23.考えようとしなかったコト
会話は一旦ぎこちなくなり、盛り上がりに欠けたまま時間だけが過ぎる。それでも卓の料理をつまみ満足感を感じるに従って、次第にまた元の雰囲気に戻っていった。ブレンドンだけは一貫して同じ態度で話し続けていたが……それが年の功というものなのだろうか。
宣言通り、彼は隣に座っているだけで全くの無害であった。それがヴェルの不機嫌を和らげたのは想像に難くない。
「それで、おんしも子どもらを指導する立場になったということじゃの」
「そういうことだ。まさか、教え子の任務の付き添いであんたに会うとは思ってなかったがな」
ブレンドンが合流した直後のように、会話の中心はグレゴリーとブレンドンの思い出話が主だった。ヴェルとシリスはそれを興味深そうに聞きながら、デザートのバニラアイスを食べていた。塩気が豊富だった料理のあとで口にする冷えた甘さが、舌の上でほどけて沁み渡る。
「俺はこれでもリンデンベルグの視察担当なんだ。数ヶ月に1回は定期的にここへ来てたはずなんだが……爺さんには8年前に一回会ったきりだからな。時計守ももう変わっていると聞いて、死んだと思っていたよ」
「失敬な。儂はあと500年は生きるつもりじゃぞ」
「あんたいつの間に人間やめたんだ?」
控えめに笑い声が起きる。
時間はすでに夜の10時を過ぎていた。酒も出している店の中は相変わらず賑わってはいたが、忙しそうに親の手伝いをして給仕に回ってたヘリオの姿はもうない。きっと寝にいってしまったのだろう。
ヘリオの母の姿もなく、給仕に回っているのは父親だけである。店内の客がまだ殆ど残っていようと、酒や肴の注文が中心の時間帯では、1人だけで十分対応できるのだろう。
ブレンドンが小さな盃をちみちみと口に運ぶのに対し、一杯だけという名目でグレゴリーは新たに注がれた酒を呷った
「腕のいい技師が現れたら退くのが、この町の時計守ってもんさな。エミリオもよくやっとる、町長をしながら時計守までするとは……」
「そういえば、あの人は時計守もしてるって話だったっすね」
ヴェルはバニラアイスの最後の一口を飲み込んだ。まだ味わっていたいぐらいだったが、腹の容量がそれを許してくれそうにない。
「おんしらはエミリオに会ったと言ってたの。元気じゃったか?」
「元気というか……」
「フラフラでしたね」
ニーファの持ち込んだ石板の事や、彼女の目的。まだ明確でない事象が多い中であの騒動の話を素直にするわけにもいかず、ヴェルもシリスも見たままのことしか言えなかった。しかし、嘘は言っていない。ブレンドンは遠くを見るように目を細め、また一口、盃に口をつけた。
「そうか、まあ"色々あって"体調を崩したとは聞いていたからの。生きてるなら良かろうて」
その口調は事情を知っているようにも聞こえた。彼もまた、鏡像の度重なる出現を知っていた人間だったのかもしれない。
「あやつも中々に無理をする。儂が時計守の任をあやつに引き継ぐと決めたのが7年ほど前になる」
「ってことは、俺が視察担当になる丁度前の話だな。どうりで時計守が変わってるって言われたわけだ」
「タイミングじゃの」
からからと朗らかに笑いブレンドンは小型のボトルを傾け、盃を再度満たす。透明な酒に店の照明が映り込み、酒精の海上でゆらゆらと揺らめいていた。
水面で踊る照明を眩しそうに見つめる、老人独特の白く濁りかけた瞳。
「あやつは腕も良いが、何より時計塔と人形達を愛しておっての。どうすればもっとリンデンベルグで人形達を輝かせることが出来るか、そればっかり考えておった」
「職人だな」
「そう、あやつは職人なんじゃよ。だがそれと同時に、1番リンデンベルグのことを考えられる人間でもあった。そもそも、この町の主軸は時計塔と魔導人形じゃからな」
魔導人形も時計塔も、愛してもらい続けるためには観光資源として成り立ち続けなければならない。
魔導人形のパレードを華やかにするのはどうか。その通り道に店が立ち並ぶことができるよう許可があればいいのではないか。ヒトを呼び込むには道の整備もしなければ。鐘の音をもっと澄んだ音に。
ヒトが集まれば問題も起こる。人形が壊れないよう、もっと自警団の整備も必要だ。間違って誰かが入り込んでも大丈夫なよう、時計塔の扉も簡単に開かないような細工をして。
「そうやって、町をいい方向に改革していくエミリオを指導者に推す声は多くての。あやつは時計守をしながら町長をするなんて重圧を負わされてしもうた」
「爺さんやエミリオさん以外で他に時計守が出来るような人材は居なかったのか?」
「時計守もややこしくての……人形のメンテナンスも時計塔のメンテナンスも両方できる人間じゃないといかん。案外、高度な専門職なんじゃよ。現在の時計守より技術レベルが低い技師に任せるわけにはいかんしな」
ブレンドンが髭を撫でながら目を閉じる。その姿は過去を振り返ってるようでも、彼のいう重圧をエミリオに任せてしまった事への後悔のようにも見える。
