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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
浮遊都市・ルフトヘイヴン
65/104

63.黄昏色の救い

 光は広がった瞬間の爆発的な勢いと打って変わって、静かに穏やかにその明度を下げていく。


「……やった、感じ?」

「みたいだな」




 ───最後の1匹を切り捨てた直後、アーリィの傍らに鳥の鏡像が居ることに気が付いた。

 今から走っても間に合わない。そんな絶望感がシリスの胸中を満たし、それでも走らずにはいられなかった。


 だが、あろうことかアーリィは鏡像に抱き付き、鏡像もそれを受け入れているように見えた。そして何が起こったか分からぬまま、ディクシアの声と共に光が周囲を覆って───




 そして、世界は緩やかに元の明度を取り戻していった。


 しっかりと像を結ぶ視界にもはや鏡像はいない。壁や地面の一部が欠け、空がそのまま見えるようになった空間にあるのは、静かに青く光を放つ巨大な浮遊石と、肩で息をするディクシア、何もない虚空を抱きしめたまま静止するアーリィ、そしてシリスとクロスタだけだった。


「……ごめん、肩借りていい?」

「あぁ」


 敵影がないことを認識すれば、シリスの足から一気に力が抜けそうになった。半ばダメ元で隣のクロスタに泣き付けば彼は一言だけで了承し、シリスの右腕を担ぐ。

 隣にいるのがディクシアでなくて良かった、と彼女は心から思った。彼ならば、この満身創痍の状態を見てもチクチクと小言を言っただろうから。身体中が痛いのに心まで痛くされては、たまったものではない。


 所々穴が空いて不安定な中、慎重に足場を選んで同じく満身創痍のディクシアの元へ向かった。


「もしかして、ディクがディランさんの代わりを?」

「ご明察だよ。こんなことまでするつもりはなかったんだけれど、他にどうしようもない状況だったからね。余計なことに首を突っ込んで、事をややこしくしたのを誰かさんは分かっているのやら」

「あは、はは……」


 やはり、ディクシアはディクシアだ。

 顔をあわせた途端、次々飛んでくる棘にシリスも苦笑いしか返せない。自身に責任のある自覚は持っているからだ。


「……報告の時は濁さず、正確に伝えるようにね。先輩のことも」

「……うん、分かってる」


 元を正せば、この状況はシリスがアーリィを手伝うと言ったことに始まる。レッセ自身が言っていたように、アーリィを手伝うのはシリスの独断であり責任なのだから、レッセがついて来たこと自体も彼女の責任である。しかし、仮にも守護者が1人失われたのだから、正しく経緯を説明することは必要だ。

 ディクシアも同様で、結局同行を選んだのが彼の責任といえ、巻き込まれた形なのだからもっと文句も出てくるだろう……と、シリスは思っていたのだが。


「僕は僕で正しく報告させてもらうから、誤魔化さないようにね」

「うん……………………うん?」


 頷いて粛々と次の言葉を待つ。

 けれどいつもならさらに飛んでくる言葉もなく、ディクシアは憮然とした顔で腕を組むだけだった。


「……なんだい?」

「え?え?それだけ?いつものディクならもっとチクチクした言葉でネチネチネチネチ責めてくるじゃん。……もしかして、君、ディクの鏡像だったりする?」

「守護者の鏡像が居るわけないだろう」

「あ、うん。真面目な反応ありがとう」


 とはいえ、調子が狂うのも事実だった。困った顔でシリスがクロスタを見れば、彼もまた憮然とした様子で顔を背ける。どうやら、そこは助け舟を出してくれる気はないらしい。


「まぁ、僕だって……そんな傷だらけの君に長々と説教する気なんてないよ」

「もしかして、気遣ってくれてる?」

「悪いかい?」


 口をへの字に曲げるディクシア。そんな表情さえ、顔の整った彼がすると絵になってしまうのだからシリスは思わず笑う。笑われた当の本人は更に表情を渋いものに変え、遂にはクロスタと同様にそっぽを向いてしまった。


「───悪かったよ」

「何が?」

「さっき怒鳴ってしまっただろう。その……」


 普段はっきりものいう彼には珍しく、モゴモゴときまり悪そうに口籠る。顔を逸らしたまま、表情は見えないながらもその口調は後悔が滲んでいるようだった。

 彼が言わんとすることに思い至り、シリスは「あぁ」と頷く。


 ……確かに傷付きはしたが、彼の苛立ちも予測できていたことだった。ディクシア元来の生真面目さと、感情で動くシリスの性格との相性が悪いのは薄々分かっていた事だ。いつか何処かで綻びが出る可能性も理解していた。

