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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
浮遊都市・ルフトヘイヴン
61/104

59.砕けて散らばる

「とは言ったものの───」


 結界が消失すると同時、脚の後ろに回り込み一閃。


 この一撃で倒せるなんて自惚れは持っていない。しかしシリスよりも後衛に向かってもいけない。

 だから敢えて自身に意識を向けさせるために、まずは浅い斬撃で鏡像の怒りを誘った。シリスの目論見通りに注意はこちらに向くが、思った以上に傷は浅い。




 ヒト型を相手取った事もある彼女が、ケモノ型を悠々と相手にできるかといえばそんなことはない。エミリオを相手にしたときは運と要素が絡み合い辛くも勝利したが、そもそもトドメを刺したのはヴァーストだ。片割れと力を合わせたとて、彼の助けがなければ生きていたかはわからない。

 まだ記憶に新しい養成所時代……モヤ型であれば、戦闘経験のため大人が捕えてきたものと何度も戦ったことはある。だが、ケモノ型となれば話は別だ。少なくともモヤ型よりは知性も力もある相手を生け捕りにできることのほうが少ない。


 トカゲのケモノ型を倒したのも運の要素があったといえる。大きさが鏡像の強さに直結するわけではないが、図体が巨大であればあるほどシリスが与えられる損傷の割合も減るのだ。それに、速さも力もあれより格段に違う。


「ほら、こっち来てみなよ!」


 たきつけるように声を張れば、怒りを宿した大小の瞳がシリスを捉えた。一斉に集中する複数の視線に一瞬背筋に悪寒が走るが、そんな感覚は無理矢理に振り払う。

 頭だけではだめだ、尾の方の注意も引かなければ。


「───爆ぜろ(フレイムクラック)!」


 小規模の爆発が、幾匹もの蛇を束ねる尾の付け根に生じる。

 詠唱もない、刹那に組み上げた魔術。だがシリスもリンデンベルグより帰還してから、ただのんびり生活していただけではない。威力の調整はまだ利かせづらくとも、狙った場所へ術を行使するための研鑽は積んだつもりである。

 その結果が、今だ。


「エ"エェええあアああ"あ"ア"ア!!」

「うるさ……!」


 悲鳴。


 まさに鳥のようなけたたましい声がシリスの鼓膜を貫いた。鏡像を挟んで反対側ではディクシアたちも顔を顰めている。

 はたして目論見は成功のようだった。尾を弾けさせるほどの威力はなく、損傷を与えたのは表皮のみ。いまだに蛇はうねうねと蠢いているが、その赫い瞳はほとんどが頭と同じくシリスを睨めつけていた。


「怒るよね、そりゃ。ま、それ狙ってんだけど」


 大きく威嚇の鳴き声を上げながら、鏡像が地を蹴る。鈍重にも見える体躯は、しかし体格に見合う脚の筋肉により思った以上に速度を持って迫った。

 そのままであれば鏡像の大きさの半分もないシリスは易々踏みつぶされるか、吹き飛ばされるのは目に見えている。アーリィのか細い悲鳴が届いた気がしたが、シリスはそれでも立ち尽くしたまま───。


「跳べ!」

「待ってた!」


 肉色の脚が触れる直前、クロスタの声に応えてシリスは大きく上に跳んだ。

 その足元で空気が爆ぜる。生じた衝撃を()()()、シリスの体は鏡像よりも高くに打ちあがった。


挿絵(By みてみん)


 眼下にはシリスがいなくなったことにも気付かず、走り抜ける鳥の頭と体。

 後方にあるためか、いち早く状況を察知して頭を引き止める蛇の尾。

 無事に鏡像との距離が開き、何かを唱え始めているディクシアと銃を構えたクロスタ。彼の放った弾丸が今の足場を作り出したのだろう。全くタイミングを図るのが上手い、とシリスは1人上空で笑う。

 

 不思議だ。ディランは裏切りレッセは食われ、化け物じみた見た目の鏡像を相手にしているというのに思わず笑みが出るなんて。

 けれど、友人の姿に安心感を覚えている時ではない。


「やっぱ、体の主導権は頭にあるんだね」


 そんなどうでもいい気づきを呟きながら、シリスは剣柄を両手で握り込んだ。

 重力に従い自由落下する体。掲げた(きっさき)は加速度を乗せて徐々に鋭い一撃となる。


 ハッとした様子で鳥の頭がシリスを見上げた。

 刃が届くまであと、少し。

 いま鏡像が走り出せば、鋒が届くまで間に合わない。


「ックロスタぁあああ!!!」


 シリスが叫ぶ。

 返事は、ひとつの発砲音。


 惜しみなく放たれた実弾は、踏み込みかけた鏡像の右太腿を大きく削った。逃げられなかった体に、赤い軌跡が深々と突き刺さる。

 だが、


「くっそ、しくった……!」


 シリスが狙ったのは翼と翼の間、胴体の中心に位置する場所だ。しかし殺すことのできなかった勢いは、鏡像の体を僅かに前へ押しやる。───ほんの少しズレた狙いは、心臓を貫く代わりに尾と胴体の境目を断ち切った。


