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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
始まりの町:リンデンベルグ
33/104

閑話 - 親しき仲にも礼儀、あったりなかったり-

 朝方までは何もなかったはずの卓上は、賑やかな饗宴の舞台に変わっていた。


 クロスタは(とび)色の瞳を細めて目の前の騒ぎを眺めていた。

 どうせみんなここに集まると予想は出来ていたのだ。一人暮らしを始めたにしては大きい机を買ってしまったとは思っていたが、彼の判断は間違いではなかった。


「それ、え、本気で言ってる?」

「大真面目だって。そんなんでぴょこぴょこ跳ね回ってさぁ」

「だーーっははは!!」


 ヴェルの返答に、アステルが仰け反りながら机をバンバンと叩く。

 随分と酒が回っているようだ。新緑をそのまま取り付けたようなボリュームある髪の隙間から、赤らんだ顔が見えている。グラスに残ったエールをぐいと飲み干すと、アステルは隣席のシリスの肩に腕をかけ、にやにやと悪戯っぽい顔でヴェルに続きを促した。


「で、誰も治癒術使えなかったなら、どうやって腕を固定したんだ?」

「グレゴリーさんのシャツひん剥いてた」

「あああ無理!!おっもしろーー!!」


 耳の横で盛大に笑われて、当のシリスはクロスタが見たことも無い様な、絶妙に嫌気と羞恥と後悔と殺意が混じった表情を浮かべていた。……あの熊みたいな座学指導員のシャツをひん剥いて、骨折の固定に使った───という言葉にクロスタの口元も少し歪んだのは秘密だ。


「アス、笑うな。黙れ。酒臭い。息しないで」

「だってお前、(たくま)しすぎな!結局そのまま鏡像倒して回ったってことだろ?」

「ありえねえよな、(おれ)の気も知らないでさあ?腕使い物にならなくなったらどうすんだって話だよ!?」

「いやいや、こいつなら両腕使えなくても頭突きとかで蹴散すよ、きっと」


 流石俺たちの中で1番イノシシなだけあるな。


 そう言ってアステルがシリスの頭をぐしゃぐしゃに掻き混ぜれば、乱れた髪の隙間から寒気を感じるほどの視線がアステルを射抜いている。

 だが酒も入って上機嫌の彼はそれに気付かない。


「アス、そろそろ水」

「さんきゅクロちゃ〜ん」

「ちゃん言うな」


 クロスタが目の前に差し出した水を、ものの一息で飲み干すアステル。これで少しは落ち着くか?と思われたが、アステルの向かい側に座るヴェルが彼の間グラスにエールを追加した。

 ヴェルの顔にもほんのりと朱が差し、目は僅かに据わっている。


「……悪い。買い過ぎたか」

「クロは悪くない。たくさん買おうって最初に言ったのも、ガブガブ飲んでるのもそこの愚弟」


シリスは大きくため息をついて髪に手をやった。長い睫毛が細かく震えていて、瞼が痙攣しているのがよくわかる。

(こら)えているのだろう、色々と。



 ───幼馴染の彼らは、見習いとしての最後の任務を終えて晴れて成人となった。初めて外の世界を見て、飲酒も解禁されたのだ。(ねぎら)いという名目で集まろうと、誰が言い出したのかは覚えていないが、当然の帰結といえた。

 そこで会場として白羽の矢が立ったのが、ついぞ最近一人暮らしを始めたクロスタの家である。


 友人に限定されるが、賑やかなのは嫌いではない。幼い頃からの気心知れた仲だ。断る理由は何もなかった。



 クロスタの金髪よりも淡いシリスの髪は、手櫛だけですんなり整った。また騒がしく喋り出した弟たちを横目に、彼女もエールに口をつけようとした時だ。


「んで、そこで人目を引き付けるためにアスに教えてもらったアレだよ、アレ」

「なんだよ、アレって」

「水蒸気爆発」

「ファーーーーー」


 ここまで来れば、もはや上がり始めたテンションは止まらない。

 奇声を上げながら爆笑するアステルは、当然のように豪快にシリスの背中を叩いた。


「あ」


 クロスタの呆けた声。


 普段なら、気が置けない友人同士の他愛無い戯れあい。いつもならシリスだって笑いながら叩き返したりする場面だ。しかし悲しいかな、現在彼女の手にはエールの注がれたグラスがあり、その中身はまさに傾いて彼女の唇に触れるところだった。



