132.一旦の収束
「どう、痛む?」
装置を返した後、しばらく治安維持機関の男と話していたカインは戻ってくると同時にしゃがんでシリスを覗き込む。
向けられる、穏やかな黄昏色。
今は俯いて見えないが、弟の横で座り込む彼女の瞳は確かに似た色をしていた。
「大丈夫、元からそんなに痛くはなかったから」
「ならよかった」
会話が途切れる。
傍≪はた≫からさっきの会話の内容は聞こえていても、シリスには詳細が分からない。シルヴィアという彼女が、カインに似た兄を探しているということだけは十分伝わった。しかしそれを彼に言及できるような情報を持っているわけでもない。少なくとも、シルヴィアの探す兄というのがカインではないということが理解できた。そのくらいだ。
彼女に答える声は穏やかなのに突き放す冷たさがあった。それが今かけられる優しげなものとはチグハグな印象を受けてつい口が止まってしまう。
落ちる沈黙がどこか居心地悪く、会話の糸口を探すも聞こえていた会話の内容が強く残りすぎて別の話題も浮いてこない。
「……妹さんがいるんだ?」
だから、当たり障りのない程度の言葉が口を突いて出た。
カインはきょとんと目を見開き、やがて呆れたように微笑む。
「ああ、君と同じくらいのね。去年成人して家を出たから、しばらく会ってないけど」
「似てるの?」
「君たちほどじゃないよ。───まあ、でも似てるといえば彼女の方が妹より俺に似てるかも」
ちらりとシルヴィアに視線を投げてカインは言う。シリスも似ているとは思っていた。それでも、似た色を持つヒトなんてごまんといる、その中で顔の似た相手だって多少なりとも存在するだろう。彼が違うというのであれば、違うのだ。
「……大丈夫かな、えっと、シルヴィアさん」
「さあね。立ち直るのは彼女自身の気持ちの問題だし」
「冷たくない?」
「むしろ優しさだと思って欲しいな。淡い期待を捨てられずにいるより、あっさり切り捨てられた方が諦めもつきやすいだろ?」
「そ……っ……んなこと、あるかも、だけど……」
カインの言うことにも一理ある。
冷たく突き放す方がいいというわけではない。けれど確かにやんわりと否定されるよりも納得はしやすいだろう。
別人だというのであれば尚更。
シルヴィアの落ち込みようを見ているとどちらが良い、なんてシリスには言えないが。
「理解しようとしなくて良い。君に俺の考えを押し付けるわけじゃないから」
「……理解できるものなら、したいと思うよ」
「そう思ってくれるだけで良いさ」
彼なりの配慮だというのであれば、後のフォローは弟の役割だ。
再び途切れた会話にどう切り返そうか頭を悩ませ始めるも、シリスの頭を大きな掌が撫でた。
「残念だけどここまでだ、”アレ”は全部灰になったから、詳細の報告に本部へ行かないと駄目らしい」
「カインだけ……?」
「忘れてるかもしれないけど、招集されてるからには俺の直接の所属は執行部だ。優先的に報告義務があるからさ」
君たちにもまた話が行くかもしれないけれど、と続けて彼は徐に手を離す。じわりとゆるい熱を感じていた額が、無性に冷えてしまったように感じてしまう。何故だか少し寂しさを覚えた。
まだ満足に動けない身体に鞭打って、何とか首だけを立ち上がるカインに向ける。……話でしか聞いたことはなかったが、まさか魔力枯渇の反動がここまで厳しいものだと思わなかった。動けなくなる、というのは単に比喩表現だと思っていたのは否めない。
次に同じような状況に陥ったときには、せめて動ける程度には余力を残しておかねばと頭の中で猛省する。
「……案内、途中だったよね」
「むしろ今日で終わらなくて良かったよ。また会う口実が出来る」
「はいはい、コンテンツだもんね」
戻ってきた調子に、シリスの口も綻ぶ。結果として今日はこんなことになってしまったが、いつの間にかこの案内を楽しんでいたのは自分の方だったのかもしれない。それを見越したかのようにカインは笑う。
「また連絡するから、ゆっくり体を休めるといいよ」
「もうすぐあの紙、書くとこ無くなっちゃうけど」
「そうなる前に探しに行けばいいさ。一緒に探してくれるだろ?」
そういう目的で商業区を回るのも悪くないかもしれない。
