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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
守護地・ガイア
135/138

133.おやすみなさい

 今日は散々な一日だった。



 スリに大事な財布をスられ、汚れた水路まで追ったと思ったらこの場にいるはずない(セロ)がネズミに襲われ、助けに行けばネズミなんて到底言えないような化け物に遭遇し、あまりに傷が付けられないものだから内側から爆破して血だの内臓だのを引っ被ってドロドロに。挙句の果て───これは自分が悪いとは理解しているが───魔力枯渇で指一本たりとも動けなくなってしまった。

 意識ははっきりしているのに体だけが全く動かないなんて、もどかしいのどころか不便極まりないのもいいところだ。



 ともあれ。



 ひと段落つき太陽の光を再び目にした時、その眩しさにこれ以上ない安堵を覚えたものだ。


 南天をすでに越えた太陽は、傾けど未だ光を衰えさせることはない。明かりがあったといえやはり地下は暗かったのだと、当たり前を再認識した。


「うわ……思ったより酷ぉ……」

「安心しろ、お前が一番だ」


 陽の元で見る友人たちの姿は確かにディクシアが苦言を呈すのが分かるほどに赤々と汚れ、このままヒトの往来に突っ込めば阿鼻叫喚待ったなしだろう。

 クロスタによればシリスの方がもっと酷いらしいが、首を回して見ることも出来ないので「へぇ」と気のない一言で返す。見えてなければ同じこと。どうせ皆、マルっと身綺麗にしなくてはいけないのだから。




 ───いつぞやアステルの所為で酒を引っ被ったときにディクシアが施した清浄の術がある。応急処置として簡単にかけてもらったが、あの時と違い汚れが酷ければそれだけ術の難易度も魔力の消費量も増すのだという。当然といえば当然なのだが血脂というものは生臭さもさることながら、これまた汚れの中でもなかなか落ちにくいものらしく……。



 長々と時間をかけてアステルを綺麗にしたディクシアは両手を上げて言った。


「これ以上は無理。見た目だけ何とか取り繕うから、あとはちゃんと水で流してくれ」

「まあ街を歩ける程度にしてもらえんなら、俺らは単純に助かるけど」


 ヴェルのいうことにも異論はなく、全員見合わせて頷く。どちらにせよ綺麗にしてもらったからといって、あの生暖かさを引っ被った感触はそうそう消えるものでもない。身体を流せるのであればそれに越したことはないのだ。それも皆、同じ考えだろう。



 ただ一人を除いて。



「え、じゃあオレ今日は風呂入らなくてもいいってこと?助かるー」

「助かる、じゃないんだ。ちゃんと流すくらいはしなよ!」

「面倒じゃん。本当は汚れたときにでも入りゃ良いかって思ってんだけど、母ちゃんにドヤされるしさ。その術ってオレでも使えたりしない?」

「なまじ使えるとしても絶対教えないからね!」


 吠えるディクシアに不満顔のアステル。彼の生活において保清の優先度は|些≪いささ≫か低いようだ。友人たちが密かに一歩距離を取ったのを、鈍感な彼は気付かない。


 そんな一幕を経由して、ディクシアに見た目だけは何とか取り繕ってもらったころにはさらに時間が経過していた。

 確かに汚れは殆ど掻き消えて服にこびりつく血痕も目を凝らさなければわかりにくくはなっている。白みの生地ではそれも少々誤魔化しが効かない部分はあるが……誰かとすれ違う程度であれば、気にされることもないだろう。自分が身に纏うゆえに血の匂いはどうなっているか不明だが、汚れを見る限りはこちらも薄まっているものと思いたい。