 ぶちまけられる酒。


 べしょべしょに濡れた顔。


「……」

「……」


 アステルとヴェルのけらけら笑う声だけが部屋に響く。


「……ねぇ、クロスタ。怒りの6秒ルールって知ってる?」

「……6秒で落ち着くから、我慢しろ?」

「違うよ」


 顔からポタポタと雫を垂らしながらシリスは笑った。それはもう、花が咲いたと見紛わんばかりに。


「怒りが鎮まる6秒までに……仕留めろって事だよおぉぉ!!そこに直れお前らァァァ!!」


 多分、いや、絶対に違う。


 2人分の悲鳴を右から左へ流しながら、彼はここがせめて角部屋であることに深く感謝したのだった。






 最終的に、シリスがアステルとヴェルを一度絞め落とすことで事は収まった。


「……僕が遅れてる間に、弟が迷惑かけたみたいだね」


 手土産を片手に入ってきたディクシアは、部屋の惨状を見て深く嘆息した。


 床には突っ伏して倒れ込むヴェルとアステル。

 転がるグラスは幸いにも割れていないが、代わりとばかりにぶちまけられた酒。

 髪の毛から雫を滴らせながら床を拭くシリスと、同じく机を拭くクロスタ。


 長い付き合いゆえ、その現場を見るだけで大体の状況が把握できる。そうして導き出された結論が、ディクシアの言葉だ。


挿絵(By みてみん)


大方(おおかた)、悪酔いしたんだろう?すまない」

「うちの弟も似たようなもんだし、ディクが謝ることじゃないよ」

「そうは言っても他人の家でかける迷惑にも限度がある。本当に悪いね、クロ」

「いや、別に」


 すれ違えば、男女問わず振り返ってしまうような整った顔。その美貌に青筋を立てたままのディクシアが、困ったように眉尻を下げる。

 アステルと同じ、夏空をそのまま閉じ込めたような瞳には、まだまだ侘び足りないという意思がありありと見えた。しかし、クロスタにとっては本当にどうでもいいのだ。

 今更これくらいで腹を立てる間柄でもないし、彼らが騒ぐなんて予測した上で招いているのだから。




 ディクシアの手伝いもあり、部屋はすぐに元の状態を取り戻した。


「お酒のにおいまで消えてる」

「いつかアスがお酒でやらかす事は予想がついたからね。浄化と風の組み合わせを前から考えていたんだ」

「さすがディク」


 柔らかい栗色の髪を結い直し、事もなげに言うディクシア。それが常人には簡単に出来ないことだと理解しているシリスは、感心したように乾いた襟元をつまんだ。

 ヴェルはと言えば、机に肘をつきながらげっそりした表情で頭を抱えている。


「……じゃあ俺の酒も綺麗さっぱり抜いてくれよ。なんでこう、中途半端なんだよ……」

「君には反省してもらわないといけないからね」


 ヴェルが泣きそうな弱々しい顔を向ける。しかしディクシアは気付いていない素振りで顔を背けた。


「ヴェル、水」

「クロ……お前が1番優しいよ……」

「そうか」


 さらりと流す。

 一気に水を飲んだヴェルは少し調子を取り戻したようだった。


「アスは?」

「話が済んだら起こすさ。どうせ、今からの話をあんまり聞かせる事はできないだろう?」


 クロスタは未だ床に転がるアステルへ目を向けた。

 アルコールの効果もあってか、彼はそのまま寝入ってイビキすらかいている。

 幼馴染たちの中で誰よりも大きな図体が転がっているのは「邪魔」の一言に尽きるが、どうせ歩き回らなければ気にするほどでもない。


 ディクシアの言葉に、シリスが肩をすくめた。


「アスだって半分は守護者なのにね」

「それでもだよ。純血じゃなきゃ守護者と認められない以上、任務内容の仔細を聞かせるべきじゃない。線引きはしっかりするべきだ。たとえ身内であってもね」


 そう言われてしまっては、シリスも口を閉じるしかない。それこそ身内が決めたことに口を出すのは、(いささ)か出過ぎた真似だと分かっているのだろう。


 いくらアステルが守護者の血を引いていようと、()()()()()()()()()()正式に守護者と認められない。他と混じった守護者の血は世界を渡る力を失われるのだから、当然といえば当然の措置ともいえる。