肯定を返せば、満足そうに微笑むカインが視界から去っていく。入れ替わるように、彼とはまた色味の違う茶色が視界に入りこんできた。次に目を奪うのは、地下なのに空を映すかのような鮮やかな青だ。
心配というよりは明らかに苛立ちを浮かべた表情がシリスを見下ろしてくる。
さっきの今で、向けられる感情の急降下に風邪をひきそうだ。ひいたことはないが。
「君は、何かある度に怪我でもしないといけない病気にでもかかっているのかい?」
「えっ、病気扱い……?」
「心当たりしかないだろう?慎重という概念を捨て去った行動力には感動すら覚えるよ」
「いや……あの、あたし前衛だし、多少は仕方なくない?」
「つまりはその場に考える脳を置き去りにして突っ込むわけだ。成程、斬新だね」
言葉の棘が痛い。反論を試みても、そもそもディクシアに口で勝てるわけがないのだ。
口撃は止まない。けれど右腕が徐々に熱を帯びてきた。会話をしながら術をかけるなど、器用なことをするものだと半ば感心する。文句は言っても結局は気にかけてくれてはいるのだ。
「カインさんは、どうしてここに?」
苛立ちが鳴りを潜め、表情には僅かな疑念が浮かんでいる。
「異動でジェネシティに来たって言ってたっしょ?だから、案内」
「わざわざ君に?」
「空から降ってきたのがツボだったらしいよ」
おどけて言ってみせるもののディクシアの表情は真剣さを帯びている。
誤魔化すつもりもなかったが、誤魔化せるものでもない。
「……まあ、最初はあたしたちへの疑いがあったみたいだけど」
「疑い?」
シリスは観念して数日前の件を口にした。
そもそものカインが招集された理由。黒い物質の調査と、それをばら撒くレべリオンの存在。そこで疑問視されたシリスとヴェルの関連性。
たった少しの短い説明だが、ディクシアの端麗な顔が歪む。
「むちゃくちゃだ。君たちにそんな器用なことできるわけがない。そこまで考える頭もないだろうし」
「執行部の見解としても一応、疑わしきは確認しないとねってだけの話。それはそうとかなり失礼なこと言ったよね今?」
「大体理解したよ」
シリスの問いかけを完全に無視してディクシアは頷く。もはやこの塩対応にも慣れすぎて涙も枯れてしまっている。
じとりとした表情のシリスを気にも止めずに彼は声をひそめた。
「ヴェルには言ってないんだろう?」
「勿論。面倒っしょ」
「まぁ、下手に反抗心持って良いことなんて何ひとつないからね。そもそも彼、ああ見えて繊細だし」
「よく分かってんじゃん」
「何年来の付き合いだと思っているんだ」
リンデンベルグでのことは、まだ記憶に新しい。
相手がグレゴリーのようにそれなりの気心知れた相手でなければ、表立っての文句なんて口にはしないだろうが。それでも生まれた反感はどこかでじわじわとヴェルの首を絞めるはずだ。
抑圧されているわけではないが、味方に敵意を向けないに越したことはない。
「さて、大体は治ったと思うけど」
いつの間にか右手に感じていた熱さは消えてしまっていた。
数センチ離れていても立ってしまった鳥肌をさすりながらディクシアが立ち上がる。これに関してはいくら幼馴染であろうと、シリスが女として生まれたが故に仕方のない反応だ。いまさら彼に目くじらを立てることなんてないが、ただひとつだけ不満がある。
「あの、まだ動けないんだけど」
「当たり前だろう、君のそれは魔力枯渇によるものだ。傷が治ったからって、どうにかなるものではないよ。自然回復を待つんだね」
「ディクって魔力分ける術とか見つけてなかったっけ?前にそれで表彰されてなかった?」
「魔力供給だね。あれは相手に触れなきゃダメなんだ、絶対に嫌だよ」
「そこをなんとか、先っちょだけでも……」
「僕を昏倒させる気?」
まったく取り付く島もない。駄目元で言ったが、本当に駄目らしい。
「良い機会だ、大人しくするっていうのはどういうことか、身をもって体験すればいいよ」
「そんなぁ……。動けないの、あんまりに不便すぎる」
「浅慮の弊害だね。数時間経てば少しずつ動けるようになると思うし、ちょっとくらい我慢すればどうだい?」
「ひぃん……」
結局ディクシアは小指の先ほどの魔力も分けてくれることはなく、シリスは涙を飲んで大人しくするしかなかった。
「じゃあ帰るよ。この場はお父様たちに任せよう」
「待てって。オレたち、まだ目的果たしてねーんだわ」
