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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
浮遊都市・ルフトヘイヴン
64/136

62.親子の記憶

 アーリィは悔いていた。

 何もできない自分を悔いていた。


「あ、シリ……」


 自分を庇ったせいで、優しくしてくれた彼女が食べられてしまった。


 自分が連れてきた所為で。

 自分が我儘を言った所為で。


 レッセに嫌味を言われたことも、ディランが劣等感を抱いていたことも、ヴィクターが死んだことも。


 全部、全部、全部、自分の所為だ。


「あ、あああああ……」


 翼で体を覆うように抱え込む。

 後悔が、憤りが、情けなさが、アーリィの胸の内で渦巻いて今にも張り裂けそうなほど暴れ出す。


 シリスを取り巻く黒い塊から、鏡像が一匹這い出てきた。蛇の形を模したそれは、呆然と動けないアーリィを見付けると舌舐めずりをしながら迫って来る。




「……食べられちゃったら、楽なのかな」


 不意に、そんな言葉が口を突いて出た。

 

 心のどこかでは覚悟していた父の死が現実となり、家族として愛情を持っていた従兄には密かに厭われ、新たにできた友人も失った。


 何故、自分はここに来てしまったのだろう?

 目的の父はもはやおらず、お荷物にしかなれないのに?

 短時間で打ちのめされ瓦解寸前の心が、体から動く気力を奪う。


 大きく開いた蛇の口は、深淵よりも昏かった。






「おい、ふざけるなよ」


 アーリィの頬を風が打った。

 蹴り抜かれた足が起こした風圧だと気が付いたのは、至近距離で聞こえた銃声に意識が引き戻された時だ。


 彼女に飛び掛かろうとした鏡像は加減のない蹴りによって後方へ吹き飛び、地に落ちる前に弾に貫かれて絶命する。

 呆気に取られて見上げれば、クロスタが冷ややかな目をしてアーリィを見下ろしていた。


「着いて行くと言ったが巻き込んだのはお前だろ。逃げるな」

「だ、だって……!!」


 遠慮も配慮もなく突き付けられた正論にたじろぐ。彼の言っている事はおかしくもなんともないけれど、かと言って素直に受け入れられるのは真に強いヒトだけだ。自分にはその強さがないのだと、アーリィは十分に理解していた。

 泣きたくないのに、涙が滲む。反論したいのに、締め付けられた喉からは嗚咽混じりの音しか出ない。


「わた、ワタシ、そんな強く……っ!今も、お荷物で……!」


 だったら、せめて邪魔にならないようにと願ったことの何が悪いのか。通路のどこかに鏡像が居るかもしれないという懸念がある以上、1人で先に逃げることすら叶わない。

 ボロボロ涙を溢すアーリィを見て、クロスタが渋い顔をして目を逸らした。


「くそっ……、こういうのはあいつの専門だろうが」


 彼が何かを呟いたが、小さすぎる声は自らの嗚咽に掻き消されてアーリィには届かない。

 強く眉間を揉んだクロスタが、サッとアーリィの前に膝をついて目線を合わせた。


「見ろ」


 そういえば、彼の目を真正面から見たのは初めてだ、とアーリィは涙で濡れた瞳を向ける。

 鳶の色だ。シリスの翡翠やディクシアの空色と違って派手さはなく、2人と並べば地味な色にも見えるだろう。けれど、大空を悠々と舞う鳥の色を宿したその瞳はとても深く、目を離せない鋭さがあった。


「俺じゃない。あいつだ」

「えっ、あっ」

「生きてる」


 言われて、アーリィは弾かれたようにシリスの居た方向を見る。変わらず黒い塊は蠢いているが、隙間からは時折赤い閃きが覗いた。


「簡潔に言うぞ」


 あっ、と歓喜の声をあげそうになる前に、クロスタがその声を遮る。


「やる筈だった事を遂行しろ。ディクがあの男の代わりをしてる」


 伸ばされた指先が示すのは、空色の瞳の麗人。彼の周りでは浮遊石から溢れた光が渦巻き、風もないのに細い髪を暴れさせていた。

 まさか、祭司でもない彼が正しく力の解放を行おうというのか。

 アーリィの不安を見透かしたかのようにクロスタは続ける。


「あいつならやれる。お前は自分のすべき事をしろ」

「ワタシのすべき───」

「任せる」


 言うが早いか、本当に簡潔な言葉だけを告げてクロスタは立ち上がった。彼はアーリィを振り返ることもなく、鏡像の元へと駆けていく。


 首に下げていた布袋が、途端にずしりと重みを増した気がした。



「ワタシのすべき、こと」



 強張った膝を叱咤し立ち上がる。開いた金の瞳に迷いはない。

 光の流れを追って大きく翼を羽ばたかせた。後方で銃声が聞こえたが、アーリィはもう振り返らない。


 生まれてから一度も出したことがないほどのスピードで風を切る。飛行大会ですら、これほどの速さを出した事はなかった。


 早く、もっと早く。





─── またパパに負けたぁ!なんでそんなに速いの!?

───はは、そりゃあパパはパパだからね。

───理由になってない!!

───大丈夫だよアリィ。キミは優しいから、いつかパパよりも高く、速く飛べる日がくるだろうさ。

───優しさなんて関係ないでしょ……

───あるともさ、何かのために飛んだほうが張り合いが出るから当たり前だろう?……パパ?パパはアーリィのために飛んでるから速いのさ。

───ワタシの、ため?

───そうさ。速くて、みんなに一目置かれるパパだと格好いいだろう?




