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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
浮遊都市・ルフトヘイヴン
63/136

61.蛇に噛まれても朽ち縄に怖じず

 鏡像がアーリィの名を口にした時、シリスの脳裏をよぎったのはある男の叫びだった。


───私は偽物じゃない!!

─── 私が私で……本物で、あるためにィイ!


 ……鏡像とは白の世界で行き場を無くし、棄てられ、黒の世界に落とされた負の感情から生まれた心の残骸だ。

 だから、たとえあの鏡像がアーリィの名を呼んだとしても───アーリィの父親の感情の成れの果てだったとしても、それは決して本人ではないのだ。


 それはシリスも十分理解している、はずなのに。


「そりゃ、ディクも怒るよね」


 養成所で口酸っぱく言われた"常識"。

 惑わされるべからず。

 何度だって復唱させられた基本的な概念だ。それを、今になって胸のつっかえにするなんて馬鹿げている。シリスだって、分かっているのだ。


 頭の中で反省を繰り返しながらアーリィの元へ辿り着く。座り込む彼女は戸惑う様子で走り抜けていった鏡像を見つめていた。


「アリィ、大丈夫?」

「ね、ねぇ、さっきあの鏡像、ワタシの事を呼んでなかった?」

「……気のせいだよ。鳴き声の発音が近かったんだって、きっと」


 アーリィは納得しきっていない様子だったが、すでに脳のキャパシティが追いついていないのだろう。細かく何度も頷き、差し出されたシリスの手を取った。


「ワタシ……ワタシが避けちゃったから、鏡が……」

「アリィが気に病むことじゃないよ。すぐに無力化できなかったあたしが悪いんだから」

「そんなこと……っ!」

「避けなきゃ怪我で済まなかったかもしれない。無事でよかった」


 心からそう言えば、アーリィの顔がくしゃりと歪んだ。大きな目にみるみる涙が溜まっていく。

 彼女を少しでも、鏡像の目から離さなければ。あの鏡像がヴィクターから生まれたものであってもそうでなくても、彼女を目指したのは間違いないのだから。

 何処か、少しでも目につきにくい場所を。


 振り返り周囲の状況を把握しようとした時、シリスたちの足元で地面が揺れた。



 ───シリスの"勘"というのは良く当たるのだ。特に、幸か不幸か身の危険が迫る瞬間には。

 明らかに先ほどまでと違う揺れに、その"勘"が告げた。


 アーリィをこの場から引き離せ、と。


 立ち上がったばかりで不安定な体を力の限り押す。驚愕に見開かれる金の瞳が見えた。


 視界に色があったのはそこまでだった。


「きゃぁああああ!!」


 アーリィの悲鳴を遮って、地面から飛び出した黒に世界が一瞬にして覆われた。咄嗟に手を交差して首だけでも庇う。

 焼けつく痛みが太腿と腹部に走った。


「う、ぐ!」


 噛みつかれたとシリスが認識するまでに時間はかからなかった。鈍痛を感じて重くなった体に鞭打って、左手を振るった。

 赤い粒子が一瞬にして刀身を形成する。腹部に噛み付いていた蛇の首はそれだけで切り落とすに至ったが、太腿の蛇はそのまま。嘲笑うかのようにさらに牙が喰い込む。


「こんな硬い地面に潜ってたワケ……ッ?腹立つ!」


 ひとつの塊として集うからか、空いた隙間からちらちらと光が漏れ入る事もあるが、基本的には視界は暗く、悪い。そんな中でも赫い瞳だけは憎らしいことによく映える。

 だからこそ、シリスを喰らおうと口を寄せる鏡像(へび)の姿は明確に捉えることができた。


 刃を振るう。手応えは確かにあるものの、しなやかな胴体や滑るウロコとの相性は最悪だ。視界が悪いのも相まって、数を斬るには至らない。思った以上に蛇の数は多かった。


「近いっての、こいつ……!」


 そしてこれだけ近接で囲まれるとシリスにとっては相性が悪かった。彼女の大剣は制圧力こそあれど、細かい操作には向いていない。

 小さな隙間を見つけては噛み付く蛇を何度も振るい散らすものの、痛みの箇所は時間を追うごとに増す一方だ。

 暫くの攻防が続いた頃、振り抜いた腕にぬるり、と弾力のある冷たさが這う。気持ちの悪い感触に全身が総毛だった。


「───いッ」


 二の腕に深々突き立てられた牙にとうとう苦悶の声が漏れる。武器だけは意地でも手放さなかったが、折れそうなほど強い締め付けは利き手の自由を奪い取るには充分だった。

 武器に意識を取られた一瞬の隙をついて、また別の蛇が次は右腕に絡みつく。肉ごと持っていかれそうな痛みに骨も悲鳴を上げ始めた。


挿絵(By みてみん)


 とにかく、拘束を解かねば満足に武器も振るえない。自分も焦げてしまう可能性はあるが、ディクシアがいるので死ぬことはないはずだ。これだけ集まっていればさぞかし効くのではないか。


