながら目線を彷徨わせた。その頬が赤いのは暑さのせいではないだろう。


「えっと、それなら僕たちも二手に分かれようと思います。あの小屋を見るに……ぅ"ぇ"っ……鏡像も戻ってくるかもしれないし……」


 結局、締まりのない男である。


 思い出してまた気分を悪くするアルヴィンだったが、なんとか持ち堪えて1、2回深呼吸をする。顔色は当初よりマシなので、耐性がついてきたのかもしれない。


「ヴェル君は怪我もしてるし、シルヴィアさんと一緒にここで待機しててもらってもいいかな?僕はヘイ君と一緒に、エルフの皆さんについて行きながら鏡像の足取りを探してみようと思う。ヒトの気配に惹かれて寄ってこないとは限らないからね」

「任せてくださいっす」


 怪我は別に大したことないのだが断る理由もなく、ヴェルも素直に頷く。


「僕がアルヴィンさんの子守りですか?同じ若人なら可愛らしい御二方の方が楽しそ───失敬、子守りのし甲斐はあると思いましたので、つい」

「うっ……ご、ご迷惑をお掛けします」


 ヘイだけは少しだけ不満そうな言動を漏らす。彼の場合、単にアルヴィンを揶揄いたくてそんな言葉を使った可能性もあるが───それよりも気になるところがあった。



───もしかして、あいつアルヴィンさんより老けてたりする?

「さぁ……。でも確か、蛇鱗人(ナーガ)の寿命は人間の7倍くらいって聞いたことあるから、案外歳はとってるのかもしれないっすね」


 アルヴィンはどう見ても40代は超えている。下手をするとヘイは20、30代に見えていても優に3桁を超える歳である可能性もあるわけだ。

 種族間で差異があるといえ、今までを殆ど同族に囲まれた中で育ってきたヴェルにとっては俄かに理解し難いことだった。

 シルヴィアは童顔で通るとしても、ヘイやオーベロンに至っては脳が混乱してしまう。


「とはいえ、仕方がありませんね。我々サポーターは守護者の指示に従うのが原則ですから」


 食い下がることもなくヘイが肩をすくめる。


 方針も決まり追跡役を担ったエルフたちが準備を始める中、(おもむろ)にオーベロンが座り込むヴェルの側へと歩み寄る。


「ヴェル殿、良いか?」


 予期せぬ問いかけにヴェルは顔を上げた。


「出立前にひとつ聞いておきたくてな。其方はあの者の顔を見たと言ったが……人相はどのようなものだったのだ?これから探すにあたって知っておきたい」


 そうだ、言っておかねばなるまい。

 先ほど相対した男の顔は見えなかった故に絶対ではないが、ヴェルの取り逃した男とは声の質が違った気がした。格好は似たような黒のローブだが、そもそもああやって顔を隠せるのであれば仮面をつける意味などない。


 であれば、複数犯の可能性が高い。


「どうした、何か気になることでもあるのか?」


 意思疎通にハンデのある今のヴェルでは、相手が聞く姿勢を持たねば情報を共有するだけでもハードルが高い。アルヴィンを貶すわけではないが、油断すると延々伝える機会を逃してしまう。

 今でさえ伝えるのが遅いと思ったのだ。これが何か悪いことにつながらなければ良いが。


───俺が会った奴とは、多分違う。

「……何だと?」

───そいつはわざわざ仮面を付けてた。あんな風に隠せるのなら、一々仮面なんてつけなくたって……。










「族長!!」


 焦燥感の滲んだ呼び声にヴェルの指が途中で止まる。その声にオーベロンがハッと振り向いたのは同時だった。


 里の入り口から、誰かが走ってくる。

 走って、とは言ったものの動きはどこかぎこちない。まるで足を負傷しているようだ。

 誰もが困惑して声の主に目を向ける。


 照明魔道具に照らされ、

露わになったシルエットに、誰かが息を呑む音が聞こえた。



「何事だ!何故……





 何故()()()()()()!?」



 これ以上なく見開かれたオーベロンの瞳に映る者を、ヴェルも知っていた。


 彼はオーベロンからエリンを、ひいてはビオタリアの子どもを任された男だ。エルフにしてはかなりと言っていいほど体格が良かったので、見間違えることなどない。

 だが、彼は子どもと共に水晶樹の中で篭城をしているはずだった。

 オーベロンたちが成果を持ち帰ったわけでもないのだから、ここに居るはずがないのだ。───()()()()




 彼は肩で息をしながら、血に塗れた片足を引きずって懸命に走っていた。だからなのだろう、動きがおかしく見えたのは。


 その顔は、青い。



「族長、急いで……ッ、急いでお戻りください!!子どもらが……




 子どもらが鳴杖を奪い、面妖な黒い者たちを招き入れて……!!」




 ヴェルが先に言っていれば、もっと警戒の仕方があったのだろうか。

 それとも、先の男を取り逃したのが悪かったのだろうか。


「皆の者、急ぎ里へ戻る!!良いな、急ぐのだ!!」


 騒然と夜の森を戻り始めたエルフたち。



「ゔっ、ゔぇ、ヴェル君、ぼ、僕たちも一旦彼らの援護に……!」

「おや、良いのですか?彼らをここに残していかなくて」

「そんなこと言ったって……!」

「ふふ、冗談ですよ。不測の事態に戦力を分断するのはオススメしませんからね」


 冗談めいたヘイの言葉に確かな後ろめたさはあるのかアルヴィンはキュ、と唇を結ぶ。しかし迷ったのは一瞬で、次の瞬間には彼はエルフたちを追って走り始める。


 ヴェルはただ、胃の奥に澱むような重みを感じながらついて行くしかなかったのだった。

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