 無臭の赤が舞う。

 重たい音を立てて落ちる、蛇の尾。

 大気を震わす絶叫。


 ビリビリと鼓膜を突き破らんとする音の衝撃は、頭の芯に届きシリスの視界まで揺らす。脳が細かく震える感覚に、思わず吐き気まで込み上げた。


「う、くっ……」

「シリス!!」


 クロスタの声で、鏡像が引き千切れそうな右脚を振りかぶったのが見えた。

 頭の奥が痺れて腕が重い。受けるも躱すも間に合わない。


「"奏で、踊れ、凍てつく氷精。その調べが(しるべ)となり、その足跡が永久(とこしえ)を縛る鎖となる"」


 振り下ろされかけた脚に白い粒子が纏わり付く。

 それは、霜だ。踊るように、戯れるように、弾けた傷口から流れる赤黒い"血"までが絡みつく白に侵食される。


氷結(アイシクル)!」


 朗々と張り上げた声が途絶えるより先に、霜が一瞬にして凍りついた。氷結は脚だけにとどまらず、鏡像の胴にまで侵食する。

 動きは完全に、止まった。


「今だよ!!」


 ディクシアの落ち着いたテノールは、痺れたシリスの脳内にもクリアに届いた。


 緩みかけた両手に指令を送る。

 「剣を握れ」と。


「っぁああああ!!」


 (たけ)り声のままに振り抜いた。

 斜め一文字に(はし)った軌跡が動きを封じる氷塊を砕きながら、それに覆われた両脚ともを断ち割る。

 鏡像の巨体が大きな音を立てて倒れ込んだ。


「……はぁ、さすが……ディク……」

「無事かい!?」

「耳が痛い、けど……。まあ、なんとか」


 投げかけられる問いに、シリスは息も荒く返す。声を張り上げてでも返事をする余裕はまだ、なかった。

 脳を揺らされた余韻が、思ったよりも残っている。


「きもちわる……」


 込み上げるものはあるが、なけなしの乙女心で飲み込んだ。駆け寄ってくる足音を耳で捉えながら、シリスは剣を支えに鏡像へと近付く。

 残念だが、脚と尾を切り落としたくらいでは死んでないだろうという予想は当たっていた。胴も凍り付き翼も満足に動かせてはいないものの、複数の瞳は依然としてぎょろぎょろと忙しなく動いて近付くシリスの姿を認めた。


「ぁ……あ"、あ、アえ」

「みんなが追いつく前に、楽にしてあげる」

「ア"ァ"ぁ……ぃ……!」

「動かないでよ。クロが来ちゃったらあんたの目を丁寧にひとつずつ潰すとかやりかねないし、そんなの嫌っしょ?」


 先程の絶叫で潰れたのか、嘴から漏れる鏡像の声は掠てしまっている。付け根が固まった翼を無理に動かそうとする姿は哀れにも見えたが、情けをかけてもいい相手ではなかった。

 それに、いまの状態でクロスタに近付けるのも憚られる。

 護るべき対象がいて友人との共闘を優先できる理性を持っている状態ならまだしも、もはや戦いの余韻しか残っていない今……鏡像を嫌う彼がどう出るかわからない。彼に嬲り殺しの趣味がないことは知っているが、憎しみをぶつける相手が転がっているとなれば話は別である。


 シリスが己が武器を高く振り翳した。


「ぁ"……ぃい"……」

「大丈夫。ちゃんと一撃で───」

「あぃ……い"ぃ……



あ、り"ィ……」


 翡翠が、揺れた。


「あぁ"アあ"ぁ"ァア"り"い"ぃ"イイィイ"!!」


 掠れていたはずの喉で搾り出す音は、明確な名前となって響き渡った。重く嫌な音を立てて軋んでも無理矢理に翼を動かし、鏡像が身を起こす。

 血走る瞳。それが捉えたのは、言いつけを守ってディクシアたちに付いて飛んでくるアーリィの姿。


「───ワ、タシ?」


 音の羅列だと言われればそうだろう。しかし明確に彼女だけを見つめる瞳が、それがただの音ではなく彼女の名だと物語っている。


 鏡像が大きく翼をはためかす。動くたびにごきごきと、付け根の氷塊が羽毛と肉ごと剥がれ落ちる。

 どこにそんな気力が残っていたのかと疑うほど、鏡像がアーリィに向かって勢い良く突進した。


「ひっ……!」


 自分めがけて飛んでくる黒い塊を、アーリィは迷わず身を捩って避けた。それは当たり前の行動だったが、悔やむべきは鏡像の機動力を全て削がなかったことだろうか。


 クロスタが咄嗟に撃つ。しかし、鏡像を止めるには至らない。

 体格に見合った質量が衝突する───無防備に設置されていた鏡に。


 声を上げたのは誰か。


 まるで魔術を使ったかのようにゆっくり流れる時間の中で氷塊が砕けた時よりも高く、澄み渡った音が木霊した。


「……不味いな」


 ディクシアの苦々しい呟きが終わると同時に、大地が揺れた。

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