「こ、の……爆ぜ(ファイア)───」




 放とうとした魔術が形となる直前、不意に視界がぐらりと揺れた。



 血の気が一気になくなったと同時、せり上がってくる吐き気に思わず詠唱を止めてしまう。


 牙に毒でも含まれていたのだろうか。しかし、体が軋み胸まで締め付けられるようなその感覚にシリスは覚えがあった。


 抵抗が止まった途端、首を一周する冷たい感触。




 やばい、と思った時にはすでに遅かった。




 締まり始める蛇の胴に、ただでさえ血の気の引いた頭は一瞬で酸素を求めて警鐘を鳴らす。


「───」


 空気の通らない喉では悲鳴すら上がらない。

 次第にちかちか明滅し始める視界の真正面で、大口を開ける蛇の姿が見えた。



 どうしよう、ヴェルに怒られてしまう。


 シリスが死んだら枕元に化けて出てやる、と頓珍漢なことも言っていたはずだ。家族が好きな弟のことだから、泣いてしまうかもしれない。そういえばここ数年、泣いてる姿なんて見たことなかった気がする。



 霞み始めた思考の中で、幼い頃の片割れが泣いていた。





「少しくらい焦げても許せよ!」


 世界が刹那に白く染まった。


 爆音とともに肌を刺す熱が体を包み、絡みついていた蛇の鏡像たちも驚いたのか一斉に力を緩める。


 ぐん、と右手首を強く引かれシリスの体が前に傾ぐ。勢いのまま倒れ込んだ体は、しかしながら硬いけれど地面でもないモノにぶつかった。その衝撃で、脳が送った指令がようやくシリスの肺を動かす。




「───ッはあっ!はぁ!」


 一気に取り込まれた空気に咽せそうになりながら、血の通い始めた頭でようやく状況を飲み込むことができた。


「くろ……」


 ぶつかったのはクロスタで、どうやら彼に救われたようだ。まだ脱力感でいっぱいだが、抱えられた体から僅かに焼けたにおいがする。爆破なんかの魔術を込めた弾丸でも使ったのだろう。

 動かしにくい喉でなんとか名を呼ぶが、彼は険しい顔をして銃を撃ち続けるのみで返事をしない。


「クロ、ねぇ。クロ」

「……」

「クロスタ!」


 無理に大声を出したからか2、3度咳き込む。だが、それが功を奏したのかクロスタがびくりと肩を震わせてシリスの顔を覗き込んだ。


「……生きてるな」

「情けないけど、なんとか」


 自身の不甲斐なさを恥じてシリスはへらり、と笑った。ようやく鏡像からクロスタの意識が逸れたことに安堵しながら、彼の眉間に刻まれた皺に気付いて笑みが引き攣る。


「…………申し訳ない」

「分かってるなら、勢いで動くのを治せ」

「それは無理」


 即答されたクロスタの眉間に皺が深くなった。

 会話の最中に再び鳴り始めた銃声は止まることを知らず、生じた小規模な爆炎が黒を弾けさせていた。


「そんなに撃って大丈夫?高いんでしょ」

「ケチってどうする」


 確かにクロスタの言うとおりではある。けれど、友人の懐事情はシリスにとって一応配慮すべき扱いの話でもある。そんな事を思い浮かべるほど、余裕が出てきたという証拠でもあった。

 呼吸はもう落ち着いている。締め付けられた首や腕は痛みを訴え、噛まれた部分などは未だに血を流しているものの動けないほどではなかった。



 しくじった原因の、あの感覚は既に消えている。引っ掛かることはあるが、動けるならば考えるのなんて二の次だ。



「あたしもやる。それに、下ろしてくれた方が動きやすいっしょ?」


 ただ立って狙い撃てばいいというほど、鏡像も馬鹿ではない。さすがはケモノ型への成長もあるのか、蛇たちは数を減らしながらも散らばって迫ってきていた。その度にクロスタはシリスを抱えながら攻撃を避けての移動を繰り返している。

 ディクシアを抱えていた時と同じく顔色ひとつ変えてはいないが、悲しいかな、彼よりは自分が重い自覚がシリスにはあった。


「馬鹿言うな。どの口が」

「この口が言ってんの。そもそも、残弾数が心許ないでしょ?さっきよりも撃つ感覚が開いてるし、タイミングも慎重に狙ってるし」

「……」

「ほらね、図星」


 黙り込んだ彼は、シリスと目を合わさない。それが暗にシリスの予想が正しいのだと語っていると言うのに。


「アリィは護る対象だけど、クロはあたしたちと一緒に戦う仲じゃん。だから、身代わりに飛び込んで〜みたいなことは滅多にないって。さっきみたいな心配要らないよ」

「……得意の屁理屈か?」

「屁理屈上等。クロがピンチにならなきゃいい話だからさ、ね?鏡像の残りも少ないし」


 意地の悪さを込めてそう言えば、少しの沈黙のあと長い長い溜息が返ってきた。


「言っても無駄だな」

「そういうこと」


 首肯後も、無言の逡巡。暫しの沈黙を経て、クロスタはシリスをゆっくり下ろした。

 地に足をついた瞬間、咬傷の残る太腿に刺すような痛みが走る。ひとつ深呼吸、頭をクリアにして痛みを思考から除外する。完全に痛みを無くすことはできなくても、動けるようになればそれで十分だった。


「あと2……6……14匹くらい?」


 発砲音。


「13」

「だから、もう勿体無いんだから実弾やめときなっての」


 油断したことが悪手だったが、集団で自由さえ奪われなければ恐れることなど何もなかった。それに、今は頼もしいサポートもいる。


「人のことがぶがぶ噛んでくれてさぁ。お返し、倍で済むと思わないでよね」


 クロスタがマガジンを取り出す音。それを合図に、シリスは再び左手に赤を携えた。

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