 それでも、そこを含めて今まで一緒に過ごしてきた仲なのだ。


「今までの中で1番痛かったかも。でも、別にディクの考えを変えようとは思わないよ」


 だからシリスは、眉尻を下げてへらりと笑う。


「でもあたしもこの性格直すつもりないし、友だち同士のよくある喧嘩っしょ。ここで一旦手打ちにしない?」

「……」

「それとも、もう友達やめちゃいたくなった?」

「いや、そんな事は」


 ディクシアが思わずシリスを振り返った。あまりに速い反応だったから、シリスは肩を震わせて小さく笑う。


「じゃあいいじゃん。また気が合わなかったら喧嘩して、仲直りしたりしてさ……何回かやってるうちにいい落とし所見つかるかもよ。だからほら、今回はここで仲直りって事で」


 ディクシアは無言だ。

 暫し沈黙が流れ、だがそれは長く続かなかった。


「……君みたいに気楽な性格なら、僕ももっと悩まないんだけどね。それは素直に羨ましいよ」

「これでも案外繊細なんだよ。あたし」


 まだぎこちないところはあれど、お互いを見つめて笑い合う。それだけで今は十分だった。


 ひとしきり小さな笑い声が2人の間で交わされた後、ディクシアは組んでいた腕を解いて自らの掌に視線を落とした。


「申し訳ないけど、さっきの力のコントロールで僕の魔力は空っぽだ。治療は戻ってから祭司長さまにでも頼んでくれ」

「……魔力切れって、帰りはどうするの?」

「クロに抱えてもらおうと思っていたけど……そういえば君も、貰った羽はどうしたんだい?」


 シリスに問われて、ディクシアも彼女の腰部分に巻いていたはずの羽がないことに気付いた。壊れた時点で怪我に配慮して置いて来てしまったが、持って帰るほうが良かったのかもしれない。部品だって、まだ何かに使えただろう。

 簡単に合流するまでの経緯と羽を置いてきた旨を伝えれば、ディクシアが呆れたように首を横に振った。


「仕方ない。ゲルダさんにもちゃんと謝るように。あとで僕のを渡すから、君は自分で飛んでくれ」

「はぁい……」

「クロ、いいかい?」

「構わない。ディクは軽いし」


 シリスにとってもディクシアにとっても、大変に遺憾の返答だった。


 そこでふと、シリスは合流までに拾ったロケットを取り出した。クロスタに断りを入れ、ゆっくりと手を離してもらう。やはりまだ痛む足や腹に呻き声が漏れそうになるが、こればかりは早く渡しておかねば、と体に鞭を打ってアーリィの元へ向かった。





 ───彼女は、泣き腫らした目のまま、ただ虚空を見つめていた。

 胸元や服、羽根の隙間に見えるキラキラ光る粒子は、きっと鏡像の残骸なのだろう。涙はすでに止まっているが鼻頭は赤く、キッカケさえあればまた直ぐにでも泣いてしまいそうな顔だ。

 それでも、言わねばならないだろう。もはやヴィクターがこの世にいないことは、アーリィだって十分に理解してしまっただろうから。


「アリィ───」

「……ねぇシリス、鏡像ってなんなんだろうね」


 彼女はシリスのほうを振り向いた。眉尻を下げ、眉間に皺を寄せたくしゃくしゃの顔で笑っている。


「偽物なんだよね?パパとは違うんだよね?」

「……そうだよ」

「でも、でもね、パパと同じ感触だったの。パパと同じ声をしてたの。パパと……パパと同じ……」


 そこで、限界がきてしまった。

 アーリィが声を詰まらせ、再び涙を溢れさせる。大声を出して泣くまいと嗚咽を殺す姿は、ただただシリスの胸を抉った。


 鏡像は、白の世界から放逐された負の感情の残骸だ。生み出した元の人格や記憶を模して、成り代わろうとする偽物だ。

 分かっている。分かっていた。けれどそれを今のアーリィに突き付けることは酷なのだ。彼女はこれで2度父親を失ったことになる。3度目を告げるだけの冷酷さを、シリスは持つことができなかった。


 シリスは少しの間だけ俯き、そして手に持っていたロケットをアーリィの翼の上に置いた。


「これ、は」

「さっきの通路に落ちてたの。ヴィクターさんのだよね」


 しゃくりあげながら見つめるアーリィの目の前で、ロケットの蓋を開いてやる。拾った時と同じ、セピア色の記録が彼女の目に飛び込んだことだろう。

 シリスは涙の止まらない彼女の視界を邪魔しないように抱きしめる。痛みなど、今は二の次だった。


「愛されてたんだよ、アリィ。鏡像が君を食べられないほど、愛されてたの」


 ヒト型でもない鏡像が、目の前のヒトを食べない心理なんて知る由もない。けれどいまアーリィに必要なのは理屈ではなく優しい憶測だ。

 心が癒された先で、いつかこの誤魔化しに気付くこともあるかもしれない。拾った状況を紐解いて、ヴィクターの直接的な死因はディランでなく鏡像だった可能性に思い至るかもしれない。

