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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
77/136

75.優劣の天秤にかけるは


 人間が住むという隣里はビオタリアと大きな違いのない場所だった。



 丈夫な板材を組んだ家も、森の中に溶け込むような雰囲気も同じだ。

 違いを挙げるとするならば、里を取り囲む木々はビオタリアのように大きくなく、空を遮るほどの枝葉もない。照明魔導具は蔦ではなく、高い支柱のような石造りの柱に等間隔で吊るされていた。



「まだ寝静まっていれば少々疑いも晴れるものだが───見ろ」


 オーベロンが指し示さずとも分かる。


 里の中では幾人かの人影が往来を繰り返し、時に座り込み、時に互いに何か言葉を交わしているようだった。

 平時であれば違和感を抱くこともない自然な光景なのだろう。しかし今はすっかり更けた夜半……昼間かと見紛うような人の営みは、明らかに不自然である。


「場合によっては囲んで朝を待つも辞さないつもりであったが……。この様子であれば不要だな」

「ま、ま、待って下さい!何かおかしくないですか?」


 里の様子は確認できるといえまだ遠い距離。

 向こうがこちらに気付いているような様子はなく、何か行動を起こすのであれば今が好機だろう。だが、それはあくまで相手を刺激しても構わないという前提の上だ。


 表情険しいオーベロンの周囲のエーテルがちり、と騒めく。

 火のついた導火線のような空気。それを止めたのは、慌てて彼の前に身を投げ出したアルヴィンだった。


「に……人間が誘拐の一端を担ってたんだとしても、あんな普通の生活感を出してるのはおかしくないですかね!?」

「我々が来るとは思っていなかったのかもしれんだろう。今までは里を空ける事すら困難であったからな」

「だとしてもですよ!」

「こんな夜更けにあれだけの人間が起きていて、そこにどんな理由が考えられると思う?」

「そっ、それは───」


 荒げないよう最低限に声を潜め、なおさらに勢いのないアルヴィンはオーベロンの言葉に強く返せないでいる。

 よもや、こんなすぐに事を荒立てる気なのか。わだかまりがあったとしても、あまりに血気盛んなエルフたちの様子にヴェルも危うさを感じ始めたときだ。


「じゃあ、ぼ、ぼ、僕がまず見てきますから」


 辿々しい口調ながら、しっかりとした声音でアルヴィンが宣言した。


「こんな夜中にどうしてみんな起きてるのか、彼らに話を聞いてきます。だから僕が呼ぶまで皆さんはここに居て下さい」

「アルヴィン殿1人でか?」

「え、ええ。大勢で押し掛ければそれだけで彼らに警戒を与えてしまうでしょう?もし本当に彼らが何も関係なければ……それだけで後々の火種になる可能性だってあるじゃないですか」

「この後に及んで、アルヴィン殿は奴らが関係ないと言い張るのか?」


 オーベロンの目に剣呑な光が宿る。

 歩んできた年月によるものか、睨むように細められた緑色の瞳は、直接視線を向けられていない者にまで強烈な威圧を感じさせる。


「ぼ、僕は、守護者です。どちらの肩も持ちませんし、どちらを貶めるつもりもありません」


 しかし、当のアルヴィンは顔中に汗を滲ませながらも分厚い瞼をしっかりと見開いてオーベロンを見つめ返していた。彼の汗は今に始まったばかりでなく歩いているときから流れ続けていたので、オーベロンの瞳に晒されて出てきたものではないはずだ。


「争いになれば、か……確実に鏡像は増えるでしょう?僕たちはそれを避けたいんです」

「だから我々に苦渋を飲んで犠牲になれと?」

「そんなわけないでしょう!!」


挿絵(By みてみん)



 強い否定は、周りを圧倒していたオーベロンの怒りすら霧散させた。



 

