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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
75/136

73.眠れる樹

 不安で今にも泣き出しそうな子どもが、ヘイの差し出した木製のマグを両手で包み込む。

 半分ほど注がれた赤い液体から立ち上る、甘い匂いと酸っぱい匂い。どこかで嗅いだようなその香りに、ヴェル思わず口を窄めてしまいそうになる。


 恐る恐る、小さな口をマグにつけて喉を鳴らした子どもが弾かれたように顔を上げた。


「おいしい!」

「だから言ったでしょう?酸っぱくないですよ、とね」


 不安げな表情から一転、嬉しそうに目を輝かせる子どもはマグを空にした途端ににふぁ、と大きな欠伸をこぼす。目をこすりながら船を漕ぎ始める小さな体を抱き上げて、ヘイは大きく開いた木の()()にその子どもを下ろした。

 中は広く、先ほど通された部屋と同じほどの広さがある。そこに敷き詰められた大きく柔らかな葉の上には、十数人の大人と静かに眠る大勢の子ども。

 その中には、先ほど別れたエリンの姿もあった。他の子どもと身を寄せ合いながら、ぐっすりと眠っているように見える。


「これで最後でしたね?」

「恩に着る。どうもあの実はハズレが多くてな……我々も見分けが付け難いんだ。」

「ふふ、蛇の鼻は案外良いんですよ。それに、寝ていてくれた方が我々も助かりますから」


 ちろり、と蛇と同様の長い舌を覗かせて笑みを見せるヘイに、体格の良いエルフの男は引き攣った笑顔を返すしかなかった。



「あのヒトも結構子どもの扱いが上手いでしょ?」


 感心したように眺めていたヴェルの耳に、シルヴィアがこっそりと耳打ちをする。まさに自分が口に出したかった感想だ。

 思わず2回頷けば、シルヴィアはくすくすと可笑しそうに声を噛み殺す。


「私も意外だったっす。最初は怖がられてたんだけどね。あの子は運良くヘイが助けた子で、そっから懐いてるみたい」


 大きな図体に、少々胡散臭いまでの笑み。それに、相手を選ばない距離感の近さを考えれば怖がられるのも無理はない。

 だがエリンがヴェルに懐いたように助けられて、というのであれば納得もする。いくら種族柄が排他的といえ、子どもはやはり素直だ。


 微笑ましいかといえばそうでもないが、現在起こっている背景を考えると穏やかに見える風景だ。


 そんな風にヴェルが考えていると、ふと振り向いたヘイと視線がかち合った。細過ぎてどこを向いているかもわからない糸目だが、確実に顔はヴェルの方に向いている。


 にぃ、


 と、またも胡乱(うろん)げな笑みが白磁の顔に浮かんだ。蛇鱗人(ナーガ)というだけあって、蛇らしさに溢れたその顔にヴェルは一歩後退する。



 まるで睨まれた蛙の気分になる。

 シルヴィアが言ったように、どうも苦手意識が拭えない男だ。


「2人だけで内緒話ですか……。ズルいと思いませんかアルヴィンさん?」

「えっ、ぼ、僕!?べ、別に、若くて良いなぁとは思ったりはするけど」

「ほら、羨ましいって思ってるじゃあありませんか」

「ち、ち、違うよ!!可愛らしいって思っただけでそんな、羨ましいとか!」


 急に話を振られてか、素っ頓狂な声が上がる。こちらは始終一貫して落ち着きのない男だった。


 それにしても、自分たちの行動に言及されて羨ましいだの若いだの言われるのは少しむず痒い。




「では後のことは任せよう」

「承知いたしました。と、いっても今眠った子どもで全員なので思った以上には気楽ですが。最悪、数人は起きている状態で守り番をしなければならないのかと覚悟していました」

「うむ。幼児(おさなご)ほど何をするかわからんゆえ、眠っていてくれた方が安心だからな。やはり眠苺はよく効く」

「子どもが口にできる味を見つけるのが困難ですがね。ヘイ殿に感謝です」


 名前を挙げられた当のヘイは、相も変わらぬ顔でひらひらと手を振っていた。


「本来であればもう少し護りに人数を割きたいところではあるのだが……」

「いいえ。大樹さえ目を覚ませば、ここはどうとでもなります。それよりも、人間たちがどう出てくるか分からないのですから、族長たちこそお気をつけ下さい」


 力強い敬礼だ。満足げに頷くとオーベロンは手に持った鳴杖を高く振り上げた。


「エリンを頼む」

「次こそは───お任せください」


 しゃん、と鈴音のような響きと共に、月光がひときわに降り注いだ。月明かりと表せるほどの柔らかさは既に無く、陽の光とも言えるほどの眩さが大樹全体を覆った。


挿絵(By みてみん)


