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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
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67.月華の君

「勝手なこと言って勝手に消えやがって、なんなんだよくそっ」


 悪態をつきながら、ヴェルは自らの制服を脱いで少女を包む。


 特段寒い環境ではないのだが、夜はただでさえ冷える。子どもは体温が高い反面、暑がって着込むことを嫌がるのですぐに身体を冷やして風邪をひくこともザラである。

 頑丈な守護者の子どもですらそれなのだ。頑強さとは遠いエルフの少女、ましてや薄手のワンピースだけともあれば体調を崩してもおかしくない。

 大して暖かい素材でもないが、何もしないよりはマシである。ヴェルはこれでも、同じ年頃の弟妹を持つ兄なのだ。


 目を覚ます気配のない少女に心苦しさを覚えながら、これ以上は何もしてやれないことを悔やむ。親元に届けてやろうにも、ここから1番近い町や村がどこにあるかすらヴェルには分からないのだ。


「早く来てくれよ、先任者(センパイ)……」


 嘆いてもどうにもならないことは百も承知である。


 とりあえずは男が走ってきた方に向かってみるしかないだろう。ここで待っていても、既に遅れている先任者がいつ現れるか分かったものではない。


 夜の森を歩くことでのリスクはある。

 しかし姿を消した男にしても、手段がどうであれポータルを通れたのだ。いつまた現れるかもわからない。単独犯でない可能性もあると考えれば、この場に留まるのも得策ではない気がした。


「てっきり、いつもシリスがトラブルでも引き寄せてんじゃねって思ったけど……前回といい今回といい、もしかして俺になんか憑いてる?」


 双方、という可能性に思い至ってヴェルは内心で舌を出す。面倒な考えは捨てるのが吉だ。


 少女を抱えてヴェルは歩き出した。

 相も変わらず月は雲に隠れている。後悔先に立たず、明かりを持ってくるべきだったなとぼんやり考える。

 先ほどの男がどうやって暗い森の中を走ってきたのか疑問だったが、目が慣れてくるとようやくその理由が分かってきた。


「苔……いや、キノコか、コレ?」


 手探りしながら進んでいたヴェルの目が、徐々に周囲の輪郭を捉え始めた。

 その理由は、木々の表面に疎らに灯った薄明かりだ。近くに寄って目を凝らすと、爪ほどの大きさのキノコが自ら青白く発光している。

 この世界独特のものだろうか。ディクシアなら知っていたのかもしれないが、ヴェルにはそのあたりはよくわからない。

 薄明かりに気付いてから周囲を眺めると、なるほど、絶対的な光量はなくとも暗がりに慣れた目には障害物がよくわかる。


 蛍のような、弱々しくも柔らかい光。

 闇を彩るほのかな輝きは夜の森において尚のこと幻想的で、美しい。再び聞こえていた虫の声も、この光景に見惚れているかのようにどこか密やかに聞こえる。


「……シリスが見たらはしゃぎそうだな」


 歩を進めるごとに光の密度は広がり、樹皮だけでなく地面にまで生え広がったキノコはヴェルの足を掠めるたびに薄光る胞子を散らした。

 夢幻的な光景の虜囚(とりこ)にされてしまいそうな気分を味わいながら、ヴェルがもう一歩足を踏み出した時だった。







「見つけた!!」



 凛、と透き通った声。

 土と草を踏み締める音は、ヴェルのすぐ右隣から聞こえた。


 衝撃が、ヴェルの脇腹を襲う。


「ぐっ……」


 予期せぬ攻撃に、反撃も防御も間に合わず体が吹き飛ばされる。踏ん張りも効かず、緩んだ手元から少女の体が投げ出された。


「や、べっ」


 このままでは彼女が地面に叩きつけられてしまう。

 自らの体よりも少女を優先したヴェルは彼女は向かって手を伸ばす。しかし目の前に踊り出してきた影によって、小さな体は地面に落ちる前に掬い上げられる。


 結果、受け身を取り損ねたヴェルだけが地面を無様に転がった。

 体の下敷きにされたキノコから胞子がパッと舞い、燐光が散らばる。

 何回転もの末に木にぶつかり、ようやく止まった体は至る所に鈍痛を訴えていた。


 呻きながら立ち上がる。まるで、さっきの男にしたことがそのまま自分に返ってきたようだ。


「痛ェ……」


 問答無用で自らを吹き飛ばした相手に向かって、ヴェルは声を荒げた


「……んだよお前!」

 