「何年も担当してきた皆さんに、思い入れがあって当たり前じゃないですか……これは僕の個人的なわがままなんです」


 俯き、肩を落とし、一瞬にして強さを失ったアルヴィンは、か細い声で続ける。静けさが漂う中で、その小さな声は存外によく聞こえた。


「争いになれば、確実に誰かは傷付きます。それも1人や2人なんかじゃ収まりません、そこに鏡像まで増えてみて下さい。僕は皆さんの絶対的な味方にはなれないし、ずっとこの場所にとどまるわけでもありません」

「……あぁ、理解している」

「……どちらの肩も持てないと言いつつ、人間よりもエルフのことを思っていることは認めます。守護者としては褒められたものじゃない」


 そう言って、苦笑いを浮かべた顔は情けなく眉尻が下がっている。けれど、今それを揶揄しようとする者は誰もいないだろう。


「僕たちが介入出来ることは限られてますけど、出来る限り"エルフの"皆さんに傷付いて欲しくないんです」

「アルヴィン殿───」

「で……ですから、ね?一旦ちょっと落ち着いて、僕が話を聞いてくるまで待ってもらえません?やっぱり怪しいって思ったらすぐにお伝えしますから」


 懇願の礼は、出っ張った腹に遮られて中途半端な角度で止まる。ここに至って決まりが悪い。


 しばしの沈黙。


 やがて、オーベロンの深い嘆息が全員の耳に届いた。


「あいわかった、着任当初より我々のために身を削ってくれた其方がそこまで頼むのだ。切り捨てるわけにはいくまい」


 毒気を抜かれた、とは彼のような顔のことを言うのだろう。

 全身から溢れ出ていたと怒気は鳴りを潜め、空気を張り詰めさせていた魔力の揺らぎも消えている。射殺さんとばかりに鋭く突き刺すような眼光は、元の静けさを湛えていた。


 オーベロンは皺が寄っていた眉間を指で揉みほぐす。皺などつかなさそうな肌の張りだが、慣れたようなその仕草が見た目以上の老いを窺わせた。


「だが一度きりだ。其方が言ったようにこれ以上怪しさを感じる点があれば、確証が無くとも我々は里へ乗り込む。良いな?」

「最終的な判断は皆さんにお任せします。結局僕が関われるのは、この程度なので……」


 他のエルフから拒絶の声があがる事もなかった。


 アルヴィンはいそいそと襟元からリングを取り出し、しばらく見比べた後で片方をヴェルに渡した。


「受信端末だよ、何かあれば連絡をするから、ヴェルくんが持ってて。僕たちが関われる範疇を超えた時点で、君たちは一旦ここから離れるんだ、いいね?」


 しっかりと言い含めるかのような彼の指示にヴェルは思わず頷くしかない。差し出されたエーテルリンクは、懐に入れられていたせいか妙に生温かかった。

 ヴェルが受け取ったことを確認すると、アルヴィンは満足そうに微笑んで一行に背を向ける。


「アルヴィンさん、私も行くっすよ」

「大丈夫、話を聞くだけだから」


 シルヴィアが身を乗り出すも、彼は言葉だけで優しく制す。


「生真面目ですねぇ。我々みたいなサポーターがいるんですから……こちらに丸投げすれば宜しいのに」


 それはヴェルだって少しは考えた。


 守護者は秩序の担い手ではあるが、現地の問題には基本的に関わらない方が良いとされている。それは、鏡像以外の問題を請け負うだけの人材的ソースが単純に不足しているという理由に他ならない。

 あちらには手を貸し、こちらには手を貸さない。人手が足りずに起こる問題としては、1番考えられるのがそれだ。そんな話になれば守護者全体の信用にだって関わってくるというのは、絶対目的とともに養成所で口酸っぱく教えられる。

