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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
72/149

70.アルヴィン

 ヴェルを目視した瞬間、男の顔からは音が聞こえそうな程に血の気が引いていった。


 そのまま確認するかのように視線を下へ動かし、白が基調の服を見て更に青ざめ、再びヴェルの顔を見て更に更に青ざめた。

 もはや首から上の血は(から)になってしまったのではないかと、そんな下らない考えが脳裏を過ぎる。


挿絵(By みてみん)


「も、もももももしかしてべ、べ、べ、ぶぇる・しゅがっ……しゅわるちゅ君……?」




 誰だよそれ。




 声が出たなら、間違いなくそう突っ込んだはずだ。



 導かれて辿り着いた、他のものよりも一際大きな家屋。

 扉を開いて直ぐの広間で何やら紙と睨めっこしていた男は、弾むように駆けてきた。


 前にも横にも出っ張った腹を揺らし、足が地面を叩くたびに頬の肉が上下にたゆんたゆんと跳ねる。ヴェルの周りには比較的に肥満と呼ばれる部類の者が少なかった所為か、その男はかなり太って見える。

 一見すると重くて動けなさそうだが、男はあっという間にヴェルとの距離を詰めたかと思えば、彼の前に勢い良く滑り込み額を地に擦り付けた。

 息も上がっていないところを見ると、さすがは太っても守護者というところか。ただし今の状況では先任者の威厳も何もあったものではないが。


 ガバッと顔を上げて乱れる茶髪。その隙間から見える前額部は見事に擦り剥けて血が滲んでいる。


「ご、ごごごごごめんねええええ!?いっ、いま思い出したんだけどもしかして今日が君の来る日だったっけ!?」


 もしかしても何も、既にヴェルがここにいることが()()だという証明なのだが───。


 ヴェルの反応を窺うように(はしばみ)色の瞳が揺れる。


 碌に発声もできない故に、ヴェルは兎にも角にも無言で頷いてみせた。それがまた怒りの現れだと思ったのか、男は短く悲鳴を上げて再び頭を地面に擦り付けるのだった。


「ごっめえええん!!わざとじゃないんだ、ここ最近ちょっと色々立て込んでしまってたから、ついつい頭からすっぽ抜けてて……あっ、ぼ、僕はアルヴィン・ウッドって言って君の先輩に当たるワケだけど、───あっ!あっ、別に先輩だから見逃してほしいとか、そういうのじゃなんだけどね!」

「……」


 これでは埒が明かない。

 溜め息でもつきたいところだが、そうするとさらに男が慌てふためくのが目に見えるようだった。

 視線を彷徨わせると、シルヴィアと目が合う。彼女はヴェルの困惑顔を見るや同じように眉尻を下げくつくつと笑った。しょうがない、そんな声が聞こえてくるかのようだ。


「ほらほらアルヴィンさん、顔上げて。ヴェルも怒ってないし、なんならびっくりして困っちゃってるっすよ」

「ほ、ほんとぉ……?」

「ほんとほんと。───あぁ、でもせめて私たちには彼が来ること言っといて欲しかったっす。私の落ち度でもあるんだけど、()()()を追いかけてった先にヴェルがいたから、つい攻撃仕掛けちゃった」

「わああああああ!!やっぱりごめんなさああああい!!」


 大の大人、それも体積が大きい故に存在感も強い。そんな男が機敏に上体だけを上げては下ろし、ぺこりぺこりと頭を下げる姿は正直、騒々しいことこの上ない。


 ヴェルたちの後ろで、ことの成り行きを見守っているエルフたちからは失笑が漏れていた。慣れた様子を見るに、普段からこんな感じの人物なのかもしれない。



 自分より場慣れしているはずのそのヒト───アルヴィンが報連相も疎かで、うっかり新人との合流も忘れてしまうとあれば、怠惰なヴェルでも何か言いたくなってしまう。



 けれど、別に自分たちは軍隊や騎士ではない。


 必要なのは守護者という種族の絶対目的───つまりは鏡像に対する矛でありヒトに対する盾であるという不変の存在意義。

 それさえ違えなければ、その他のことなど大体は瑣末ごとである。



 だからこそヴェルがグレゴリーに言った「家族と天秤にかけるくらいなら、ヒトなんてどうでもいい」という言葉は、口をついて出た時点でアウトだ。本来ならばもう1年養成所で基礎理念をみっちり叩き込まれていたっておかしくない。

 その後にしっかりと役目は果たしたので特に大きな問題にもされなかったが……要するに、役割を果たしていれば人となりは重要視されないということだ。たとえ、うっかりさんでも。