アステルが踵を返そうとしたディクシアに待ったをかける。そういえば、彼らは何故ここに来たのかを聞いていなかった。
思い出したシリスが、今は目線の高さが同じのクロスタに問いかける。
「そういえば、なんでみんなここに来たの?」
「探し物。後はアスに聞け」
「こんなとこに?ってか、なんか機嫌悪い?怒ってる?」
「悪くない、大人しくしとけ」
「いやそもそも動けないんですけど……」
目線も向けられずにぴしゃり、と言い切られる。背負われて迷惑をかけている手前、あまり強く食い下がることもできないシリスはモゴモゴと口の中で反論する。勿論、それ以上の答えは返ってこなかった。
腕を組んで呆れ顔のディクシアが口を尖らせるアステルを見上げる。
「なんだい、まだ心当たりとやらに会ってなかったのかい?」
「仕方ねーじゃんか。水精の婆ちゃん、普段はもっと奥にいるんだよ。なのにあんなネズミが出てくるもんだからさ」
「ネズミと言っていいか分かったものじゃないけど───ん、水精……?」
ディクシアは顎に手を当て考え込み、やがて「あぁ」と声を漏らす。
「もしかしてかなり身汚い……失礼、かなり汚れを身に纏う水精の女性かい?」
「言い直しても全然マイルドじゃねーな。仕方ないだろ、こんな旧水路に住んでんだしさ」
上手く言い直せなかった自覚はあるのだろう、誤魔化すように咳き込むディクシアに対し今度はアステルが呆れた顔をした。
言葉に棘はあるものの、友人以外への言葉には気を付けているはずの彼が思わず口にしてしまうくらいだ。相当汚れているのだろう。
水精の身体は棲んでいる場所の水質を反映する。旧水路にいるというのであればさもありなん、というところか。
悪意自体がないことを理解しているからか、アステルは特に異母兄を咎めることもない。
「で、その言い方だと、もしかして婆ちゃんに会った感じ?」
「ここへ辿り着く前にね。どうも、ネズミの動きがいつもと違ったから、地上に近いところで様子を見ていたらしい」
「……なんだそれ。俺たち、入り損ってこと?」
「そう言ってやりたいところだけど……君たちが来なければ、弟くんは危なかったそうだからね。一概にそうとは決められないな」
弟。
途端に脳裏を埋め尽くすのは、怯えに染まっり歪んだ顔。
シリスの顔から血の気が引いた。
この場からは逃した。無事だとは思ってはいても、それを確認できてはいないのだ。さっきはヴェルに聞いても、怒られただけで答えは返ってこなかった。
「セロ……セロは……!」
「大丈夫だよ。一緒に逃げてきた貧民窟のヒトたちから話も聞いたから、なんで君がここに居るのかも知ってる」
「そ……か、よかったぁ……」
返ったら言いたいことは山ほどあるが、それも無事に帰れなければ意味がない。
自分も正座で3時間の説教コースとヴェルに言われている。危ないことをしたのは一緒の手前、セロには付き合ってもらおうとシリスは心に決めた。
何はともあれ、誰も大きな怪我をすることなく騒動を終えたのだ。
今は取り敢えず安堵感に浸ったって、きっとバチは当たらない。
「……シル、行けるか?」
「大丈夫……っすよ。うん、ちょっと時間は欲しいけど」
シルヴィアの顔は先ほどよりは血色いいが、無理やりに笑みを浮かべる目の下はまだ赤い。
もはや用がないのであれば、暗く湿ったこの場所は精神的に毒だ。早く陽の元に出るに越したことはない。
そんなふうに深く考えたわけではないのだろうが、アステルが明るい口調で続けた。
「純水鉱石貰ったら、何か適当に買って帰ってオレんちで休もうぜ。腹減ってたら元気出ねーし、食ってそのまま作業すりゃ渡しに行く手間も省けんじゃん?」
「そうっすね……言われたら確かに、お腹は空いたっす」
「あたしもー……。魔力回復したいし、なおさら」
自覚をすると空腹を感じ始め、口々に賛同の意を示す。
我が意を得たり、とアステルは笑った。
「よっしゃ、そうと決まれば早速戻って婆ちゃんに会いに───」
「お言葉だけど」
ぴしゃり、とアステルの言葉をディクシアが遮った。
「君たち、自分の格好がどれだけ酷いかお忘れかい?そんな姿で何か買いに出てごらんよ、事件だよ事件」
「あ」
爆発で被った血脂でドロドロの姿を見合わせて、ディクシア以外の全員が呆けた声を上げるのだった。