 それはどれだけ彼らが渋ろうと、覆ることのない事実なのだから。


 無言は、肯定。


 アステルのイビキだけが響く中、全員を見回してディクシアは指を組んだ。


「じゃあヴェル、シリス。半月ぶりに会ったんだ。まずは、君たちがなんで自宅謹慎になっていたのか教えてよ」


 2人が顔を見合わせ見つめ合う。

 そうして暫くの後、シリスが小さく口を開いた。


「この前の現地任務でさ───」











「───つまり指導員の指示に従わず単独で行動した挙句、ヴェルに至っては義務そっちのけ。ヒトを軽視した言動までしたがゆえの謹慎ってことか」

「あと人目を逸らすために、町中で爆発を起こしたっていうのも後でバレたな」

「馬鹿じゃないの君たち?」


 こめかみを抑えるディクシアが、眉根を寄せて双子を睨んだ。


「他にもやりようはあったかもしれないだろう……それにヴェル。僕たちの前ならまだしも、大人の前でそんな言動をしたら、指導が入ることなんて分かってるだろうに」

「けどお前らだって理解できるだろ?自分の家族を危ない場所へ向かわせるって言われたら、冷静でいられるのか?」

「少なくとも、君よりは上手く立ち回れるとは思うよ」


 ちっ、と舌打ちをしてヴェルが不満顔でそっぽを向いた。機嫌を損ねたようだ。そもそも、ディクシアに正論を言わせて勝とうなんて考えが間違っている。

 クロスタは密かにそう思ったが、さらにヴェルのヘソを曲げるだけだと分かっているので無言を貫いた。


「にしてもヒト型に、鏡以外から現れる鏡像か……。大体の概要は全体報告で聞いてたけど、改めて聞くと本当なんだね」

「だから、あたしたちだけ卒業式典の後に呼び出し喰らったの。事情聴取終わったら反省文書かされるわ、その後すぐ謹慎だわで今日ってワケ」

「卒業したのに養成所から謹慎命じられたの、君たちが初めてじゃない?」

「偉業?」

「褒めてないからね」


 カラカラ笑うシリス。しかし、続くディクシアの言葉に瞬時にその笑みも引っ込んだ。


「それで、被害は大きかったのかい?」

「……十数人くらい、だめだったみたい」


 シリスの瞼が伏せられる。隣のヴェルも無言を貫いたままだったが、その表情に先程までアステルと騒いでいたような明るさはない。


 クロスタが聞いていた限り、アステルと話していたのは任務先で爆発を起こしたり、シリスが骨折をしたなんて話題である。

 彼女に至っては既に治っているし、あくまでも笑い話にできるようなものだ。

 発生した問題を部外者に話せないという前提を無くしても、2人はおそらくアステルへ楽しい土産話を持って帰りたかったのだろう。その気持ちはクロスタにもよく分かる。


「ヒト型が出て、犠牲がそれだけで済んだなら良かった方だよ」

「分かってる、でも笑って話せる内容じゃないしね。忘れちゃいけない事でもあるし」

「まだ配慮できるだけの理性と、反省できるだけの頭はあるようで良かったよ。謹慎中に空っぽになってないか心配だったんだ」

「ねえ、クロ……ディクが棘だらけ……」

「諦めろ」


 泣きつくシリスをピシャリと突き放す。


 あからさまではないが、ディクシアもきっと心配だったのだ。あまり甘やかして慰めて、2人がまた同じ事をしようものなら堪らない。友情ゆえの棘なので、甘んじて受け止めろとクロスタも思っている。


 取り付く島もない態度にシリスは最終的に諦めたのか、不承不承(ふしょうぶしょう)と引き下がった。


「───さて、次は僕たちの行った場所の話でもしようか?」


 ディクシアがそう口をひらけば、シリスとヴェルの視線が目に見えて彼に集中した。分かりやすい機嫌の切り替わりに、ディクシアとクロスタは顔を見合わせ苦笑する。


「じゃあそろそろアスも起こそう。君たちと一緒に話そうと今日まで聞くのを待ってたんだ。そこは仲間外れにしたら可哀想だろう?」


 興味津々といった様子を隠さない双子に、ディクシアは苦笑いを浮かべたまま立ち上がる。


「僕の方は何もトラブルはなかったからね。クロの方は?」

「なにも」

「じゃあ話すのに何の問題もないね。どうせ内容もどこが良かったか、どんな場所があったかくらいだ……ほらアステル、そろそろ起きるんだ」


 揺らされたアステルの顔色が、覚醒と共に段々と青くなる。


 察したクロスタが奥の方にタオルや掃除用具を取りに行く。

 ……やがて、後方から阿鼻叫喚が聞こえてきた。


 惨状はありありと想像できる。が、何度も言うように、予測した上で招いているのだ。今更これくらいで腹を立てるつもりもない。


「どうせ、ディクが綺麗にしてくれる」


 弟のやらかしを予測していたディクシアが、現状復帰に大いに役立ってくれるだろう。

 彼の魔術はもはや、便利の一言では足りないレベルになっている。



 ───それでも流石に、出来るところまでは自己責任だな。



 タオルを水で濡らして、クロスタは叱責と謝罪が飛び交う部屋に戻って行った。

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