 待っても来ない先任者といい、偶然遭遇した誘拐現場といい、巻き込まれて襲われたことといい、加えて現在進行形で訳もわからず攻撃されて。

 ヴェルの苛立ちは、既に沸点を優に超えていた。


 夜を背にこちらを窺う相手の顔は見えない。いくら光っているといえ、輪郭を浮かび上がらせる以上の光量はない。ただ、その浮かび上がるシルエットの華奢さから相手が女だということは把握ができた。


「あんたが言えた義理っすか」


 透き通る声と共に、女は抱えた少女をゆっくりと地面へと降ろす。どうやらさっきの男とはまた別口の相手らしい、明らかに少女に対する扱いが違う。

 燐光に縁取られたシルエットが、拳を構えるような動きをした。


「あんなに散々子どもを拐っておいて、いきなりも何もないっすよ!」

「は!?ちょっと待てよ、俺は───」


 その言葉で、彼女が何かを盛大に勘違いしている事は理解ができた。しかしヴェルが抗議の声を上げるよりも、女が足を踏み出す方が早い。


「はぁっ!」

「く……」


 相手の動きが速すぎて、僅かすぎる明かりがほぼ役に立たない。シルエットのゆらめきと、相手の気配だけがヴェルの取れる手段の決め手だった。

 右下方に感じる気配と地面を踏みしだく音。咄嗟に半身を仰け反らせば、耳元のすぐそばで空を切る音がした。そのままだったら顎を砕かれていたに違いない。


 しかし避けたことにより、相手は次の動作に移るまでの時間が生まれたことになる。その隙を逃さず、ヴェルは丁度自分の胸の高さくらいにあるだろう相手の顔面に向けて拳を叩き込んだ。


 ───正確には、叩き込もうとした。


「がッ……」


 それよりも先に、首に急激な絞扼感。立て続けに急激な浮遊感。

 叩きつけられる、と気付けたのは脳裏に姉の姿が()ぎったからだ。


 地面に吸い込まれる直前、無理やり体を捻って相手の力を利用する。そこは、男と女の単純な力量差だった。


 まさかヴェルが対処すると思ってなかったのだろう。倍加したトルクは女の体を振り回し、思わず緩んだ拘束は遠心力に負けて容易く外れた。

 ざざ、と靴底か何かに引き摺られた草の悲鳴。残念なことに、女は無事に受け身を取ったらしい。




 ───思い出す。


 長子争奪戦と銘打って、シリスとヴェルが定期的に開催する争いがある。勝った方が兄、もしくは姉という至極シンプルなものだ。


 それはときに簡単なゲームだったり、成績のだったり、はたまた生活力だったり……。競う内容は数あれど、ヴェルはその殆どをシリスに敗北している。故に、未だ彼は弟なのだが。