 時間を食ってしまったことにより空腹はさらに増したものの、シリスの身体は少しづつ動くようにもなっていた。

 ディクシア曰く、普段からもっと魔力に依存するタイプだとこうもいかないらしい。枯渇の反動も失神レベルに酷くなるのだと言っていた。


「脳みそまで筋肉で良かったじゃないか。怪我の功名とでも言えばいいかい」

「一番の重症者なんだけど、あたし」


 そんなこんなで、アステルの家に辿り着くころには気怠いながら上体を起こせるまでには復活していた。


 自宅に帰ればよかったのだろうが、どうもヴェルたちの用事は済んでないとのことだった。

 セロは養成所のカリキュラム内で巻き込まれたため、事情の説明もあって治安維持機関の者が自宅まで送り届けてくれている。とあれば、シリスも早く帰らねばならない理由もない。


 動けるようになってから帰ることとして、一旦は現場に一番近いアステルの家に転がり込むことになったのだ。シリスを背負うクロスタも必然的についてくるとなれば、経緯をアステルの母に説明すると言うディクシアもそれに続く。結局は、ぞろぞろと足並み揃えて向かうことになった。




「アステル!だから掃除は毎日しろって言ったじゃないか!みんな連れてきて、足の踏み場もないくせに!」


 アステルが一同を引き連れて帰宅した様子を見て開口一番。アステルと同じ緑の髪の女性───彼の母が苦い顔をした。


「今からやるって。ちょっと退ければ全員座ることくらいできるだろ?」

「もうやっておいたよ。全く……何が大事なものか分かったもんじゃないから、デカいモンは倉庫に入れてあるからね」


 用意周到だ。この人数を引き連れて来ることを分かっていたかのような物言いに、彼自身が猜疑的な目を母に向ける。


「なんで?虫の知らせ?」

「……あの男が連絡に来たんだよ。多分、アンタがディクシア君たち連れて戻ってくるだろうからよろしく、だとさ」

「はあああああ。ほんと余計な世話しか焼かねえなあの野郎」


 歯を剥きだして嫌悪感をあらわにするアステル。どうやら父親の関与があったようだ。

 一気に悪くなった空気感。しかし、苛立ちを隠しもしないアステルにヴェルが冷めた目で言い放つ。


「実際、汚部屋じゃねえか」

「汚部屋じゃねーっての!ちゃんと物の場所とか分かって置いてんだから、散らかしてるわけじゃねーし!」

「とか言って、足の踏み場すら危ういのは事実じゃねぇか!俺がドア開けたときに引っかかってバウンドしたの覚えてんだからな!!」

「いてぇっ!」


 目の前で繰り広げられる漫才のような掛け合いはシリスたちにとって見慣れた光景なのだが、シルヴィアにとっては馴染みのないものだったようだ。目を点にして彼らの様子を眺めている。