「あやつが町長になって暫くあと、流れの技師が来てな。エミリオよりも腕の立つ技師じゃったから、町のモン達は時計守をその男に任せようとしたんじゃが」
「拒絶されたのか?」
「いんや、住民になりたいと言っておったから受けるつもりだったと思うが……直前になって自死したんじゃよ」
「えっ、なんで?」
思わずシリスが声を出す。彼女のスプーンから溶けたアイスが一滴、ぽとりと皿の中に落ちた。
つい口を挟んでしまったようだったがヴェルも同じように口を開こうとしていたので、シリスの言葉が出るのが早かっただけのようだ。
「それこそ"重圧に耐えきれん"と手紙が残っておった。波止場の端に揃えられた靴と一緒にな……身投げしたんじゃろて」
「逃げたとかじゃなくて、ですか?」
「わからん、死体はあがっとらんからの。そうであれば、過度な期待で死を選ばせたのではないと儂らも少し気が晴れるんじゃが」
声音こそ変わらないが、ブレンドンの言葉の端々には隠しきれない悔恨が滲んでいた。
エミリオに時計守を引き継いだのも、エミリオが優秀だったのであれば至極当然のことだろう。ブレンドンは7年程前にその座を譲ったと言っていたが、齢80を超えているだろう老人が後進に道を譲ることは、むしろ当たり前のことの様に思える。町長に関しても、町をより良く発展させていける人材を推すことは何も間違ってはいない。そして、負担が増えたエミリオをサポートするためにも、彼以上の腕を持つ技師が現れたのであればそちらへ役割を譲ろうとしたこともまた、間違ってはいないのだ。
シリスもヴェルも、ブレンドンや住民の行動に何一つ咎められるところは見つけられなかった。
「だからと言って、エミリオさんは複雑だったろうな」
しかし、グレゴリーは少し違ったようだった。
同情するような目線を虚空に向けて話す彼の脳裏には、仮眠室に押し込んだ冴えない男性の姿が浮かんでいるのだろう。
「彼は時計塔と魔導人形を愛していたのだろう?それゆえにリンデンベルグにとっては、町をより良くできる町長としての資質も持っていた。だが、本来であれば時計守として人形達に向き合うだけで良かったものを、なまじ能力があった所為で、別の技師にその座を譲らざるを得なくなった……。そしてその技師は重圧に耐えかねて身投げした、と。そりゃあ心中は複雑だろうさ」
「言われれば……そうですよね」
話をエミリオの視点に置き換えれば、また印象は少しばかり違ってくる。
町の人々やブレンドンの判断が間違っていないと思うのは、シリスもヴェルも変わらない。それでも自分が愛するもののために成した行動が、自分の首を絞めるとは思わなかっただろう。
「……あー……」
エミリオの心境に想いを馳せ、彼が感じたかもしれない苦痛を想像したとき、ヴェルは目元を両手で押さえて机に肘を付いた。
そうだ、最初から違和感は感じていた。言い訳をするのであれば、怒涛の展開に脳が疲れていたといえる。単に見ないフリをしたつもりではなかったが、嫌な想像から目を逸らしたかった気持ちがあることも否めない。
なぜもっと深く考えなかったのだろう?
理由は単純だ、結局"ここは平和な世界"という前提が抜けきらなかったのだ。
ニーファの事も、あの石板のことも、しっかり調べれば残った問題を解決できると思っていた。これ以上、大きな出来事は起こるはずもないのだと。
きっと自分達だけではなく、リンデンベルグを担当としているグレゴリーも同じだった筈だ。ヘリオの父も言っていたではないか。
"浸りすぎると、与えられていたものを当たり前だと思ってしまう"
と。
それはこの町の人間だけに対する皮肉ではなかった。
「ヴェル?」
シリスが動かなくなったヴェルの顔を心配そうに覗き込む。彼女はまだピンと来ていないようだ。シリスとて様々な部分で腑に落ちない思いは抱えただろうが、その理由は判然としない。
そもそも、これはニーファの独白を聞いたヴェルだからこそ、違和感を埋める最後のピースを見つけられたに過ぎない。
「爺さん、ちょっと聞きたいんだけど」
ヴェルはゆっくり顔を上げた。自分の想像が当たって欲しくない、ゆえに心の隅では聞きたくないという思いが湧き起こるのはしょうがない。
それでも、聞かなければならない。確認しなければならない。
爺さん、と軽率に呼ばれ、ブレンドンは片眉をぴくりと動かすが、ヴェルの表情を見て文句を言おうとした口を閉じる。
翠色の瞳には、軽い口調とは不釣り合いなほどに真剣な色が宿っていた。
「身投げしたヒトの痕跡を始めに見つけたヒトって、わかる?」
なんでそんなことを聞く?と、ばかりにブレンドンは首を傾げるが、真面目なヴェルの様子にやや押されるようにして素直に答える。
「そりゃあ、あの日のことはよう覚えとるさな……たしかニーファっちゅうエミリオの秘書の嬢ちゃんが、停泊船の確認の時に見つけたんじゃ」
聞き覚えのある名前。
最後の符号の一致に、苦々しくヴェルは目を細めた。
「ああ、そうかよ」
吐き捨てるような言葉を嘲嗤うかのように、けたたましくも澄み切った鐘の音が町中に響き渡った。