 願わくば、それらがアーリィにとって前向きになれる動機になるように。

 そう、シリスは願いながら泣きじゃくるアーリィを暫く抱きしめていた。









 ようやくアーリィの涙が止まり、2人は並んでディクシアとクロスタの待つ場所へと歩いて行く。

 彼らは先に浮遊石の前に立ち、大人しくアーリィが泣き止むのを待っていた。それくらいのデリカシーはあるらしい。


「脚元、気を付けてね。脆くなっちゃってるところもあるみたいだし」

「ふふ、気を付けるのはシリスのほうでしょう?ワタシは飛べるもん」

「そうだった」


 くすくすと笑い合って進む。談笑ができるくらいには、アーリィの精神は落ち着いているようだった。


「穴だらけになっちゃったね」

「でも、もしかしたら良いことかも。来年からはあの迷路みたいな通路を通らなくても、直接この場所に来れるから」


 確かにその通りだった。母なる島(エンブリオス)上空は浮遊石の干渉があるなど言われていたが、下を飛んできた際に障害になるものなどなかった。物は考えようなのである。


「じゃあ、新しい鏡を設置するね」


 辿り着いて直ぐ、アーリィは布袋を大事そうに掲げた。歌うように彼女が言葉を紡ぎ始めると、袋から溢れ出す光が徐々に見たことのある形を象っていく。


「落ちてった壁とか地面とか、大丈夫かな」

「まったく被害が出てない、なんて事はないかもしれないね。こればかりは戻ってから確かめないと」

「おい、気を付けろ。脆いぞ」


 クロスタに促され、シリスはディクシアと覗き込んでいた穴から少し距離を取った。儀式は念願の終わりを迎えるが、問題はまだまだ残っていそうだ。

 落ちてしまった岩壁や地面がヒトを巻き込んでいなければ良いが、今は願うことしかできない。


「いっ……」


 踏み出した足から腹にかけて痛みが走り、膝が折れそうになる。戦闘時の興奮も冷めてしまえば痛みは増す一方だ。兎にも角にも、ルフトヘイヴンへ戻れば先に治療を受けさせてもらおう、とシリスは心に決める。

 踏ん張りを聞かせるために逆の足を地面についたつもりだったが、そこでふと違和感に気付く。


「あ、れ」


 痛みでよろけたのだと思った。

 正確には痛み()あっただろう。されど、身に覚えのある違和感はそれが痛みだけに依るものではないと告げていた。


 体が軋んだ。

 耳鳴りが、する。

 目眩が、する。


 ぐわんぐわんと回り始めた視界が、急速にシリスの平衡感覚を奪っていく。頭からサァ、と血の気が引いていく感覚に吐き気がする。

 更によろめく。既に痛みなど、気にしているどころではなかった。


「ぅえ……」


 貧血を起こしたような感覚。確かに血を流しはしたものの、こうも急に重々しく襲ってくるものでもないだろう。

 それよりもシリスには明確な心当たりがあった。




 特定因子欠損症(ゲノムデフィエンシー)




 その発作が起こった時の症状に酷似していた。


「ど……して……」


 さっき起こった眩暈も血の気が引いた感覚も似ていたけれど、まさかと思って思考から可能性を取り去った。

 なぜなら、月一の薬はヴェルに指摘されて忘れずに飲んだはずだからだ。


 可笑しい、どうして、何故。


 視界だけでなく思考まで頭の中で回り始める。ポケットに入れてあるはずの予備薬を、とにかく飲まなくては。


「……シリス?」


 1番近くのディクシアが訝しげに振り返る。その声すら、今のシリスには耳鳴りでくぐもって聞こえた。



 気持ち悪い。



 口元を押さえて吐き気を堪え、ふらつく体を支えようとした足がもつれる。



「おいッ!?」


 遠くか近くか分からない所でクロスタの焦った声も聞こえた。だがシリスにそれを確認する余裕などもうない。



 もつれて着いた足の先に、地面はない。

 鳩尾を持ち上げられたかのような急激な浮遊感と、冷たい風が頬を打ちつける感触。


挿絵(By みてみん)


 あぁ、落ちたのか。と、妙に冷静な部分が結論を導き出した。




 まさか、落下で死ぬことになるとは夢にも思わなかった。否。底がない世界ということは、何処にもぶつからなければ死なずにただ落ち続けるのかもしれない。



 ヴェルは、大丈夫なのだろうか。自分と同じように飲んでいる薬だ、まさか同じように発作が起こっていたりしないだろうか。



 巡っていた思考も、失われる血の気で徐々に霞み始めた。目を開けているはずなのに、視野は端から暗くなっていく。






 落ちて、落ちて。





 ぷつりと意識が途絶える直前、シリスが視界に捉えたのは鮮烈に色付く夕日色だった。

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