 やがて、


「あは、あははっ……」


 堪えきれなかったかのように吹き出した。


「あはは、仲がいいっすねえ、ふふ」


 そんなにツボに入ったのか瞳を涙で滲ませながら笑っている。腹を抱えながら体を折り曲げ、全身で楽しさを表現する彼女にその場の誰もがぽかんと口を開けた。

 肩を揺らすたびにとうとう零れた雫に思わずヴェルが手を伸ばす。


「シル」

「あは、はは……あー……。なんか、笑ったらスッキリしちゃった」


 そう言って顔を上げる彼女の顔は晴れやかな笑顔。

 ただ、顎を滴った涙の最後の一滴だけが妙に切なそうだった。



「……とりあえず入りなよ。言ったように掃除は済んでんだ。汚れちまってるし、タオル貸してやるからスッキリしてきな」


 これだけ眼前で話していたら、さすがにアステルの母も気付いたらしい。

 申し出に甘え、促されるままに足を踏み入れた家の中は何故か少し温かかった。










 夜も更け、窓からの明かりもかなりの数を減らした時間帯。


「顔が似てたから兄さんって思ってしまったけど……ちゃんと考えるとおかしかったんすよね」

「何でだ?」

「違うって言うより、年齢っすね。兄さん、16年前に逸れた時にはもう既に16歳だったから」

「……あいつの顔、30過ぎには見えねぇな」

「……カイン、23だって言ってた」

「そもそも私より歳下じゃないっすかぁ……」


 クロスタの問いに対するシルヴィアの答えが予想外で、シリスとヴェルは思わず顔を見合わせる。

 がくりと肩を落とすシルヴィアはもはや落ち込んだ様子を見せていなかったが、自分の早とちりには反省しているらしい。


「でも兄さんじゃなくて良かったって今は思うっす。あんなに性格悪くなかったし」

「まぁ性格は悪いよね」

「お前も同意すんのかよ……」


 無論、とシリスは頷く。

 疑いをかけられて、目の前が暗くなったのはつい最近の話だ。そうそう薄れる記憶でもない。

 それなりに楽しく案内をできているから緩和されているだけで、カインの性格が悪いだろうということは重々承知の上だった。


 そんな雑談を繰り広げる中。


「よっしゃでーきた!!」

「うるせぇ!近所迷惑考えろよ!」

「お前もな……」


 無心で作業台に向かっていたアステルがようやく顔を上げて吼えた。ヴェルが怒りを表すようにうるさい声で、ヴェルの声もまたクロスタが言うようにうるさかった。

 思わず二人とも口を押えて扉の方を振り返る。シリスも内心冷や汗をかきながら入り口付近のソファを覗き込むが───幸いなことに、ディクシアは穏やかな寝息を立てて眠っていた。


 状況の分からないシルヴィア以外が安堵の溜息を漏らす。


「どうしたんすか?そんな青い顔して」

「ディクの奴、決まった時間に寝て決まった時間に起きる分には問題ねーんだけどさ……途中で起こされると、ちょー機嫌が悪くなるんだよ」

「前はアスが地面にめり込むかってくらいでっけぇ氷の塊落としてたな」

「良く生きてたよなー」


 乾いた笑いを上げるアステルとヴェルに、シルヴィアも若干引いている。そもそも、アステルの声は普段でもよく通るのだ。ボリュームが上がればどれだけの威力なのかは言うまでもない。

 そんな彼の指には、シンプルなデザインながら小さな翡翠色が嵌め込まれたリングが摘まみ上げられていた───





 あの後、食事や入浴を済ませていると夕方も超える時間になってしまった。そこからアステルの作業に付き合うとなっては、かなりの遅い時間になることは明白だった。


 結局、アステルの母の厚意に甘え、彼の家で一夜を明かすことになったのだ。1人が付き合うとなると全員が同じように付き合う、もはや慣れ親しんだルーティンである。

 そんなこんなで就寝時間と共にぴたりと寝落ちたディクシアをソファに横たえ、途中から段々と言葉数少なくなったアステルの真剣な様子を傍目に、取り留めのない談笑を交わしながらアステルの作業終了を待っていたのだ。






 ───ディクシアが起きないと見るや、晴れ晴れした顔で笑ったアステルはシルヴィアとヴェルにリングを手渡す。


「どうよ、これでいけるはずだぞ」

「試してみるっすね」


 そう言ってシルヴィアの姿が扉の向こうに消えて数秒。聞きなれた受信音が小さく響き渡る。

 ヴェルがリングに魔力を通す。ふつり、と鈴のような音が途絶え、代わりに聞こえてきたのは。


『……聞こえるっすか?これ』

「すげぇ、マジで聞こえる」

『わ、聞こえる!』

「よっしゃ成功おおおおおお!!」

「黙れって」


 ガッツポーズで叫びだしたアステルの口をクロスタが塞ぐ。それでも嬉しいのか、もがもがと掌の向こう側でまくし立てているアステルの声がくぐもって聞こえた。何と言っているのかは、誰にも分からない。