 二度、三度。


 鳴杖が音を奏でる度に光の密度は濃さを増し、目を開けていられなくなる。眩む視界のその先で、僅かに残った大樹の輪郭がゆらり、と動きた気がした。


 しゃん。


 四度。鈴の音が響くと同時にあれほどまでに眩かった光は嘘のように掻き消える。


「……無事に目覚めたようだ」


 静まり返った場にはオーベロンの声が良く通る。

 眩しさに目を覆っていたヴェルは手を離し、恐る恐る瞼を持ち上げ、そうして思わず声なき声を漏らした。


───もう"樹"じゃねぇじゃん。


 目の前に聳える大樹は、その様相を大きく変えていた。


 ぽっかりと開かれていた()()は四方から伸ばされた太い蔦が絡み合い、塞がれ、もはや中の様子を窺い知る事はできない。

 生命力に溢れながらも年月を感じられた分厚い樹皮はいまや青く半透明に透き通り、植物というよりはむしろ鉱物のように見えた。


 樹を模った水晶。それが、目の前のモノを正しく認識できる表現だった。


「……話で聞いてたより遥かに頑強っすねぇ」

「シルヴィア殿も初めてでしたね。我々が大樹と呼ぶ"これ"は、はるか昔からこの地に根を広げて来た水晶樹と呼ばれる樹です」


 惚けて見上げる彼らに応えたのは近くで成り行きを見守っていたエルフで、彼女は得意げに胸を張ると説明を始めた。


「普段は眠りながら森中のエーテルを少しずつ蓄えていますが、族長に代々伝わる鳴杖によって、満月の晩だけは目を覚まして自ら結界魔術を張ります。エーテルが尽きるか内側に備えた対の鳴杖を鳴らさなければ、再び眠りにつくこともなく容易に傷つけることはできません」


 あくまで危機が生じた際の最終措置だと彼女は言う。


「そう何度も起こしていては、蓄えたエーテルもすぐに底を尽きます。しかしここ数年は眠ったままだったので───おそらく、そのままなら数ヶ月は難攻不落の砦として聳え立ち続けるでしょう」


 どれほどの強度を誇るのかは分からないが、はるか昔から身を護るための用途として使われたのであれば、確かに難攻不落と言えるのだろう。

 傷つけられなければ、それ以上の護りは要らない。

 子どもをその中にしまい込む事で、次こそは鉄壁を築こうというのだ。


 事前に聞いていた話では、これで樹の外に残るのはヴェルたち異邦人とオーベロン、そして戦えるエルフたちのみとなる。


「よろしい、それでは人間たちの元へ向かうとしよう」

「あの……当初の予定通り、僕たちは種族間の争いごとには関与しませんからね……?」

「わかっている」


 まるで戦場にでも向かわんとするようなオーベロンの厳しい声音に、アルヴィンの弱々しい指摘が水を差す。

 強くはないが、それでもはっきりとした主張に気分を害した様子もなくオーベロンは頷いた。


「アルヴィン殿たちには、鏡像が現れた場合の相手を頼みたい。あれほどまで成長していては、我々で対抗できる余地など殆どないと言って良い」

「それは全く、僕たちの領分なので拒否するつもりもないんですけど……」

「頼む。もし仮にこのまま争いとなった場合は其方に迷惑をかけないように気を付けよう」

「そうならないのが1番なんですけどぉ……」


 話を聞いている限り、懸念している"諍いに巻き込まれる"というのは避けられるようだ。いくら現地で生じたことといえ、ヒトとヒトの争いに関与するのは本来守護者の本分ではない。


 まさかの抗争に関わる事があるかと僅かばかり冷や冷やしていたヴェルではあったが、オーベロンの返答を聞いて内心ホッとため息をついた。鏡像と戦わねばならないのは仕方ない事だとしても、ヒトとヒトの争いなど面倒以前に関わりたいものではない。