 しょうもない理屈で、アーリィを呆れさせた父・ヴィクターの言葉が蘇る。その頃は正直、父の言っている言葉はただの冗談だと思っていた。

 しかし今ならわかる。


 自分は父親の汚名を注ぐために。浮遊石の力を再び取り戻して平和なルフトヘイヴンを取り戻すために。ひいてはゲルダの羽がこの儀式を成功させた一助だと世界に知らしめ、有翼種と無翼種の溝を少しでも埋めるために。


 その為に、ここへ来て儀式を成功させると誓ったのだ。だから、今度こそ失敗させるわけにはいかない。


 何かのため。そう強く思えば、翼がさらに軽くなった気がした。


 視界の端に、眩しい光が差した。

 重たい音を立てながら、壁の一部が地面を巻き込んで落ちていく。渦巻く力の圧に、とうとう空間自体が耐えられなくなってきたのだ。


 急がなければ。ディクシアを、止めるわけにはいかない。


 自分でも目を回しそうなスピードで突き進んだアーリィは、横目で黒い体躯を流し見る。最初こそ恐るべき速度だと思ったが、今のアーリィは弾丸のように突き進む"それ"よりももっと速い。


 ディクシアが驚いた表情をしていた。彼に背を向ける形で、翼を大きく広げて止まる。




「やめて、()()!!!!」




 さてこそ、その声は聞き逃せなかったのだ。


 まだ命尽きていなかった鳥の鏡像は、突如として眼前に立ち塞がったアーリィに反応を示した。

 そのままであれば、ディクシアを弾き飛ばしていたであろう巨体。翼の羽ばたく勢いだけで突撃していた体は急な静止に耐えられずに傾ぐ。失った脚では踏ん張ることも出来ず、胴体だけが土埃を上げながら地を滑り───アーリィのすぐ傍で止まった。


 横倒れになったまま首をもたげ、無数の瞳が困惑したように彼女を映している。


「あぁア"ああァ"リ"ぃい"ィ……」

「……ごめんなさい。もしかしたら、()()()はパパと呼ばれるのは嫌かもしれないけど」


 アーリィが一歩近付く。


「アーリィさ───っく……!」


 ディクシアが慌ててその行動を止めようとするが、気を抜こうとした途端に彼の杖先がブレて光が一気に弾けようとする。集中を途切れさせるのは、無理なのだろう。

 アーリィは微笑んで首を横に振った。


「あ"ぁあリィい"い"」

「動かないで。もう翼だってボロボロじゃない」

「あぁあア、ぁエ、ェエえ」

「……食べたいんだね、憎いんだよね。ワタシがパパの娘だから」


 禿げた羽毛から覗く皮膚はズタズタで、鏡像が身を捩るたびに血が溢れ出す。ぱきぱき、と全身から細かなヒビが入る音がする。その巨体は既に、脚元から瓦解を始めていた。

 嘴からも言葉と共に吐き散らされる、赤。細かな飛沫を受けながら、アーリィは浮かべた微笑みを崩さずさらに一歩鏡像に近づいた。


「でも、もう少し待って。だって、ワタシを食べちゃったら次はディクシアさんに行っちゃうでしょ?」

「あ"あリィい"ィ!ア"ああァ"リ"ぃい"ィ!!」


 とうとう、目と鼻の距離まで到達する。体が動かずとも、鏡像が首を動かせばすぐにでもその嘴でアーリィを貫き、()み、飲み込める位置だ。


「お願い。あなたがパパの鏡像なら、この儀式が大事だってことは分かってくれるでしょ?」

「アァァぁ……」


 伝わっているのか、全く疎通出来ていないのか。

 鏡像が何を考えているのかは分からない。嘴をガチガチと鳴らして今にもアーリィに喰らい付こうとする様子を見せる反面、いつまで経っても彼女に攻撃を加える様子は見せない。

 無言で見つめ合い、地鳴りと嘴の音だけが聞こえる。忙しなく幾つもの眼球がゾロゾロと動く中、彼女はそっと翼を伸ばし───。



 抱きかかえるように、羽毛に顔を埋めた。


「パパと、同じ感触だぁ……」


 愛おしそうに、鼻声混じりに。

 アーリィの呟きに鏡像の動きが止まった。


 記憶の中の色とは全く違う、温度もない、姿形だって面影なんてない。それでも───確かにアーリィの記憶の中のヴィクターは、同じ肌触りの翼を持っていた。

 母がいなくなった時に背中をさすってくれた翼の感触。

 もう遠くなった、抱きしめられた時の感触。

 会えなくなって一年。アーリィの記憶は、父の翼を忘れてはいなかった。


 鏡像が、震える。




「ア、ぁ……あ"……───ア、リィ」




 それは、不明瞭だった音が確かに鮮やかに聞こえた瞬間だった。


 アーリィが目を見開く。

 丸々とした金の瞳が、目の前に存在する複数の眼のひとつとかち合う。彼女と同じ色の瞳が、鏡像とは思えないほどに優しく細められていた。



「わら……、て、ボク……の、む、すめ」



 くしゃり、と涙にまみれた顔でアーリィは笑った。


「うん」



 鏡像が、そのすべての瞳を閉じた。



挿絵(By みてみん)



 壁が、地面が、大きく砕けていく音がする。

 ディクシアが両手で握りしめた杖を振り上げた。


「これで……っ!これで、広がれぇえええ!!」



 石突が強く強く地面を叩いた。

 その瞬間、光が膨れ上がり弾け飛び広がり、世界は瞬く間に青い本流に飲み込まれた。

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