 ───まぁ、だから俺も他人のこと言えねぇけど。




「アルヴィン殿、もう宜しいか。ヴェル殿に説明する事も踏まえて、今後の事を話したいのだが」

「ううぅ……。は、はぃぃ……」


 オーベロンに促され、アルヴィンはようやく謝罪の嵐(ヘッドバンギング)を止める。


 突然止まった動きに追いつけなかった頬の肉が弾んだ。


「其方は何事も無かったのだろうか」

「ええ、はい、特には。ヘイ君のお陰で子どもたちも殆どがよく眠ったようです」

「そうか。して、そのヘイ殿は?」








「ここに居ますよ」

「ヒェッ!!」



 するり、と、音もなく背後に現れた影にシルヴィアの悲鳴が上がる。



「何でいっつもいっつも後ろから現れるんすか!?嫌がらせ!?」

「まさか。その方が貴女の反応を(たの)しめるからに決まっているではないですか」

「それを嫌がらせって言うんすよ」


 じとり、とした朝焼けの双眸が向けられるも、白磁のような色のない顔は愉しげに笑うばかりだ。


「それはそれは……。我々の感性ではれっきとした愛情表現のつもりなのですが」

「ノーサンキューでよろしく」

「相変わらず手厳しい」


 屈む形でシルヴィアの顔に己の顔を近付けているその男は、手を口元に当てながらさもおかしそうに目を細める。

 触れはしない、けれどあまりに近い絶妙な距離。


 シルヴィアは口を尖らせて慣れた様子だったが、ヴェルは思わず彼女の肩を掴んだ。


 体を引くわけでもない。

 間に割り入るわけでもない。


 ただ、何もせずにはいられない理解不能の衝動が思わず体を動かしたに過ぎない。それでも、肩に触れた感触にシルヴィアが目を見開いて振り返った。


「───おや」


 シルヴィアの耳元に近付いていた血色の乏しい薄い唇が離れていく。


 背筋を伸ばせばその男はヴェルが軽く見上げるほどに背が高く、ひょろり、と表現するのが似合う印象をしていた。実際のところ、そう表すには男の体躯は存外にがっしりとしている。

 しかし色の見せる印象だろうか。肌だけでなく髪も白く、ともすれば無機質にも見える容姿はどこか儚げにも見えて。


 それ故に元来の体格よりも華奢に見えるのかもしれない。

 糸のように細い目は元来のものなのだろう。長い睫毛も相まって瞳を窺うことはできないが、男の視線がヴェルに向いた事だけはわかる。


「ふふ、ご機嫌を損ねてしまったみたいですね」


 男は大仰に肩をすくめたあと、胸に左手を当てて恭しく礼をする。


「ご挨拶が遅れました、ヘイ・ヴェラートと申します。シルヴィアさんと同じくサポーターとして助力をさせていただいている者です」


 手首ものバングルからチョーカーにかけて繋がった金属チェーンがヘイの動きに合わせてしゃらり、と揺れる。

 金属が擦れる音は、思った以上に小さかった。まるで、チェーンそのものが息を潜めているかのように。


「よろしくどうぞ、勇ましい騎士(ナイト)の方?」

「っ……」


 垂れた(こうべ)を上げ、笑みを貼り付けた顔がヴェルの前にずい、と寄る。

 少し変わったデザインの服に身を包むヘイは、容姿と合わさってどこか浮世離れした雰囲気だ。気圧されたヴェルは息を詰まらせて僅かに身を引いた。


「……」


 笑みを絶やさない顔は暫く反応を探るようにヴェルに向けられていたが、言葉を返せない彼が瞳に警戒の色を宿すと「ふふ」と笑って離れていった。

 後には身構えたままのヴェルが残されるのみで、ヘイは既に彼を視界に収めてすらいなかった。一言も発さない事に気を害した様子もない。


「立ち話もなんですから、中へ入りませんか?オーベロンさんも戻ってこられたということは、無事にエリンさんは見つかったのでしょう?」

「その事も含めて話したいと思っていたのだが……いかんせん、話を進めようにも私の存在ごと忘れてしまっている様だったのでな」

「これはこれは、大変失礼を致しました」

「あっ、すっ、すみませ……」


 三者三様ならぬ()()()()とでも言うべきか。

 愉快そうに口の端を吊り上げたままのヘイと、口の端を引き攣らせたアルヴィン。謝罪を口にする点は同じとて、与える印象は対照的だった。


「次こそは宜しいな?では、奥へ」


 オーベロンが中へ入るよう促す。

 共に来ていたエルフたちは示されるまま中へと足を進め、次いでアルヴィンも慌てて置きっぱなしだった紙を引っ掴んでその後を追う。


「では、我々も向かいましょうか」


 表情を一切変えないまま、ヘイも彼らの後をついていく。後に残されたシルヴィアとヴェルはどちらともなく視線を交わした。


 ───行くか?


 親指でオーベロンたちの背を示すヴェルの言わんとすることを、シルヴィアはすぐ理解したようだった。頷いた彼女は他の者同様に歩を進め───そして、ヴェルの横でぴたりと立ち止まる。




「ありがと」


 内緒話のように手を添えられた口元が目と鼻の先にあるのに、不思議とヘイのような警戒感は感じない


「あのヒト、さすがにパーソナルスペースが激狭(げきせま)すぎて困ってるんすよ。何度言っても直してくれないし……悪いヒトではないんすけどね」


 ゆっくり離れたシルヴィアが、歯を見せて笑う。

 軽口の応酬はそれなりに仲を育んでいるようで、本当に苦手としてるようには見えなかった。けれどここでわざわざ嘘をつく必要もないということは、実際のところ彼女の言うとおりなのだろう。


 それでも、そう言うシルヴィアの笑顔は嫌味など全くなく朗らかで。他者に対しての壁など一切持ち合わせた様子もない。

 だからきっと、排他的であるはずのエルフたちも彼女に好意的なのかもしれない。


「さ、私たちも行くっすよ」


 迷いなく差し出される手。

 その小ささを知っているヴェルは、躊躇いながらもその手に自分の手を重ねた。

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