 閑話休題。

 その中で特にヴェルがシリスに勝てないことがある。

 男女の差はあれど、双子ゆえに能力は殆ど等しいといって過言はない。だが、体術面においては顕著な差があった。


 単純に、シリスはヴェルよりも強いのだ。勿論ヴェルの方が筋力は高いが、彼女は力の使い方をよく理解していた。

 自分より筋力の強い相手は、その力を敢えて利用して組み伏せてしまう。だから養成所の同期において、殊更格闘で彼女に勝てる者はいなかった。


 そんな姉と、前述の争いで取っ組み合いになったときによくしてやられた事があったのだ。


 下から蹴り上げたと思ったらその脚を首に巻き付け、避けた後のバランスを崩した身体を引き倒す戦法

 女が使ったのは、まさにそれと殆ど同じものだ。

 拳を構えたような動作だったので足技がくることを失念していた。


「……驚いた。抜けられるなんて思ってなかったのに」

「ぅ、げほっ、げほっ!」

「あんた───本当にさっきの誘拐犯っすか?」




 ようやく気付いたのかよ。


 女が何か勘違いをしていることは分かっていた。だから、そう肯定すればこの話はもう終わるはずだったのだ。しかし。


「っ……、……ぁ」


 声が、出ない。

 無理に締め付けを解いた弊害だろうか、喉は痛みを訴え掠れた音しか出ない。息苦しさもある。


「ダンマリ?肯定が否定かくらいしたらどうなんすか」

「……っ!」

「交渉の意思はないってことっすね?」


 無茶を言うなと、ヴェルは心の中だけで毒づいた。相手の攻撃でまさにいま喋れなくなっているのだ。

 女が再び地面を蹴る音がした。




 純粋に、女は強い。


 正直な話、体術だけでいえばヴェルは勝てる気がしなかった。だからといって剣を向けるのは躊躇われた。

 相手が女だからではない。自分を誘拐犯と言ったということは、相手側が先ほどの男の被害者である可能性が高いからだ。

 勘違いで攻撃を加えられてるとはいえ、相手の立場には一定の理解ができる。


 だからといって、馬鹿正直に拳だけで戦う気はヴェルにはなかった。



 女の気配が近付く。次なる手はわからないままだ。

 一際強い、踏み込みの音。

 その瞬間、ヴェルは固く目を閉じた。




「きゃ……───ッ!」


 悲鳴が漏れたのは、女の口からだった。


 閃光がヴェルと女の間に生まれる。

 光は瞬く間に弾け、拡がり、弱い燐光を飲み込んで周囲を灼いた。


 無論、直視していた女の目も同様だ。


 彼とて、リンデンベルグから帰還してから無為に日々を送っていただけではない。姉がかの町での反省を基に研鑽を積んだように、ヴェルも己の手数を増やす努力はしていたのだ。

 ただし姉ほど真面目に努力したわけではない。

 それにここ一週間ほどはずっと拗ねて引きこもってるだけだった。やったことといえば、ゲームくらいか。



 その成果が"これ"だ。


 光を生み出すだけの簡単な魔術。

 ヴェルの実力では持続する明かりを生み出すことはまだ出来ない。夜の森を照らすような手段としては全く役に立たなかった。


 しかし目眩しとしてなら。


 喉を痛めて詠唱もできない。魔力を練り上げる時間的猶予もない。威力の調整なんて以ての外で、狙った場所に発動出来ないリスクもある。半ば賭けではあったのだ。

 そしてヴェルはその賭けに勝った。




 相手の悲鳴と、瞼を貫く光の波が収まったのを確認してヴェルは目を開けた。


 瞼を貫いた光の強さからかなりの眩しさだったはずだ、直視したのであれば今すぐに動くことなんて出来るはずがない。


 強烈な光源は、幸いなことに仄かな残光を放ってから消えた。再びの宵闇に閉ざされる直前、薄く照らされた女は夜目に慣れた視界にもはっきりと映った。


 この間に相手を無力化すれば、ヴェルの勝ちだ。そのはずだったのだ。




「───」




 声が出なかった。

 喉を痛めたゆえの物理的理由ではない。息を呑んだ、まさにその表現が正しい。


 思わず動きを止めたヴェルを見逃す女ではなかった。

 眩んだまま焦点の合わない瞳を彷徨わせながらも、彼女はただ棒のように立ち尽くすヴェルに向かって飛びかかる。気配だけで距離を測ったのだろう、予想外に強い衝撃でヴェルは彼女と一緒くたに転がった。


 2人の体で散らされ、押し潰されたキノコから大量の胞子が舞う。


 踊る燐光。飛沫のように弾けたそれはヴェルに馬乗りになった女の顔を照らしてみせる。





「さぁ、観念して───」


 誂えたかのように、ヴェルの眼前で彼女の背後から久々に月が顔を出した。

 視力が戻ってきたのか、次はしっかりとヴェルを捉えた女の言葉が途中で途絶える。


挿絵(By みてみん)


 月光が、柔らかそうな栗毛を透かして毛先を黄金色に染め上げていた。

 大きく見開いた目が瞬きも忘れてヴェルを映している。長いまつ毛に縁取られ、淡い緑の光を反射する瞳は、夜の中にありながら朝焼けを宿した黎明の(いろ)

 見つめられるだけで燃えてしまいそうに熱く、力強く、それでいて恐ろしいまでに美しい瞳。


 月下に灯る、陽の光。朝と夜の狭間の空の色。

 残光に照らされたその瞬間から目を奪われ、それ故に動くことすら出来なかったのだ。




「───あ、えっと……」


 そして、女もまたヴェルを見つめて動けずにいた。困ったように視線だけは彷徨いかけながらも、すぐにヴェルと視線を交わす形に戻ってしまう。


 お互いに漂わせた敵意など、既に霧散していた。どちらも指先ひとつ動かさず妙な沈黙だけが数秒、数十秒と流れる。

 燐光はすでに色を失い、雲からしっかりと顔を出した月光が淡く周囲を照らす中、その沈黙を破ったのは泣き出しそうな少女の声だった。



「待って、お姉ちゃん!そのお兄ちゃんは違うの!」



 草をかき分けて走る足音。

 小さな影が女の腕に縋りつく。


 そこでようやく、誤解から生まれたこの騒動が終わりを告げたのだった。

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