 泣きそうなアルヴィンの声をバックに、オーベロンは傍らのエルフが恭しく差し出した小瓶を受け取り、それをそのままヴェルに差し出す。


「ヴェル殿、これを」

「……?」

「我々が傷の治療に使っている植物の液だ。シルヴィア殿に喉をやられたと言っていただろう?」

「うぐ……」


 行いを蒸し返されたシルヴィアが、潰れた呻き声を上げた。


「生憎とこの里に治癒術を使える者はいない。代わりに、この液汁を用いて治癒力を高めるのだ。謂わば、ささやかな万能薬と思えば良い」

「……」

「そう怪訝な顔をするでない。実際、目に見えてすぐに治るわけではないが大抵の傷と病に効く。其方の場合は喉と申していたゆえ、飲めばおそらく数刻で声も戻るだろう」


 ヴェルが小瓶を少し傾けると、重力に従って中身の液体も揺れる。

 ドロリとした濃い緑色の液体だ。やや黄色みがかっていて、例えるならば藻や苔を極限まですり潰して液状にしたような。植物の汁と言われなければ毒ではないか?と、まず疑ってかかる見た目だった。


 ───これを飲めと??


 思わずオーベロンを見る。彼は大仰に頷くだけで、それ以上の反応を返さない。嘘を言っているような顔でもなければ、そんな冗談を言う男でないだろう。


「……」


 試しに蓋を開けると、なんとも湿っぽくてむっとする香りが鼻を刺す。


 草だ。

 濃縮された草のにおいだ。


 ───これなら、誘拐犯に押し付けられた薬品のにおいの方がまだマシまである。


「大分と興味をそそられるにおいなので、後で感想お願いしますね?」


 愉快そうにヘイが笑みを深める。常に笑みを貼り付けているために内心を推し量ることは難しいが、これはヴェルにもわかる。確実に彼は面白がっていた。

 本当なら飲みたくない。

 飲みたくない、が。


 ヴェルはシルヴィアを盗み見た。

 しょぼくれた顔で萎れている彼女は、きっとまた1人で反省会をしているのだろう。被害者は確かにヴェルなのだが、もう怒りなど思い出せないくらいに遠い出来事だ。

 それに喋れないというのは思った以上に不便なものだった。先の談義でも言いたかったことなど全く伝えきれずに終わってしまった。



 ままよ、と、小瓶の中身を一気に(あお)る。


 粘度の高い(ぬる)さが喉を滑り降りて、味わってもいないのに青臭さが一気に口中に広がる。本当にただの草の汁のようだ。単純に、不味い。



「〜〜〜〜!!!!」

「わあああ!?ヴェルくん、大丈夫かい!??」


 膝から崩れ落ちたヴェルの耳に、周りで成り行きを見守っていたエルフたちの声が無常にも入ってくる。


「原液で飲んでるの、族長以外で初めて見たかもしれない」

「あれ不味いですからね」

「むしろそのまま飲めるのは族長ぐらいじゃないか?」


 ちゃんと言え、そういうことは。


 文句のひとつでも言いたいところだが悲しいかな、言われたとおり即効性はないらしい。喉にはまだ違和感があり、漏れる呻きも掠れている。

 涙目になりながら、ヴェルは恨めしげな視線を彼らに向けて未だ草の香り漂う口元をひたすらに拭った。残念ながら、誰しもが目を合わせる事を避けて視線を逸らしてしまったが。

 駆け寄ってきたアルヴィンが、小さな水筒をヴェルに差し出す。


「キツいよね、わかるよ。僕も1回おなかを壊した時に貰ったことあるんだぁ……。同じように、原液をね……」

「……」


 概ね万能という意味と、アルヴィンがすでに洗礼を受けていたことは十分に理解ができてしまった。


 えもいえぬ仲間意識を感じ合い、2人はそっと固い握手を交わした。







「では次こそ向かうとしよう。道中、ゆめゆめ気を抜かぬよう」



 月は幾何(いくばく)か傾くものの未だ高く、煌々と夜を照らす。

 真闇には程遠い薄闇であるはずなのに、森の奥へと広がる道はどこか気味の悪さを漂わせながら彼らを迎えようとしていた。

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