 たとえ手を貸すものがいたとして、そこで新たな問題が発生した場合には自己責任に問われる。故に、現地の問題には関わらないというのが暗黙の了解だった。


 誰だって同族の不興は買いたくない。その点、サポーターは守護者と違ってしがらみがない。ヘイの言うことはもっともである。


 けれどアルヴィンは、そのリスクギリギリのところまでは自分が関わりたいと言っているのだろう。恐らく、思い入れ───つまりは情に動かされて。


 ヴェルは託されたエーテルリンクに視線を落とす。

 家族でも友人でもない他者のために率先して危険を冒すような真似は、ヴェルには到底できない。

 それを恥じたこともなければ変えようとも思わないが、あれだけビクビクした姿勢を晒すアルヴィンがオーベロンの威圧にも屈さず向かった様は……少し、格好よく見えたのも確かだった。真似しようとは思わないが。



「なんだかキョロキョロしてるっすね」


 離れた位置にいる彼らには、アルヴィンの細かな表情などを確認することはできない。それでも明らかに戸惑うような様子は、僅かに見える挙動からも伝わってくる。


 話しかける仕草も見られるが、会話が弾んでいるようには見えない。数秒言葉を交わすような動きを見せるとすぐにアルヴィンは別の人間へと向かっていく。


「奥へ入っていきましたねぇ」


 やがて、めぼしい人間には声をかけ尽くしたのか、辺りを見回すように首を左右させながら進む大きな背中が、建物の影に隠れて見えなくなった。








「……遅いな」


 アルヴィンの姿が見えなくなって十数分は経っただろうか。

 初めは約束通り静かに成り行きを見守っていたエルフたちからも、猜疑のざわめきが聞こえ始める。


「よもや攻撃を受けたわけではあるまいな?」

「ですがあのアルヴィン殿です。人間如きに遅れをとるような方では……」


 オーベロンを嗜めるエルフの声も、言葉尻にかけて小さく自信のないものになっていく。そこからさらに暫く音沙汰を待つが、やはり状況に一切の変化は無かった。



「───アルヴィン殿には申し訳ないが、これはやはり乗り込むしかなかろう」


 近くの倒木に腰をかけていたオーベロンが、ゆらり、と立ち上がった。座り込んでいたエルフたちも追従するように立ち上がり、各々の獲物を握り直し始める。


「もうちょっと待ちません?もしかしたら話が長くなってるだけかもしれないっすよ」

「屋外に見える人数はそうも多くない。少し話が長くなったとしても、ここまで時間がかかるものだと?」


 正論に、シルヴィアが口を噤む。


「シルヴィア殿とヘイ殿もヴェル殿と一緒に少し離れていた方が良い。争いになるかはわからんが、これは我々の問題だからな。……道中、何も無かったといえ付き添いご苦労だった」


 ぎこちない笑みを浮かべて、オーベロンは顔を逸らす。もう何を言われても進むという意思の表れのように見えた。


 声も出ない、深くも関わることのできない自分には何も言えない。

 けれども何か、自分も何か言わねばならないのではないか。


 先ほどのアルヴィンの背を見たヴェルの胸中には、そんな思いが渦巻いて止まなかった。

 口を開く、声を出してみる。未だに喉は言葉を形にすることはなかった。




「では向かおうか。皆、何かあった時にはすぐ刃を向け合えるよう───」






 ───りん。




 その時だ。


 鈴の音のような高く冴えた音が、口上を遮った。


 エーテルリンクの受信端末の()()

 慌ててヴェルは手に握ったリングに魔力を通す。


『べ、べ、べべべべべゆ君!!』


 だから誰だよそれ。


 呆れ半分、安堵半分。

 待っていた相手からの連絡に心の中で一息のため息を吐く。声が出たとしても受信端末はあくまで受信端末であり、皮肉を言うだけ無駄なのだ。


 リングから聞こえる声は大きく、恐らくエルフたちにも聞こえているだろう。


『ち、ちち、ちょっとおかしくて、こっちに来て欲しいんだ!みんな一緒でいいから、と、と、とりあえず奥の方へ……あ!!ぶ、武装はい、いい要らないと思うけど!思うけど!!』


 襲われているような様子はないが、ひたすらに焦った声。


『とにかく、来てぇえ!!』


 元の情けなさを存分に滲ませた嘆願が森中に響き渡ると同時、ヴェルは間髪入れずに駆け出した。

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