 彼の興奮が落ち着くまで口を押えていたクロスタだったが、笑顔を浮かべるアステルの顔色が徐々に紫色になるのを確認して手を離す。酸欠になりかけるまで喋っていたらしい。

 ぜぇぜぇと肩で息をしながら揺れる若草色。やがて息も整い、興奮も鳴りを潜めて顔を上げた彼の顔は、それでも輝かんばかりに明るかった。


「はー、やり切ったやり切った!マジで細かすぎる作業だったから、途中から感覚だったわ」

「ほんとお前のそういうとこ尊敬するよ。それでちゃんと完成させるんだもんな」

「あったりまえだろ。こんな楽しい課題こなせなくてどうすんだよ」


 何が楽しいかはいまいち常人には理解できないのだが、そこがある意味でアステルが天才たる所以なのだろう。

 戻ってきたシルヴィアも嬉しそうに彼に礼を述べた。その指には既にリングが嵌められている。


「ありがとうアステル!まさかエーテルリンク使えるなんて思ってもなかったっす。いくら渡せばいいっすか?」

「あ、そういうのいいや。実は副産物で別のも作らせてもらったからさ」


 財布を取り出しかけたシルヴィアを制し、アステルは作業台から再び何かを掴んだ。意気揚々と皆の前に立ち、作業で汚れたのだろう手が眼前で開かれる。


 そこにあるのは、シルヴィアとヴェルを覗いた人数分のリングだった。シンプルなつくりの物で装飾などはない。翡翠色も嵌まっていなければ、シルバーの輝きも眩いほどではない。

 けれどそれは見覚えのある輝きだ。シリスやヴェルも数回使ったことがある。


「あたしたちにもくれるの?エーテルリンク」

「それはそうなんだけどさ、何かさっきので気付かね?」

「気付くって、何がだよ」


 双子の問いにも、ニヤニヤとした笑みが返ってくるだけで明確な答えなどない。自分で答えを見つけろ、ということだろう。


 言うが早いか、アステルはシリスとクロスタにリングを手渡し自らの指にも嵌めた。倣ってシリスも右の中指にリングを通してみると、使ったことのあるエーテルリンクよりも仄かに冷たさを感じる。けれどそれだけで違いなど見受けられない。

 隣ではヴェルとクロスタも同じようにリングをつけてはまじまじとそのフォルムを観察していた。皆感想は同じようだ。


 答えは見つからず、さらにはあまりにアステルのにやけ顔が腹立たしく、デコピンの一発でもお見舞いしようかと考え始めるシリスの背後でクロスタが「あぁ」と声を漏らした。


「双方向端末、か?」

「そうそう!さすがクロちゃん、察しが早くて助かる!」


 双方向。名前の通り、受診も送信も出来るという意味だ。それが出来る端末は、未だにない。だからこそ皆、送信と受信両方の端末を持つのだ。

 けれどたしかに、先ほどヴェルの端末は受診も送信も出来ていた。つまり、指にはまっている”コレ”は世界でここだけにしかないシロモノ……という話だ。理解した途端、今度は双子の顔が青ざめた。


「えええええええ!!」

「いやいやいや、ちゃんと金取れよ!?これ、どこもかしこも喉から手が出るくらい欲しいシロモンじゃねぇか!」

「技術まるっと一世代分くらい進化させるのやめない!?怖い!これにどれだけの価値付くと思ってんの!?」

「なんだよ、もっと喜べよー。これで気兼ねなく連絡取れるんだぞ?」

「嬉しいけど喜ぶ以前の話なんだよ!!馬鹿!お前やっぱ馬鹿!!」


 ぎゃいぎゃいと騒ぎ出す。それはもう、今の時間など忘れるほどに。

 気付いた時には既に遅し。クロスタが止める間もなく、シルヴィアが注意を促す間もなく、彼はゆっくりと目を覚ました。





「何時だと思ってるんだ君たちはーーーーーー!!」



 走る閃光。


 寝起きのディクシアから放たれた容赦ない雷棘は、音もなく双子の意識を沈めたのだった。


挿絵(By みてみん)

***

ガイア編これにて終幕


「初回女子トーク」

アステルの作業中の女子sの話

https://kakuyomu.jp/works/16818093076490280226/episodes/16818622171807989269

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